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明治天皇の強い希望で創建、後醍醐天皇を祭る吉野神宮(吉野町)/毎日新聞「やまとの神さま」第34回

2023年02月12日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.2.9)掲載されたのは〈後醍醐天皇の思いに応え/吉野神宮(吉野町)〉、執筆されたのは同会会員で奈良市在住の藤永泰雄さんだった。

吉野神宮の創建当初の名前は、「吉野宮」だった(大正7年に吉野神宮と改称)。同神宮の公式HPには、シンプルにこう記されている。
※吉野神宮の神門=吉野町吉野山で

明治天皇は後醍醐天皇の御偉業を深くお偲びになられ明治22年吉野神宮の御創立を仰せだされた。次いで明治25年に執り行われた御鎮座際に勅使を遣わされ御霊代を御奉納されると共に、後村上天皇がお作りになられたと伝えられ、それまで吉水神社(明治7年までは吉水院・南朝の行宮)に奉安されていた後醍醐天皇の御尊像も吉野神宮の本殿に奉還された。

では、毎日新聞の記事全文を紹介する。

吉野神宮(吉野町)
吉野神宮は桜と紅葉の名所の吉野山の入り口に鎮座し、春や秋には境内でも楽しむことができます。吉野は皇位継承の争いで都を逃れた天武天皇や、兄に追われた源義経が身を隠した場所です。

後醍醐天皇は鎌倉幕府崩壊後、武士から権力を取り戻し「建武の新政」を始めましたが、足利尊氏に裏切られ幽閉されました。再起を期し吉野に逃れ、京都の朝廷に対抗して吉野に南朝を開きます。これが「南北朝時代」の始まりです。

後醍醐天皇の折れない気持ちは後世に受け継がれます。500年を経て徳川幕府は倒れ、明治維新で天皇を中心とする国家体制になりました。明治天皇の強い希望で1889(明治22)年に創建され、その後の改築で現在の社殿が完成しました。

総桧(ひのき)造りで近代の代表的な神社建築として高く評価されています。社殿は北へ向かって一直線に御神座、幣殿、拝殿神門、大鳥居と並んでおり、これは京都に帰還できなかった後醍醐天皇の思いに応えたものです。

吉野行在所(あんざいしょ)であった吉水神社から後村上天皇が彫られたと伝えられる後醍醐天皇の御尊像を本殿に遷(うつ)し祭られています。近くには吉水神社や如意輪寺など後醍醐天皇ゆかりの地もあります。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤永泰雄)

(住 所)吉野郡吉野町吉野山3226
(祭 神)後醍醐天皇
(交 通)近鉄吉野神宮駅から徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有
(電 話)0746・32・3088


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