NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2022.7.21)掲載されたのは、〈石舟斎 一刀両断の伝説/天乃石立神社(奈良市)〉、執筆されたのは大阪府池田市在住の鶴田吉範さんだった。
※トップ写真は、柳生宗厳により一刀のもと割られたと伝わる一刀石=奈良市柳生町で
天乃石立神社は「あめのいわたて」とも「あめのいわち」とも読む。ご神体は3つの巨石だが、新聞に載せたのは、鬼滅の刃で有名になった「一刀石」だ。加藤雅也がこれを短編動画にしているので、ご覧になった方も多いことだろう。3つの巨石は私が以前撮ったことがあるので、それらもあわせて紹介しておく。
「天乃石立神社(奈良市)」
天乃石立(あまのいわたて)神社は奈良市柳生町にあり、創祀(そうし)の年代は不明ですが、平安時代の「延喜式神名帳(じんみょうちょう)」に記載がある古社で、戸岩谷の山中、標高330㍍のところにひっそりとたたずんでいます。
簡素な拝殿だけで本殿を有さず、鎮座する三つの巨石(前伏磐(まえふしいわ)・前立磐(まえたていわ)・後立磐(うしろたていわ))をご神体として直接拝する古代巨石信仰の形態を残しています。
社伝では、神代に高天原で手力雄命(たぢからおのみこと)が天岩戸を引き開けた時、力が余りその扉石が飛来しこの地に落ちたと言われています。
江戸時代には柳生藩代々の崇敬があつく、ご神体の岩と拝殿の間に寄進された石灯籠(どうろう)2基が残っています。また、ご神体から少し奥まったところに、一刀石と呼ばれる中央上から一直線に割られた巨石があります。
この巨石には、柳生新陰流始祖の柳生宗厳(むねよし)(石舟斎)が天狗(てんぐ)を相手に剣の試合を行い、一刀のもと天狗を切り捨てたと思ったが、実はその場にあった巨石を二つに割っていたという伝説があります。
最近では、一刀石は人気マンガの聖地となり、子どもたちをよく見るようになりました。夏休みには、静かな山中の古社に、おもちゃの刀で一刀石に斬りつける子どもたちのたくさんの笑顔が見られることでしょう。(奈良まほろばソムリエの会会員 鶴田吉範)
(住 所)奈良市柳生町789
(祭 神)天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)、櫛磐間戸命(くしいわまどのみこと)、天磐門別命(あまのいわとわけのみこと)
(交 通)JR奈良駅または近鉄奈良駅から奈良交通バス乗車50分、「柳生」下車徒歩約25分
(拝 観)境内自由
(駐車場)柳生観光駐車場利用
"0">
※トップ写真は、柳生宗厳により一刀のもと割られたと伝わる一刀石=奈良市柳生町で
天乃石立神社は「あめのいわたて」とも「あめのいわち」とも読む。ご神体は3つの巨石だが、新聞に載せたのは、鬼滅の刃で有名になった「一刀石」だ。加藤雅也がこれを短編動画にしているので、ご覧になった方も多いことだろう。3つの巨石は私が以前撮ったことがあるので、それらもあわせて紹介しておく。
「天乃石立神社(奈良市)」
天乃石立(あまのいわたて)神社は奈良市柳生町にあり、創祀(そうし)の年代は不明ですが、平安時代の「延喜式神名帳(じんみょうちょう)」に記載がある古社で、戸岩谷の山中、標高330㍍のところにひっそりとたたずんでいます。
簡素な拝殿だけで本殿を有さず、鎮座する三つの巨石(前伏磐(まえふしいわ)・前立磐(まえたていわ)・後立磐(うしろたていわ))をご神体として直接拝する古代巨石信仰の形態を残しています。
社伝では、神代に高天原で手力雄命(たぢからおのみこと)が天岩戸を引き開けた時、力が余りその扉石が飛来しこの地に落ちたと言われています。
江戸時代には柳生藩代々の崇敬があつく、ご神体の岩と拝殿の間に寄進された石灯籠(どうろう)2基が残っています。また、ご神体から少し奥まったところに、一刀石と呼ばれる中央上から一直線に割られた巨石があります。
この巨石には、柳生新陰流始祖の柳生宗厳(むねよし)(石舟斎)が天狗(てんぐ)を相手に剣の試合を行い、一刀のもと天狗を切り捨てたと思ったが、実はその場にあった巨石を二つに割っていたという伝説があります。
最近では、一刀石は人気マンガの聖地となり、子どもたちをよく見るようになりました。夏休みには、静かな山中の古社に、おもちゃの刀で一刀石に斬りつける子どもたちのたくさんの笑顔が見られることでしょう。(奈良まほろばソムリエの会会員 鶴田吉範)
(住 所)奈良市柳生町789
(祭 神)天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)、櫛磐間戸命(くしいわまどのみこと)、天磐門別命(あまのいわとわけのみこと)
(交 通)JR奈良駅または近鉄奈良駅から奈良交通バス乗車50分、「柳生」下車徒歩約25分
(拝 観)境内自由
(駐車場)柳生観光駐車場利用
"0">