田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ。第8回の今回は「宗教は国を救うか」。
※写真は、「花空間けいはんな」(2009年に閉園)のハス。ハスは
インド原産で、今もインドの国花になっている。2007年7月8日撮影
この問いは重い。日本史では、聖武天皇が「鎮護国家」のため東大寺の大仏造立を発願したとされ、そのためのお経として『仁王般若経(にんのうはんにゃきょう)』や『金光明経(こんこうみょうきょう)』があるとのことだが、どうもしっくり来ない。やはり仏教は「個人救済」が根本だろうし、私が仏教に惹かれた契機も、肉親を亡くした悲しみから立ち直るためだった。
むしろ神道に鎮護国家の思想がありそうだが、明治以降の国家神道は軍国主義と結びついてウルトラナショナリズムに傾き、敗戦後にはGHQによって解体されたという苦い経緯があるから結局、「神道では国を救えなかった」ということになる。ここはやはり利典師の説く〈宗教の面目は個々人の生き方への救済であって、そこの所から始まらなければ宗教ではない〉ということになろうか。以下、師のFacebook(4/30付)から抜粋する。
シリーズ吉野薫風抄⑧/「宗教は国を救うか」
「宗教は国を救うか」などとはずい分、大袈裟なテーマであるが、昨年、中国・シルクロードの旅に参加して、大いにこの問題について考えさせられてきたのであった。私が訪れた場所は中国でも西域と呼ばれる辺境の地・新彊ウイグル自治区のウルムチ、トルファン、敦煌などのシルクロード各地で、いけどもいけども荒涼たる砂漠が続くとんでもない所であった。
このとんでもない所に、永い歴史の間、幾多の民が勃興(ぼっこう)した。月氏国、亀慈、楼蘭、高昌国、于蘭、西夏などなど、それらの中には子孫すらも残っていない民族もあり、その他歴史上に名も止めていない国々も数多く興ったのである。それらのうちで往昔の栄華を偲ばせる、いくつかの廃墟を私たちは見て回ってきたのだった。
シルクロードに勃興した数々の民族は、一様に、それぞれの宗教に熱心であった。仏教しかり、あるいはキリスト教にイスラム教、ゾロアスター教等、そのいずれも自らの信ずる神々に対し、真剣な祈りを捧げたのである。そして消えていったのである。これを思う時、宗教は国も民族も、何もかも救わなかった事実を目の前にする。砂漠にはただ砂あらしだけが吹き抜け、肌を焼く陽ざしの鋭さだけが、今も変わらず残されていた。
宗教によって国が栄えることもある。わが国日本などはその好例であろう。仏教によって国は栄えてきた。逆に宗教によって国が滅びることもある。歴史上、宗教戦争はいくたびとなくくり返され、その都度、国々は宗教とその興亡をともにしている。
それは、栄華盛衰、いずれの場合でも、宗教自体に問題があったのではなく、人間の方にその責任があったと見るべきである、という意見もあろうが、もう一つ、宗教本来の使命とは何なのかについて思いを巡らす必要もあろう。
ここで、私はお釈迦さまの生涯を伝えた釈尊伝の中の一つの挿話を思い出す。釈尊のお生まれになった国・シャカ国は隣国コーサラ国によって攻められる。この時釈尊は存命中であり、この出来事を認知されて、三度国をお救いになる。しかし四度目はおたすけにならず、結局は母国は攻め滅ぼされたのであった。釈尊でさえ国の存亡についてはこうなのであった。これは一体何を意味するのであろうか。
宗教の面目は個々人の生き方への救済であって、そこの所から始まらなければ宗教ではないのかもしれない。少なくとも仏教はそう教えているのではないだろうか。個々人の救済が引いては国の盛衰に繋がる場合もあるけれど、あくまでも個々人の救済が第一義なのである。
シルクロードに消えていった民族も、一人一人の祈りは一人一人の救済に繋がってはいたのであり、死して民族が滅び去り、子孫が絶えようとも、それぞれの生命の救済は果たされていたのではないだろうか。宗教は国を救わない、これが私の中国旅行での感想であり、荒漠たる大地の中で、そんな想いに立ちつくした今回のシルクロード紀行であった。
************
いつになればウクライナに和平の日は甦るのだろうか…。ウクライナvsロシアとの戦いにも民族と宗教との争いがその奥底に通低している。本稿は30数年前、中国シルクロード巡礼に際してしたためた文章だが、世界の様相は何千年かの時空を超えてなお、あまり変わらないのか…とため息している。
◇◇
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
※写真は、「花空間けいはんな」(2009年に閉園)のハス。ハスは
インド原産で、今もインドの国花になっている。2007年7月8日撮影
この問いは重い。日本史では、聖武天皇が「鎮護国家」のため東大寺の大仏造立を発願したとされ、そのためのお経として『仁王般若経(にんのうはんにゃきょう)』や『金光明経(こんこうみょうきょう)』があるとのことだが、どうもしっくり来ない。やはり仏教は「個人救済」が根本だろうし、私が仏教に惹かれた契機も、肉親を亡くした悲しみから立ち直るためだった。
むしろ神道に鎮護国家の思想がありそうだが、明治以降の国家神道は軍国主義と結びついてウルトラナショナリズムに傾き、敗戦後にはGHQによって解体されたという苦い経緯があるから結局、「神道では国を救えなかった」ということになる。ここはやはり利典師の説く〈宗教の面目は個々人の生き方への救済であって、そこの所から始まらなければ宗教ではない〉ということになろうか。以下、師のFacebook(4/30付)から抜粋する。
シリーズ吉野薫風抄⑧/「宗教は国を救うか」
「宗教は国を救うか」などとはずい分、大袈裟なテーマであるが、昨年、中国・シルクロードの旅に参加して、大いにこの問題について考えさせられてきたのであった。私が訪れた場所は中国でも西域と呼ばれる辺境の地・新彊ウイグル自治区のウルムチ、トルファン、敦煌などのシルクロード各地で、いけどもいけども荒涼たる砂漠が続くとんでもない所であった。
このとんでもない所に、永い歴史の間、幾多の民が勃興(ぼっこう)した。月氏国、亀慈、楼蘭、高昌国、于蘭、西夏などなど、それらの中には子孫すらも残っていない民族もあり、その他歴史上に名も止めていない国々も数多く興ったのである。それらのうちで往昔の栄華を偲ばせる、いくつかの廃墟を私たちは見て回ってきたのだった。
シルクロードに勃興した数々の民族は、一様に、それぞれの宗教に熱心であった。仏教しかり、あるいはキリスト教にイスラム教、ゾロアスター教等、そのいずれも自らの信ずる神々に対し、真剣な祈りを捧げたのである。そして消えていったのである。これを思う時、宗教は国も民族も、何もかも救わなかった事実を目の前にする。砂漠にはただ砂あらしだけが吹き抜け、肌を焼く陽ざしの鋭さだけが、今も変わらず残されていた。
宗教によって国が栄えることもある。わが国日本などはその好例であろう。仏教によって国は栄えてきた。逆に宗教によって国が滅びることもある。歴史上、宗教戦争はいくたびとなくくり返され、その都度、国々は宗教とその興亡をともにしている。
それは、栄華盛衰、いずれの場合でも、宗教自体に問題があったのではなく、人間の方にその責任があったと見るべきである、という意見もあろうが、もう一つ、宗教本来の使命とは何なのかについて思いを巡らす必要もあろう。
ここで、私はお釈迦さまの生涯を伝えた釈尊伝の中の一つの挿話を思い出す。釈尊のお生まれになった国・シャカ国は隣国コーサラ国によって攻められる。この時釈尊は存命中であり、この出来事を認知されて、三度国をお救いになる。しかし四度目はおたすけにならず、結局は母国は攻め滅ぼされたのであった。釈尊でさえ国の存亡についてはこうなのであった。これは一体何を意味するのであろうか。
宗教の面目は個々人の生き方への救済であって、そこの所から始まらなければ宗教ではないのかもしれない。少なくとも仏教はそう教えているのではないだろうか。個々人の救済が引いては国の盛衰に繋がる場合もあるけれど、あくまでも個々人の救済が第一義なのである。
シルクロードに消えていった民族も、一人一人の祈りは一人一人の救済に繋がってはいたのであり、死して民族が滅び去り、子孫が絶えようとも、それぞれの生命の救済は果たされていたのではないだろうか。宗教は国を救わない、これが私の中国旅行での感想であり、荒漠たる大地の中で、そんな想いに立ちつくした今回のシルクロード紀行であった。
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いつになればウクライナに和平の日は甦るのだろうか…。ウクライナvsロシアとの戦いにも民族と宗教との争いがその奥底に通低している。本稿は30数年前、中国シルクロード巡礼に際してしたためた文章だが、世界の様相は何千年かの時空を超えてなお、あまり変わらないのか…とため息している。
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私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。