tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

日本林業の父 土倉庄三郎/川上村に磨崖碑と銅像(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第18回)

2017年05月24日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が、毎日新聞奈良版に毎週木曜日に連載している「ディスカバー!奈良」、先週(5/18)は「林業の父 土倉(どぐら)庄三郎 川上村の磨崖碑(まがいひ)と住居跡」、執筆されたのは同会会員で、同会の「ふれあい交流会」お世話人の池内力(いけうち・ちから)さん。池内さんは姫路市にお住まいだ。
※吉野川対岸に見える「土倉翁造林頌徳記念」磨崖碑(川上村)。撮影はいずれも池内さん

池内さんはマメに奈良に足を運ばれる、時には奥さま同伴で。姫路→奈良のJR片道運賃は、普通列車で2,270円、往復だと4,540円。一部特急を使うと片道3,970円、新幹線を使うと片道4,320円!ご夫婦で往復新幹線を使うと17,280円! こんなにおカネを払って、奈良に来ていただいているのだ、これには頭が下がる。

今回、池内さんが紹介される土倉庄三郎は、NHKの連ドラ「あさが来た」にも登場した。広岡浅子が日本女子大学を創設するに際し、ポンと大金を寄付するシーンがあった。今年(2017年)は土倉の没後100周年。昨年は川上村で百回忌の法要が行われ、日本女子大学の学長と副学長が参列された。

土倉は、吉野山の桜を守ったことでも知られる。明治の廃仏毀釈や修験道廃止令に見舞われた吉野山の住民が、薪にするため吉野山の桜の木を買いに来た大阪の商人に、木を売り払った。それを聞いた土倉は「明治新政府ができたので、外国人がたくさん訪ねてくるだろう。その日のために吉野山の桜は保存すべきだ」としてそれをすべて買い戻したそうだ。閑話休題。記事全文を紹介する。


住居跡に建つ土倉庄三郎の銅像(川上村)

川上村の大滝バス停近くの吉野川の対岸に「土倉(どぐら)翁造林頌徳(しょうとく)記念」と彫られた磨崖碑があります。日本林業の父「土倉庄三郎」の功績をたたえるため1921年に作られたもので、全高23.6m、文字の一辺1.8m、深さ36cmあります。

1840(天保11)年、川上村大滝に生まれた庄三郎は、財産の3分の1をそれぞれ国家、教育と人、家業のために使ったと言われています。同志社大学や日本女子大学の創設に尽力するとともに、吉野町宮滝とを結ぶ五社峠(ごしゃとうげ)道建設にも多大な私財を投入しました。伊藤博文や井上馨、山県有朋ら明治の元勲は、この道を通って土倉詣でをしました。

庄三郎の住居は吉野川が大きく湾曲する大滝バス停前にありましたが、1959年の伊勢湾台風で消失しました。住居跡には今、吉野川に向かって銅像が建っています。

【メモ】近鉄大和上市から「湯盛温泉杉の湯」行きコミュニティーバスで約45分。(奈良まほろばソムリエの会 池内 力)


私は各地で講演活動をしていて(年間60回程度)、今も「土倉庄三郎の話をしてほしい」というリクエストが多い。昨年は大胆にも、地元の川上村でお話させていただいた(会場が超満員となり立ち見が出た)。

今回毎日新聞に紹介されることで、この奈良県が生んだ偉人を知ってもらう良い契機になることだろう。池内さん、ご紹介ありがとうございました!

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