tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

「ティーラウンジ/ナビカフェ」(奈良市三条町)で、飲み比べ体験!

2024年06月28日 | 奈良にこだわる
昨日(2024.6.27)、面白いところにお邪魔した。その名は「Tea Lounge Navi Cafe」(奈良市三条町529-2)。JR奈良駅から、徒歩3~5分の場所にある。
※トップ写真は、株式会社Tale Navi 代表取締役の今井さん(向かって右)と取締役の鬼木さん

私は奈良市中部公民館で、邪馬台国に関する90分の熱弁をふるった直後だったので、フラフラだったが、何とか気力でお店にたどり着けた。お店のインスタグラムには、

Nara's sake & tea tasting (奈良酒と大和茶の飲み比べ)
Traditional crafts (工芸品の展示)
Travel concierge (旅の相談)
📅 10:00-18:00




主に外国人観光客を対象としているので、インスタもHPも、英語表記が優先されている。昨日はここで、大和茶(向かって左から、かぶせ茶、煎茶、玄米茶、ほうじ茶、和紅茶)の飲み比べと、2種類の奈良酒の試飲をさせていただいた。


5種類の水出し茶から好みを選び次はお湯で。私はほうじ茶。饅頭は「太子餅」(奈良祥樂)

奈良町資料館の南哲朗さんが主宰する「ならまちリーグ」で、プレゼンされたこともあるようだ。外国人観光客にこのような「奈良体験」をしてもらい、リピーターになってもらいたい、というコンセプトでこのような事業をされている。


山鶴(生駒市・中本酒造店)「段違い辛口」と、千代の松(宇陀市・芳村酒造)「神仏習合の酒」

情報発信の仕方や、リピーターになってもらうための工夫は必要だと思うが、「外国人観光客を奈良の関係人口にしたい」という試みであり、良いところに目をつけたものだと思う。

宿泊する外国人観光客向けのミニツアー(おとなの社会見学)も想定されているようで、奈良にはこれに適したスポットが多いので、いいツアーが企画できそうである。若い人たちの意欲的な取り組み、これからも応援していきたい。
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龍田古道の景観を守ろう!沿道で御田植祭

2024年06月19日 | 奈良にこだわる
麻希さんはスゴい、こんな大仕事をこなされるとは!月曜日(2024.6.17)の読売新聞奈良版に、〈田植え 龍田古道の原風景 秋収穫 ブランド米販売へ〉という記事が出ていた。
※トップ写真は、読売新聞の記事サイトから拝借した

「龍田古道 景観保全プロジェクト」代表の垣本麻希さん(行燈絵師・アカリスト)が、ご自身のギャラリー向かいの田んぼを買い取り、日曜日(6/16)、約40人の田植えイベントを開催されたのである。なお麻希さんは、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」のメンバーである。記事には、


この写真と次の写真は、奈良テレビニュースから拝借した

田植え 龍田古道の原風景 秋収穫 ブランド米販売へ
日本遺産・龍田古道の景観を守ろうと、風の神様として親しまれる三郷町の龍田大社近くの水田で16日、田植えイベントが開かれた。秋に収穫し、ブランド米「風乃田園 龍ひかり」として販売を目指す。




龍田古道は、奈良と大阪を結ぶ古代の官道で、2020年に文化庁の日本遺産に認定。水田が広がる地域の原風景を守る活動に取り組む地元住民らの「龍田古道 景観保全プロジェクト」が企画した。


この写真は、麻希さんのFBから拝借した

この日は、同大社の神職が祝詞を奏上し、プロジェクトの垣本麻希代表(47)らが玉串をささげた。約40人の参加者は水田に入り、次々と苗を植え。10月に収穫を予定する。銘柄名は古道の名などにちなんで命名した。垣本代表は「お米や龍田古道の魅力を伝え、古道の田園風景を守りたい」と話した。

この日の模様は、昨日(6/18)の奈良テレビニュースでも報じられた。田んぼの所有者が土地を手放し宅地になるという情報をキャッチ、沿道の景観を守ろうと、土地を取得されたものだ。

農業経験のない女性が、よくこんなに思い切ったことをされたものだ。「風乃田園 龍ひかり」のネーミングもいい。どんな米が収穫できるか、これは楽しみである。麻希さん、田植えには参加できませんでしたが、応援していますよ!

奈良テレビニュース(2024.6.18)
〈龍田古道 景観保全プロジェクト ブランド米「龍ひかり」で原風景を次世代へ〉



読売新聞奈良版(2024.6.17付)


コメント (2)
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村屋神社「夏越(なご)しの大祓(おおはら)い」毎年6月30日挙行!

2024年06月17日 | 奈良にこだわる
奈良検定の勉強を始めたとき、この神社の名前には面食らった。「村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみほつひめじんじゃ)」(磯城郡田原本町藏堂426番地)。とても長いので、地元では「村屋神社」とか「森屋明神」(周辺の森が「森屋の森」なので)と呼ぶそうである。

毎日新聞の「やまとの神さま」でも、紹介されていた。私はマルト醤油にお邪魔するとき近くを通ったが、近鉄田原本駅から徒歩で30分以上はかかる。ここでは毎年6月30日に、「夏越しの大祓い」(茅の輪くぐり)の神事が行われている。一般社団法人「田原本まちづくり観光振興機構」のHPには、


茅の輪は、6月中旬からくぐることが出来る

毎年6⽉30⽇、本格的な夏を前に、村屋神社では「夏越し⼤祓式(⽔無⽉祓い)」の神事が⾏われます。このお祭りは、半年間の無事を感謝するとともに、残りの半年間の息災を祈願するものです。奈良時代の宮中⾏事であり、⽇本最古の宗教儀礼とも⾔われています。


カラフルな「夏越しの大祓い」のご朱印(初穂料=600円)

村屋神社では、拝殿前の庭に⻘⽵(忌⽵)を四⽅に⽴てた結界がつくられ、正⾯に直系1.8mくらいの茅の輪(ちのわ)が置かれます。まず神主を先頭に茅の輪をくぐり、⽒⼦総代、参拝者と続いてくぐっていき結界に⼊ります。

参拝者は⽩紙で作られた「⼈形」に息を3度吹きかけて半年間の罪穢れをここに移し、神主の⼤祓いの祝詞が奏上されます。その後、1.5cm⾓に切った⿇(紙で代⽤)と御幣をつけた茅で⾃⾝を祓い清めます。⼈形や茅を三宝に戻す際、各⾃が家で切って紙に包み持参した⼿⾜の⽖も⼀緒に置きます。



最後に結界を切って、使い終わった茅の輪、忌⽵、⼈形、⿇、⽖を神社東側を流れる初瀬川(⼤和川)に流して終了です。古くから現代に引き継がれてきたこの神事には、暑く厳しい奈良盆地の夏を無事に過ごしたい、という古⼈の素朴な願いが込められています。



右が森屋さん、過去の放送回で

神社の公式HPに、「放送告知」が出ていた。木曜日(2024.6.20)の奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」(17:30~)前半の「推しナラ」コーナーで、同神社と「夏越しの大祓い」(茅の輪くぐり)の神事が紹介されるのだという。案内役は奈良まほろばソムリエの会の森屋美穂子さん。偶然だが、森屋さんが森屋明神を紹介されるのだ。皆さんも、ぜひご覧ください!
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矢田寺のアジサイ2024 (6月12日はアジサイ記念日)

2024年06月14日 | 奈良にこだわる
「矢田寺のアジサイを楽しむ」ツアー(2024.6.12)を紹介する第2弾は、アジサイ写真の紹介である。満開より少し前の時期で、朝から日光に照りつけられ、少し萎(しお)れた花もあったが、午後からは薄曇りに転じたので、キレイに撮ることができた。





この日は奈良市の最高気温が30.8℃という真夏日で、さすがにカタツムリを見つけることは出来なかった。世界大百科事典「アジサイ」の文章とともに、楽しんでいただきたい。



観賞用として広く庭園などに栽植されているユキノシタ科の落葉低木。梅雨時の象徴的な花である。漢字では慣用として紫陽花を当てることが多い。



園芸種と歴史
アジサイは日本で育成された園芸品であり,太平洋側の海岸近くに自生するガクアジサイがその原種であるとされる。アジサイは鎌倉時代に園芸化され,江戸時代にはごく一般的な庭園植物となっていた。それとともに古く中国に渡り,中国でも庭園に植えられていた。





アジサイがイギリスに導入されたのは1789年であるが,これは中国から持ち込んだものである。この品種は導入したJ.バンクスを記念したサー・ジョセフ・バンクスの品種名で現在も呼ばれている。また,マリエシイMariesiiは,日本のモモイロアジサイがフランス人によって導入されたものである。





これにベニガクなどが交雑親となって,現在のように多色の品種群がヨーロッパで育成され,セイヨウアジサイ(ハイドランジア)と呼ばれ,日本に再導入され,花屋で鉢物として多く売られるようになった。



花色の変化
アジサイの花色は土壌の酸性度によって変化する。酸性度が高くなると鉄およびアルミニウムが多く溶け出し,ことにアルミニウムが吸収されると花色は青色が強くなる。逆の場合は桃色が強くでる。このほか肥料要素,すなわち土壌中の硝酸態窒素とアンモニア態窒素の割合なども,花色を変える原因であることが知られている。



野生種
アジサイの原種とされるガクアジサイH.macrophylla f.normalis(Wilson)Haraは,散房状集散花序の周りだけに,少数の青紫色,淡紅色または白色の装飾花をつける。多数の正常な両性花は小型で,ごく小さな5枚の萼片と5枚の楕円形鋭頭の花弁,10本のおしべをもつ。房総半島,三浦半島,伊豆半島,伊豆七島,紀伊半島南部,四国南部などに自生するが,観賞用に庭園にもよく植えられている。



ヤマアジサイ(サワアジサイ)H.macrophylla ssp.serratum(Thunb.)Makinoは,アジサイと同じ種類に属し,日本の山地に広く野生している。またエゾアジサイH.macrophylla ssp.yezoensis(Koidz.)Kitam.は前者に似ているが,葉や花,果実が大型で,北海道と本州日本海側の多雪地域に分布する。葉に甘味成分を有する系統がヤマアジサイ類のなかにあり,アマチャと呼ばれる。このほかアジサイ属には,ノリウツギ,タマアジサイ,ツルアジサイ,コアジサイ,ガクウツギなど数種が日本の山地に自生する。



栽培
これら日本産のアジサイ類のいずれの種類も耐寒性が強く,北海道から沖縄まで栽培できる。水が停滞しないところならばやや土壌湿度の高いところでも土を選ばずによく生育する。また半日陰からひなたまで植栽できる。アジサイのように種子がほとんどできない種もあり,繁殖は挿木によって行うことが多い。挿木は簡単に根づく。



名称の由来
アジサイは日本固有の花で,《万葉集》にも名が見えるほど古くから知られ,鎌倉時代以降は園芸品種としても栽培された。しかしこれらは素朴なヤマアジサイないしガクアジサイが主であったためか,これを特別に観賞する名所といったものは江戸時代を通じても現れず,鎌倉の紫陽花(あじさい)寺(明月院)などが観光の対象となったのは第2次大戦後である。




愛犬家の女性たちが、アジサイの横に犬を並べて写真を撮っていた、これは面白い構図である。「鎌倉の紫陽花寺などが観光の対象になったのは第2次大戦後である」とあるが、矢田寺のアジサイも「本尊様であるお地蔵さんにちなんで、昭和40年頃から植え始めました」とお寺のHPにあった。なお「さまざまに色が移ろいながら、 私たちに仏教の「諸行無常」の心を伝えてくれています。 また、あじさいの丸い花は、お地蔵さんの手に持っておられる宝珠の形でもあります」とあった。

水分をよく吸うので,日当りの悪い裏庭や古寺に植えられることが多く,ガクアジサイの自生する伊豆諸島では,この葉を便所の落し紙として利用したという。日本で〈草冠に便〉の漢字を当てるのはこのためだとする説もある。

シーボルトはアジサイをHydrangea otaksaと名づけたが,この〈オタクサ〉は彼の愛人だった長崎丸山の遊女〈お滝さん〉(本名楠本滝)に由来する。なおアジサイの語源には諸説あるが,《大言海》にある〈集(あづ)真(さ)藍(あい)の意〉という説が有力視されている。花ことばは〈高慢〉〈美しいが香も実もない〉。女性への贈物にはふさわしくない。

「女性への贈り物にはふさわしくない」とあるのでドキッとした。私は以前、母の日のプレゼントとして、鉢植えを贈ったことがあるのだ。



途中から、女子校生と女子大生風の若い女性(姉妹かも)が来て、「めちゃ映(ば)える~♪」と言って、スマホで写真を撮りまくっていた。あとで撮っていたアジサイを見ると、上記のようなもので、おじさんには、全く映えるとは思えなかった。そこで一首。「この花が映えるとキミが言ったから 6月12日はアジサイ記念日」、お粗末!


これら2枚は、奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」のサイトから拝借した

翌日(6/13)の奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」の「推しナラ」コーナーでは、奈良まほろばソムリエの会の本田倫子(みちこ)さん(中央)が矢田寺を紹介していた。さすがにソムリエらしく、カッチリとした紹介だった。なお皆さんの手の形(OKポーズ)は、「矢田型地蔵」の手の形(印)である。



たっぷりと歩いたので足はパンパンになったが、気持ちよく疲れたので、この日はぐっすりと熟睡することが出来た。ああ、楽しい一日だった。矢田寺のアジサイはまだまだ見ごろが続きます。皆さん、ぜひ、お参りください!
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「矢田寺のアジサイを楽しむ」ツアーに参加!(奈良まほろばソムリエの会・史跡探訪サークル主催)

2024年06月13日 | 奈良にこだわる
昨日(2024.6.12)、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の史跡探訪サークル(啓発交流グループ)が主催する「矢田寺のアジサイを楽しむ」ツアーに参加した。参加者はスタッフを入れて15名、中には伊勢志摩方面から来られた方もいらっしゃった。


矢田寺バス停で降り、少し歩くと儒学者・熊澤蕃山の居宅跡を示す碑がある

①矢田寺と矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社へのツアー、②矢田寺のアジサイ、③矢田寺北僧坊(きたそうぼう)の「あじさい御膳」(精進料理)、という3つの楽しみのあるぜいたくなツアーだった。とても1回では書き切れないので、3回に分けて紹介する。


矢田寺周辺にはあまたのお地蔵さんがある。これはその1体め

初回はガイドツアーの巻。同会ガイドグループなどでガイド経験を積まれた方が案内してくれるので、とても頼もしい。矢田寺は、同会の著書『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)にも登場する。引用すると、


境内からは、奈良盆地が見渡せる

矢田寺【やたでら】(金剛山寺) お地蔵さんとアジサイの寺
「矢田のお地蔵さん」として親しまれている矢田寺( 金剛山寺=こんごうせんじ)は、城下町・郡山から西へ3.5㌖、矢田丘陵の中心・矢田山の中腹にあり、日本最古の延命地蔵菩薩像を安置しています。



同寺北僧坊(きたそうぼう)横には、豊臣秀長の書院・茶室が郡山城から移設されていた

今から約1300年前、大海人皇子(のちの天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登り、即位後の白鳳4年(664)智通僧上に勅し、七堂伽藍四十八ヵ所坊を造営したのが当寺のはじまりといわれています。当初は十一面観音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、弘仁年間に満米(まんまい)上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。


書院・茶室の扉。向かって右には菊花紋


左には五七桐。秀吉が天皇から下賜され、秀長もこれを使った

「各地のお地蔵様の多くは、右手に杖、左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を持たれているスタイルなのですが、矢田寺のお地蔵様は、そのほとんどが右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイルで、『矢田型地蔵』と呼ばれています」(公式HP)。境内ではみそなめ地蔵をはじめたくさんの石のお地蔵さまに迎えられ、眼下には奈良盆地がのびやかに広がります。


書院・茶室の内部。この写真は、北僧坊の公式HPから拝借

本堂は江戸時代の建築(県指定文化財)で、中央の厨子内には本尊の木造地蔵菩薩立像(平安時代・重文)に木造十一面観音立像(奈良時代・重文)と吉祥天女立像(室町時代)を加えた等身大の三尊を安置し、左右に二天像(奈良時代)を配しています。


ランチタイムで挨拶する同会副理事長の松浦文子さん

境内には約60種約10,000株のアジサイが咲き誇るところから「アジサイ寺」の別名があり、さまざまに色を変える花を楽しみながら、6月1日~6月30日には本堂の特別拝観もできます。 (水間充)

宗)高野山真言宗 所)奈良県大和郡山市矢田町3506 電)0743-53-1445  交)近鉄郡山駅からバス「矢田寺」下車 徒歩約10分 拝)アジサイ開花期700円、本堂特別拝観500円



石段を上がりきったのが10:30頃、それから本堂を拝観して、昼食は11:30スタート。食後はアジサイを見学して13:30に本堂前を出発し、徒歩で矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社へ。13:50頃到着して神社を参拝した。毎日新聞奈良版「やまとの神さま」(2023.4.20付)によると、

矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市)
矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社は、矢田丘陵から東に広がる田園地帯にある古社です。主祭神の櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)は、天照大神の孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が、九州日向の高千穂峰に降臨するよりも以前に天降(あまくだ)った神さまと伝わります。




櫛玉饒速日命は当初河内国に降り立ちますが、宮の地を求め再び岩でできた天磐船(あめのいわふね)に乗って天空を飛び、3本の矢を放ち、落ちた場所を宮と定めることにしました。社伝によれば2番目の矢が落ちた場所がこの神社で、別名「矢落(やおち)大明神」とも呼ばれ、境内には「二の矢塚」があります。


これが「二の矢塚」

神社の東南の小字「一の矢」という場所には「一の矢塚」があり、また土地の人が古くから「みやどこ(宮所)」と呼ぶ北西の場所には、「三の矢塚」があります。


楼門には中島飛行機製・陸軍九一式戦闘機のプロペラ。昭和18年に大日本飛行協会大阪支部が
奉納したもの。プロペラ表面には、向って右側に「神徳」、左側に「赫奕(かくえき)」の文字
があるそうだが、確認出来なかった。揮毫は、大日本飛行協会副会長陸軍中将堀丈夫だそうだ


プロペラの上部には、源田実航空自衛隊初代幕僚長が参拝記念として奉納した板額がある

主祭神とともに祀られている妻の御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)は、この地の大豪族・登美長髄彦(とみのながすねひこ)の妹でした。長髄彦は日向の地を出て大和に入った邇邇芸命のひ孫の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと、後の神武天皇)と戦い、敗れました。



石造りの鳥居をくぐると正面には立派な楼門があり、飛行機のプロペラが奉納されています。これは空を飛ぶ天磐船神話から当神社が「航空祖神(そしん)」とあがめられていることに由来します。神代と今をつなぐ古社です。(奈良まほろばソムリエの会理事 大江弘幸)



(住 所)大和郡山市矢田町965
(祭 神)櫛玉饒速日命、御炊屋姫命
(交 通)近鉄郡山駅から奈良交通バス「横山口」下車、徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(無料)




帰りは「横山口」バス停から近鉄郡山駅へ。この日は最高気温が30.8℃を超える真夏日だったし、アップダウンのある道を2万歩以上歩いたので、足はガクガクだったが、久しぶりに歩いたので、体調はとても良い。

同サークル世話人の秋山博隆さんはじめ、スタッフの皆さん、本当にお世話になりました、ありがとうございました!
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