ゴヤ展 その15 エピローグ

『魔女たちの飛翔』(1798年、プラド美術館蔵)
そもそも、ゴヤとはどういう男だったのだろうか。
記事の最初に掲げた問いが、ふたたびぼくをとらえる。毎日のようにゴヤのことを考えつづけてきたが、芸術家としての偉大さに感嘆するというよりも、その不可解さに首をひねることのほうがはるかに多かった。
ゴヤは、本当に首席宮廷画家であったのか? スペインで最高の地位にまでのぼりつめた画家が、このゴヤなのか? そんな疑問までが繰り返し襲ってくる。いや、彼がスペイン王室から重んじられた優秀な画家であったことは、たしかな事実であろう。
ただ、それとは相反する“裏の顔”を、彼はもっていた。これも事実だ。大ざっぱにいえば、ゴヤは二人いた、と考えたほうがわかりやすいような気もする。それに比べれば、表向きの『着衣のマハ』が裏を返せば全裸であることなど、さして重大なこととも思われなくなってくるではないか。
***
『魔女たちの飛翔』は、今から6年前に開かれた「プラド美術館展」でも展示され、ぼくは大阪市立美術館でそれを観ている(当時のタイトルは『魔女の飛翔』)。ただ、そのときはゴヤに深い関心をもっていたわけではなかったし、さほど注意深く眺めたわけでもなかった。けれども、『魔女の飛翔』の謎めいたモチーフだけは消えないで、いつまでもぼくの心に引っかかった。
ぼくには最初、宙に浮かぶ人たちの群像が、サーカスの曲芸か何かのように見えた。真っ暗な虚空に浮かんだ、色とりどりのピエロではないかと・・・。正直にいって、今でもぼくはこれらの人物が魔女だとは思えない。青い帽子を被り、こちらに背中を向けた人物の腋の下からは、たしかに乳房のふくらみのようなものがのぞいているが、上半身が裸の魔女など聞いたことがなかった。
さらには、彼女(?)たちが頭にかぶっている細長い帽子は、伊集院静の指摘によればコローサというもので、宗教裁判にかけられた被告がかぶるものだという。たしかに今回出品されていたゴヤの素描のなかにも、この帽子をかぶったものがある。

『口をすべらせた咎により』〈素描帖C〉89番(1808-1814年頃、プラド美術館蔵)
この後ろ姿の男は、異端審問で裁かれようとしているところで、画面の奥に立っている男が罪状をまさに読み上げようとしている場面だという。ゴヤは今でいう法廷画家のようなことまでやっていたのか、そこまでは知らない。
だがゴヤはこれを描きながら、自分の姿をそこに重ねていたのではあるまいか。彼も宮廷画家としては異端であり、口ではなく絵筆をすべらせることはしょっちゅうであったと思われる。もし国王の機嫌を損ねようものならたちまち被告席に立たされる羽目になりかねない、ギリギリの線で創作活動をつづけていたのだ。
***
ゴヤの晩年を代表する衝撃的な〈黒い絵〉の連作は、このたびは一枚も展示されていなかった。残念なような気もするが、観なくてすんでほっとした、というのが偽りのない気持ちだ。もちろん写真では観たことがあるけれど、もしこれの実物と対峙したとき、ぼくはいったいどう振る舞ったらいいのだろう。
そのときには、やはりあの問いがぼくの頭のなかで渦巻くにちがいない。そもそも、ゴヤとはどういう男だったのか、と。
ゴヤという画家のことについて真に深く考えるには、〈黒い絵〉を避けて通ることはできまい。それまで小さな銅版画のスタイルで繰り返し描かれてきた「生の不条理」が、壁いちめんの大きさに、油彩の強烈な色彩を伴って描き出されたのだ。そして実際、ゴヤは若い家政婦の愛人とともに、その絵が飾られた家のなかで生活していたのである。
威厳ある国王陛下の肖像から、戦場の死体の山まで描き出したゴヤという男の大きな謎が、改めて眼の前に突きつけられたような展覧会であった。
つづきを読む
この随想を最初から読む

『魔女たちの飛翔』(1798年、プラド美術館蔵)
そもそも、ゴヤとはどういう男だったのだろうか。
記事の最初に掲げた問いが、ふたたびぼくをとらえる。毎日のようにゴヤのことを考えつづけてきたが、芸術家としての偉大さに感嘆するというよりも、その不可解さに首をひねることのほうがはるかに多かった。
ゴヤは、本当に首席宮廷画家であったのか? スペインで最高の地位にまでのぼりつめた画家が、このゴヤなのか? そんな疑問までが繰り返し襲ってくる。いや、彼がスペイン王室から重んじられた優秀な画家であったことは、たしかな事実であろう。
ただ、それとは相反する“裏の顔”を、彼はもっていた。これも事実だ。大ざっぱにいえば、ゴヤは二人いた、と考えたほうがわかりやすいような気もする。それに比べれば、表向きの『着衣のマハ』が裏を返せば全裸であることなど、さして重大なこととも思われなくなってくるではないか。
***
『魔女たちの飛翔』は、今から6年前に開かれた「プラド美術館展」でも展示され、ぼくは大阪市立美術館でそれを観ている(当時のタイトルは『魔女の飛翔』)。ただ、そのときはゴヤに深い関心をもっていたわけではなかったし、さほど注意深く眺めたわけでもなかった。けれども、『魔女の飛翔』の謎めいたモチーフだけは消えないで、いつまでもぼくの心に引っかかった。
ぼくには最初、宙に浮かぶ人たちの群像が、サーカスの曲芸か何かのように見えた。真っ暗な虚空に浮かんだ、色とりどりのピエロではないかと・・・。正直にいって、今でもぼくはこれらの人物が魔女だとは思えない。青い帽子を被り、こちらに背中を向けた人物の腋の下からは、たしかに乳房のふくらみのようなものがのぞいているが、上半身が裸の魔女など聞いたことがなかった。
さらには、彼女(?)たちが頭にかぶっている細長い帽子は、伊集院静の指摘によればコローサというもので、宗教裁判にかけられた被告がかぶるものだという。たしかに今回出品されていたゴヤの素描のなかにも、この帽子をかぶったものがある。

『口をすべらせた咎により』〈素描帖C〉89番(1808-1814年頃、プラド美術館蔵)
この後ろ姿の男は、異端審問で裁かれようとしているところで、画面の奥に立っている男が罪状をまさに読み上げようとしている場面だという。ゴヤは今でいう法廷画家のようなことまでやっていたのか、そこまでは知らない。
だがゴヤはこれを描きながら、自分の姿をそこに重ねていたのではあるまいか。彼も宮廷画家としては異端であり、口ではなく絵筆をすべらせることはしょっちゅうであったと思われる。もし国王の機嫌を損ねようものならたちまち被告席に立たされる羽目になりかねない、ギリギリの線で創作活動をつづけていたのだ。
***
ゴヤの晩年を代表する衝撃的な〈黒い絵〉の連作は、このたびは一枚も展示されていなかった。残念なような気もするが、観なくてすんでほっとした、というのが偽りのない気持ちだ。もちろん写真では観たことがあるけれど、もしこれの実物と対峙したとき、ぼくはいったいどう振る舞ったらいいのだろう。
そのときには、やはりあの問いがぼくの頭のなかで渦巻くにちがいない。そもそも、ゴヤとはどういう男だったのか、と。
ゴヤという画家のことについて真に深く考えるには、〈黒い絵〉を避けて通ることはできまい。それまで小さな銅版画のスタイルで繰り返し描かれてきた「生の不条理」が、壁いちめんの大きさに、油彩の強烈な色彩を伴って描き出されたのだ。そして実際、ゴヤは若い家政婦の愛人とともに、その絵が飾られた家のなかで生活していたのである。
威厳ある国王陛下の肖像から、戦場の死体の山まで描き出したゴヤという男の大きな謎が、改めて眼の前に突きつけられたような展覧会であった。
つづきを読む
この随想を最初から読む