てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

死んじまったミュージシャンに

2009年10月22日 | その他の随想


 加藤和彦の突然の自死は、世間に大きな衝撃を与えた。ぼくも少なからず驚かされたひとりである。

 とはいっても、これまで書いてきたようにぼくはクラシックばかり聴いてきた人間で、加藤についてはその名前と顔と、経歴のごく一部を知っていたにすぎない。彼が残した名曲のいくつかも、誰の作品かは知らずに親しんできたものが多かった。それもそのはず、加藤が「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーとして一世を風靡したのはぼくの生まれるずっと前の話で、もの心ついたころにはすでにフォークの嵐は過ぎ去り、テレビの歌番組で見かけるのは人畜無害の正統派アイドルばかりという時代だったからだ。加藤がソプラノ歌手の中丸三千繪と結婚していて、クラシックとまんざら無縁なわけではなかったというのも、今回の報道のなかで知ったことである。

 だが、何よりぼくにとって特別なのは『帰って来たヨッパライ』という珍曲の存在だ。小学生のころ、リリースからすでに10年以上も経っているのにぼくたちはこの曲を知っていた。変声期前の児童の声は、テープを速回しした甲高い歌声を真似るのに打ってつけだった。今でも思い出すのだが、バス停でスクールバスを待っていたある放課後、なぜか「今日は歩いて帰るよ」といい残して去った友人のHくんを案じて「Hくん、今ごろどこまで行ったかなあ」とつぶやくと、誰かが「天国に行っただ~」と混ぜ返したので大爆笑になったこともある。

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 2000年から翌年にかけて、NHKラジオで「文化の深層心理学」と題したセミナーが放送された。講師は北山修(そのときは「きたやまおさむ」名義)で、たしか精神科医という肩書きだったが、いざ聞いてみるとその語り口は深夜放送のパーソナリティーのごとく軽妙で見事である。この人がかつて「ザ・フォーク・クルセダーズ」の一員だったということはその番組を聞くまで知らなかったが、北山は講座のなかで『帰って来たヨッパライ』を取り上げていた。一般にはおもしろおかしいコミックソングと思われているその曲に、実は深い意味が隠されているらしいことを彼は語っていた。

 テキストが手もとにないので詳しいことは忘れてしまったが、『日本人の〈原罪〉』(北山修+橋本雅之著、講談社現代新書)という本によれば、どうやら「第一者が第二者に対して何かやりたいことがあると、それを邪魔する第三者が登場し、横槍を入れて、ついには断罪する」という、エディプス・コンプレックスの“父親殺し”にも通ずる三角関係が描かれているという。つまりヨッパライが天国で快楽を享受しようとすると、「天国ちゅうとこはそんなに甘いものやおまへんにゃ」と悠長な関西弁で妨害する神様があらわれ(ちなみにこの神様の台詞は北山修の声らしい)、ついには現世に送り返されるというストーリーをもっているのである。

 もちろんこの理論はいわゆる“あとづけ”で、学生時代の彼らがそんなことを考えながらこの曲を作ったわけではないだろう。しかし皮肉なことに、「天国」というワードを「芸能界」または「音楽界」に置き換えて考えてみると、加藤和彦の悲劇的な運命をはるかに予告していたかのように思えなくもない。すなわち多くのヒット曲を飛ばして時代の寵児となったミュージシャンも、徐々に時代からズレはじめ、取り残され、やがては立ち去らざるを得なくなるということだ。遺書には「創作の意欲がなくなった」という文章があったと報じられたが、“そんなに甘いものではない”音楽の世界で生きつづけることの苦悩と絶望が率直に綴られているような気がする。

 ただ、歌とちがうのは、天国から降りる階段を踏み外したヨッパライは畑の真ん中で眼を覚ますけれど、加藤は二度と眼を覚ますことはないということである。

(画像は記事と関係ありません)

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