
伊藤若冲『月夜芭蕉図床貼付』(重要文化財)
部屋の一角のしつらえとともに常設されているもう一点が、『月夜芭蕉図床貼付』であった。先に取り上げた『葡萄小禽図床貼付』が、外から部屋の内部に侵入して繁殖する植物の生命力を連想させるとすれば、こちらは床の間の壁を透かして外部の風景を垣間見させる試みであるように思う。
いってみれば、眼の前に大きな窓が穿たれたように感じられるのである。それはもちろん、そこに満月がかかっているからだ。フリーハンドで描いたとは思えないほど、正確に真ん丸な月。これだけでも、若冲のテクニックがほとんど神業の域にまで達していたことがわかる。
だがもっと不思議なのは、くっきりと隈取られた月の存在が、この絵を夜の眺めに一変させてしまう点だ。題名にもあるように、これは「月夜」のはずである。しかし、月と芭蕉が描かれている以外は白く塗り残されているばかりで、夜の表現はどこにもない。
夜の暗さを描かずして、夜を感じさせてしまう。これはもちろん錯覚といえるが、あちこちで煌々と電気の灯っている現代に比べたら、当時の夜は何倍も暗かったはずだ。よく考えてみれば、そんな暗闇のなかで、芭蕉の葉の細部までがくっきりと見えるわけもない。
それなのに、この絵から伝わってくる迫真力が少しも損なわれないのは、どういうことか。鬱蒼と茂る芭蕉が、夜という雰囲気がもっている魔力というか、人の手の及ばない神秘な力と響き合っているからだろう。まだ“丑三つ時”なる言葉が意味をもっていた時代、夜とは、日が沈んで暗いというだけの時間帯ではなかったのだ。
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伊藤若冲『竹図襖絵』(重要文化財)
何かと“奇想”のくくりで語られることの多い若冲だが、ここに描かれているケッタイな形状の竹も彼の想像力の産物かと思っていたら、実際にあるのだそうだ。節のところがふくらんだ「算盤(そろばん)竹」というらしいが、眼にする機会はほとんどないだろう。若冲が晩年に隠棲したといわれる伏見の寺には竹林が繁っているが、こんな種類はぼくも見たことがない。若冲も、現物を参考にしたというより、本か何かで知ったのではないかと思う。
鶏を自邸の庭に放し飼いにして観察した、という伝説のある若冲だが、他の生物や植物も同じようにして観察した、という説明にはならない。彼は本草学者で珍品の収集家であった木村蒹葭堂(けんかどう)と親交があったので、世界の希少な動植物に関してはさまざまな助言を得ることができたのではなかろうか。
彼の“奇想”は、根拠のない空想だけの世界ではなかった。当時を代表する文化人から知識の裏付けを得られるような、恵まれた立場でもあったのである。もちろん、若冲の旺盛な好奇心がその下地にあったことは間違いないけれども。
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