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福王寺法林『ヒマラヤの朝』(再興第95回「院展」)
日本画家の福王寺法林が91歳で逝去した。近ごろは「院展」への出品も途切れがちで、体調がかんばしくないのかと心配していたが、ついにその日が来てしまった。
といっても、福王寺の画業を詳しく知っているというわけではない。ぼくが「院展」にかよいだして、ようやく同人の名前を覚えはじめてきたころ、彼はすでに老画家であって、比較的小さな作品しか出していなかった。それがことごとく『ヒマラヤの朝』という題名だったので、ぼくは「この画家は何てヒマラヤに思い入れが強いのだろう」と驚かされたものだ。
前にも書いたことがあるが、法林は幼いころに片眼の視力を失ったらしい。それにもめげず画家となった彼は、54歳のときにヒマラヤを取材した。7千メートルの高さまでヘリコプターを飛ばし、身を乗り出しながらスケッチをつづけたという。絵を描くということはこれほどにも命がけなのだということを、ぼくは法林から教えられたのである。
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ところで、法林はいったいヒマラヤの何に憑かれたのだろう。彼はもちろんヒマラヤの絵だけではなく、他のモチーフも描いていて、富士山の絵などもある。それはそれで立派な富士で、「院展」を再興させた横山大観への敬意が感じられるものだが、ヒマラヤの連作と比べるとおとなしい。ダイナミックだが、富士の山頂の輪郭線ははっきりと描かれていて、動かしようのない日本のシンボルとしての重みを担った姿をしている。
けれどもヒマラヤは、そんなに簡単にはいかない。だいいち、われわれが「ヒマラヤ」と聞いたときに、いったいどんな風景を連想できるか。富士は、大地にしっかり腰を据えているといった感じである。法林の富士山も、当然ながら末広がりの八の字形で描かれていて、構図はすこぶる安定している。
だが福王寺法林の描くヒマラヤは、上空からのスケッチをもとに描かれたためか、遠くに山を仰ぎ見るというよりも、やや見下ろしている感じである。ここはまさに大気圏の境目といったおもむきで、金や銀を大胆に使った荒々しい山肌と、一点の曇りもない静謐そのものの空とが、ぼくたちの想像をはるかに超えたスケールで衝突し合っている。まるでドラマのクライマックスを見るような激しさである。
こうやって、ヒマラヤの一日がはじまるのだ。日の出を“ご来光”などといって神聖に受け止めたがる日本人には、あまりにも生々しい朝の訪れであった。
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福王寺法林の息子の一彦も、「院展」の同人である。もうずいぶん前に、テレビで一彦の個展の模様が放送されたとき、法林がそこを訪れている様子が流れた。
彼は本当ににこやかな表情であった。あのヒマラヤの劇的な、雪と風とにおおわれた極限の世界を描いている画家が、温厚な“人の親”の顔をして、満ち足りたように息子の絵を観てまわっていた。たしか、インタビューにもこたえていたように思う。
画家として一人前になった我が子にあとのことを託して、彼はヒマラヤの上空へと舞い戻っていったような気がする。今度はヘリコプターも飛行機も使わず、自分ひとりであの険しい山々を見下ろしているのだろうか。
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心よりご冥福をお祈り申し上げます。
(了)