てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

両巨匠、並び立てる ― 小磯良平と東山魁夷 ― (3)

2008年05月20日 | 美術随想
小磯良平 その2

 小磯良平が女性像の名手であることは、いくら強調してもしすぎることはなかろう。だが彼は男性をまったく描かなかったのかというと、そういうわけでもない。

 先日まで美術館として使われていた小林一三の旧宅「雅俗山荘」では、玄関を入ってすぐのところに小林の肖像画が掛けられていたが、それは小磯の筆になるものだった。写真と見比べるかぎり、晩年の逸翁の風貌を余すところなく伝えているように感じられる。明治生まれの頑固親父が、好きな古美術品に囲まれて悦に入っているような表情。来年新しく生まれ変わるという逸翁美術館にも、やはりあの絵が飾られることを願いたい。

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『森』(神戸市立小磯記念美術館蔵)

 小磯良平は、肖像画だけではなく群像表現にも取り組んだ。当代を代表する画家ともなれば、おおやけの仕事が舞い込むのも当然で、緞帳や壁画、ステンドグラスなどをいくつか手がけているが、そんなところに個人の肖像を描くわけにはいかないからである。

 『森』(上図)は、劇場のロビーに掛けておくにはもってこいのモチーフだと思う。でも、この絵は公的機関からの委嘱で描かれたわけではないようだ。足掛け10年という、筆の早そうな小磯にしては異例なほどの時間をかけて、試行錯誤しながら仕上げられた作品である。サイズがずば抜けて大きいというわけではないのに、彼はなぜこの絵にそれほどてこずったのか?

 思うに、彼が西洋の伝統的な神話画や歴史画を熱心に研究したからだろう。多数の人物がひとつの画面のなかに登場し、複雑な構成力を要する絵画は「構想画」と呼ばれ、黒田清輝が『昔語り』という題材で取り組んだことはよく知られている(完成した『昔語り』は焼失してしまい、今となってはおびただしい下絵でしのぶしかないけれど)。

 しかし黒田が『昔語り』で描こうとした群像表現は、僧侶や舞妓などが出てくる日本の情景であった。小磯は、それを徹底して西洋風のモチーフで試みようとしたかに見える。『森』がどのようなシーンなのか今ひとつはっきりしないが、アルルカンの道化や上半身裸の女神のような女性たちが描かれ、皆それぞれに舞台上の俳優のような、ややオーバーともいえるポーズをとっている。ヨーロッパの古い時代の展覧会などを観ると、このようなタイプの作品に必ずお眼にかかるはずである。

 単独の肖像画を描くときは、アトリエの内部でモデルと差し向かいになり、好きなように注文をつけ、思ったとおりのポーズをつけることができるだろう。だがこれだけ人物がいると、下書きを繰り返しながら手探りで仕上げていかねばならないにちがいない。おそらく『森』にも多数の下絵が残されているのではないかと思う。東洋の島国で名声を得た洋画家が、あえて西洋の歴史的な題材に挑み、苦心して仕上げた努力の結晶である。

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『麦刈り』(姫路市立美術館蔵)

 小磯は群像を描く際、一風変わった浮彫りのような表現を用いることもあった。彼は古代のレリーフ彫刻のコレクションを有していて、それをヒントにしたのではないかという話を、小磯記念美術館のコンパニオンからうかがったことがある。そのレリーフはアトリエの棚の上に飾られていたが、阪神大震災で落下したため、今では複製に差し替えられているということであった。

 『麦刈り』(上図)は、そんななかでも代表的な一枚である。この絵は実験的な作品だという解説がされていたが、ぼくはむしろ古典的な均衡美というか、がっちりと構築された重厚さに強い感銘を受けた。レリーフが今でもメダルや記念碑に多用されるように、この絵にも後世に伝えるべき重要なことがらが刻印されているように思われた。小磯は同時代の美女ばかり描いていたわけではなく、文明の来し方を冷静な眼で探求し、そのうえに自己の表現を繰り広げようとしていたかのようだ。

 それにしても、右側に描かれたふたりの女性の手はおもしろい。4本の腕が、まるでアニメーションさながらに少しずつ上へ動いていくように見える(ついでにいうなら、足もそうだ)。貪欲な画家は、肖像画からは得がたい動きの要素をここに取り入れようとしたのだろう。

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『ヨットハーバー』(兵庫県立美術館蔵)

 小磯良平は静物画も盛んに描いているし、数は少ないが風景画もある。『ヨットハーバー』(上図)は、その貴重な作例のひとつだが、神戸住まいとしては描かずにおられぬような絵でもある。

 この絵は、おそらくこれまで紹介したどの作品ともちがって見えるだろう。繊維の質感まで伝わってくるような写実性から思い切って離れ、大胆な式面と幾何学図形のような単純な輪郭線で構成されている。背景の建物には多少の奥行きがあるが、手前の船にはそれもなく、何本ものマストが不規則に乱立して視界をかき乱す。物静かな肖像画とは、まさに対極にあるような絵である。

 前述したように、小磯はいかなる美術潮流にも流されることなく、みずからの表現を守りつづけた。しかし自己の領域に閉じこもったままの、内向的な男でもなかった。表現者としてのアンテナは、古典美術に対しても新しい美術に対しても、同じように向けられていたにちがいない。

 『ヨットハーバー』には、そんな小磯がモダンアートに寄せる密かな憧れがにじみ出ているように思う。時代が時代なら、かれはもっと前衛的な絵を描いていたかもしれない。しかし温厚な紳士である彼は、自分の選んだ道を大きく踏み外すことなく、85歳で世を去った。今から20年前のことであった。

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