てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

噴き出るマグマのように ― 片岡球子讃 ― (1)

2012年05月05日 | 美術随想

〔神戸市御影にある香雪美術館の外観〕

 片岡球子が大往生を遂げてから、4年が経つ。早いような気もするし、まだ4年なのか、という気もする。

 ぼくが「院展」にかよいはじめたころ、彼女はすでに老齢の画家だった。しかしその作品は、他の出品作家と比べてちっとも老いたところがなく、枯れたところもなかった。枠からはみ出してしまうような大胆な筆の運びや、眼が眩むほどの鮮烈な原色の乱舞は、「こんな日本画もあるのか」とぼくを驚かせた。

 しかし率直にいうと、球子の絵に魅力を感じていたわけではない。どちらかといえば繊細で流麗な線描と、心を落ち着かせる穏やかな色彩の日本画に惹かれていたぼくにとって、彼女の絵はあくまで異端であり、大いなる例外であり、日本画の王道ではなかった。世間でのしがらみに疲れ、絵画という閉じられた世界へ逃げ込みたかったぼくは、球子の絵とじっくり向き合う心の余裕をもたなかったのだ。

 今では、ぼくと美術との付き合い方も多少は変わってきている。まだ球子の人生の4割も生きていないが、教員の仕事をする一方でみずからの絵画に打ち込みつづけた彼女の強靭な生きざまは、芸術に“逃げ場”としての意味しか求めなかったナマクラな考えを叩き直してくれるかもしれない。

 ぼくはさんざん迷ったあげく、片岡球子の絵と真剣に対話するために、連休の一日を割いて神戸の美術館へと赴いた。

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 香雪美術館に出かけるのは、3度目ぐらいだと思う。いったい何年ぶりになるのか、覚えていないぐらい久しぶりの訪問だ。石を組み合わせた御影塀に囲まれて、こぢんまりとした、しかしよく整備された展示棟がある。香雪とは、朝日新聞を創設し、茶の湯もよくした村山龍平(りょうへい)の号である。

 入口をくぐって驚いたのは、これまでこの美術館では見たことがないぐらい大勢の見物客で賑わっていたことだ。連休のさなかということもあろうし、会期末が近づいているということもあろう。だが、さほど大々的な告知がされているとも思えないこの展覧会にこれほどの人が集まるとは、まったく予想していなかった。しかも一点一点、じっくり眺めている人が多いのに感心した。

 片岡球子はもはや、異端などではない。今はこれだけ多くの人々に親しまれている存在なのだ。球子の絵を「院展」という場で観ることはできなくなってしまったけれども、あの強烈なインパクトを誇る画面は、意外なほどたくさんの人の脳裏に焼き付いているのかもしれなかった。

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『枇杷』(1930年、北海道立近代美術館蔵)

 ああこの展覧会に来てよかった、と思えたのは、冒頭に『枇杷』が展示されていたからだ。ぼくはかつて麻田辨自(べんじ)という画家についての記事で、彼の絶筆『枇杷樹』という絵を取り上げたついでにこんなことを書いた。

 《枇杷という植物は、日本画にはあまり登場しないモチーフだろう。それも果実ではなく枝ごと描いた絵というのは、片岡球子に先例があるらしいが、他にはあまり知らない(片岡もまた、きわめて型破りな画家である)。》

 その“先例”を、実際に観ることができたのだ。けれども、この絵からのちの片岡球子を連想することは不可能に近かった。

 二曲一隻の屏風に、神経質な描線で枇杷の枝が描かれている。葉はときに表を見せたり裏を見せたり、きわめて複雑に絡み合っている。色彩はごく淡く、背景には何も塗られておらず、うっすらと格子状の線が引かれているのが見えるし、枝ぶりを何度も描き直した箇所もわかる。

 若き球子は、“写生の鬼”たることを自分に課していたのではないかと思えた。決して装飾に流れてはいないし、無駄な枝葉を削ぎ落とすことも考えていない。眼に見えるありのままを筆で再現しようと躍起になっている。そのせいか、巧みに描かれてはいるが、どことなく不器用な感じがつきまとうのである。

 この絵で球子は「院展」への初入選を果たす。25歳のときだ。しかし一人前の画家として認められるには、さらに長い年月が必要であった。悠々として歩むことをあらかじめ予期していたみたいに、彼女には103年という長大な寿命が用意されていたのだけれども。

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