ピエール=オーギュスト・ルノワール『手紙』(1895-1900年頃)
19世紀の終わりに近づいてくると、ルノワールの筆はいっそう丸みを帯びはじめる。色彩が拡散するようだった印象派時代と比べて、描かれたものの質感がずっしりと、揺るぎない存在でぼくの前にある。そんな感じがする。
『手紙』にあらわれているモチーフは、フェルメールのころから、人知れぬ心理的なドラマを象徴するものとして用いられてきた。けれどもルノワールには、そんな眼に見えないことはどうでもよかったのかもしれない。
ふたりの女性は仲睦まじく、ひとつの手紙を囲んでいる。有名な『ピアノの前の少女たち』を連想させる構図だ。便箋には何が書かれようとしているのか推理してみようという気にもなれないほど円満な、それだけで完結したシーンではなかろうか。
右側の女がかぶっている帽子は、室内にしては大袈裟で、実際にはあり得ないかもしれない。ただ、手前の女のドレスの赤色が、その帽子の花へと飛び移り、やがては水玉のように細かくなって背景の壁紙に散らばっていくおもしろさは、色彩を自在に操ったマティスの仕事をはるかに予告しているようにも思われる。
そして、画面の右下にさりげなく置かれたインク壺の役割も見逃せない。手前の女性が腕に巻いている黒いリボンと相まって、まるで重しのように、絵を引き締めているではないか。構図と色彩のバランスが見事に計算された、古典的な調和とでもいうべきものが、そこにはある。筆触分割から始まった印象派のひとりが、ここまでたどり着いたということに、ぼくはある種の感慨を禁じ得なかった。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール『自画像』(1899年)
最後に、もう一度ルノワールの自画像を。ただし、これは押しも押されもせぬ大家となった58歳ごろの作品である。
当時すでにリューマチの症状はあらわれはじめていたらしく、彼にとっては辛い毎日がつづいていたはずだが、筆運びはたしかだ。前に取り上げた若き日の自画像と比べると、あの眼光鋭かった青年画家がここまで円熟し、満ち足りた優しげな眼をしていることに、不思議な安心感を覚えずにはいられない。
時代の転換期に立ち会い、美の価値観も揺らぐなかで、みずからの信念とともに絵を描きつづけてきたルノワール。誰にも真似のできない、ひと眼でルノワールとわかる絵がたくさんあるなかでも、今回は作風の変遷を丁寧にたどることができ、充実したコレクションに心躍らされた。
やっぱり、絵はいいな・・・。そんな単純な喜びに満たされて、ぼくは美術館をあとにした。
(所蔵先の明記のない作品はクラーク美術館蔵)
(了)
DATA:
「ルノワールとフランス絵画の傑作 奇跡のクラーク・コレクション」
2013年6月8日~9月1日
兵庫県立美術館
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