てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

3世代の美術展 ― ポロック、セザンヌ、そしてダ・ヴィンチ ― (31)

2012年06月19日 | 美術随想
微笑の彼方へ その1


〔「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」のチケット〕

 ところで『モナ・リザ』は、世界一有名な絵画たる位置から降りようとする気配はまったくない。いわば不動のランキング1位である。

 だからこそ、といおうか、それなのに、といおうか、彼女はわれわれの前に容易に素顔をあらわしてはくれない。もちろんルーヴルへ赴けばガラス越しに謁見(?)することはできるが、フランスを出て海を渡ることは、今後二度とありそうにない。

 ただ、38年前に一度だけ、上野の博物館までお出ましになったことがあった。その2年前には、すぐ隣にある動物園に2頭のパンダがやって来て、日々長蛇の列が絶えることはなかったが、このときばかりはパンダよりも人間が描いた一枚の絵画のほうに人が集まったことだろう。

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 ところで、ランランとカンカンの来日にも、『モナ・リザ』の招聘にも、ともに当時の田中角栄首相が大きくかかわっている。「パンダ外交」という言葉があるように、1972年の中国との国交正常化を象徴するものとしてパンダが日本に贈られたのは周知の事実だが、そんな政治的な駆け引きとは関係なく、多くの無垢な日本人たちは「カワイイ、カワイイ」を連発してパンダの前に群がった。

 『モナ・リザ』が日本で展示されたときも、田中角栄がスピーチをおこなったという記録がある。今、美術団体の公募展に「総理大臣賞」というよくわからない賞はあるが、展覧会の開会式に総理が参列するというのはあまり聞いたことがない。『モナ・リザ』は、まさに国賓扱いであったのだ。

 だが、これはぼくの偏見だけれど、田中角栄に『モナ・リザ』のよさがわかっていたとはとても思えない。彼にとってあの絵が美しいかどうかは問題ではなく、世界一有名な絵だったから、外交の手段として眼をつけたのであろう。いや、田中氏でなくとも、『モナ・リザ』は有名になりすぎたぶんだけ、なかなかその真価が見極めがたい絵になっていることは事実である。

 たくさんの研究書が書かれ、テレビ番組が企画され、『ダ・ヴィンチ・コード』がベストセラーとなり、おびただしい複製をあちこちで眼にするようになっても、『モナ・リザ』はヴェールの向こうに隠れたまま、なかなか正体を見せてくれようとはしない。だったら、わざわざパリまで行ってお眼にかかったところで、無駄ではないかという気さえしてくる。

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〔会場となった複合文化施設「Bunkamura」〕

 田中角栄絡みの記憶を避けるためかどうかは定かでないが、このたびのダ・ヴィンチの展覧会は上野ではなく、渋谷で開かれた。といっても、ダ・ヴィンチの真筆が何枚も展示されるような豪華な内容ではない。

 国立新美術館から地下鉄に揺られること数分。あいかわらず人類のるつぼのように賑わう渋谷の雑踏を、騒音にまみれながら通り抜ける。多くの企業が、店舗が、あらゆる頭脳をしぼって宣伝合戦を繰り広げているように見えるのに、スクランブル交差点を渡る人たちは不気味なぐらい無反応だ。ある程度神経が麻痺していないと、こんなところで暮らせるものではない。

 ここに来るのは二度目である。前回はほとんど観光客気分で、渋谷駅のシンボルともいうべきハチ公像も見てみた。けれども思ったより小さな銅像で、ほとんど誰も眼にとめる人はなく、近くにある喫煙コーナーから流れてくる紫煙を一身に浴びつつ健気にも主人の帰りを待っている姿は、感動を通り越して気の毒になったものだ。

 台座の上に作られた像でさえこうなのだから、実際に駅頭にたたずんでいた冴えない老犬の姿に人々が注目してくれた昭和初期は、なんていい時代だったのだろう? 小さなもの、哀れなものに心をとめてくれるあたたかさが、あの当時の渋谷にはあったのだ。けれども今は・・・。

 こんなところにダ・ヴィンチの絵のような貴重なものを持ち込んで、本当に大丈夫なのか? 正直なところ、ぼくはそれが心配になった。

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