テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

★わたしとテスラ(1)

2005-08-28 01:46:09 | Weblog
少し思いで話につきあってください。
テスラとの出会いを考えると、実に長い道のりをへて、出会うべくして出会ったという感をぬぐえない。
テスラの名を最初に認識したのは、1980年代に新潮文庫で「サイエンス・スクランブル」という科学コラムのシリーズを編集・執筆したときのこと。だから、もう20年も前のことになる。その中で「マッドサイエンティスト特集」をやることになり、誰か適当な人はいないかとオカルト本を探していたときに偶然目にしたのがテスラだった。
テスラの名はそれ以前からなんとなく知っていたが、ちゃんと認識して、記事を読んだのはそのときが最初だった。
エジソンのライバルだった天才発明家。交流と無線で業績をあげたが、あまりの天才ゆえに世に入れられず、不遇な晩年を送った。しかし、ビーム兵器や地震兵器などを含むその超発明は、今も米ソが秘かに研究している超兵器の技術的ルーツとなっている。
オカルト雑誌の編集らしく内容は扇情的だったが、SFファンだったわたしの興味を引くに充分だった。早速、執筆候補に入れることにした。本にはほかにライヒ、ジョージ・デラワー、ノーマン・ディーン、ヘンリー・モレイ、ジョルジュ・ラコヴスキー、トーマス・ヒエロニムスなどの名が並んでいたが、通読した限りテスラほどの魅力は感じられなかった。
しかし原稿を書くとなると、オカルト本にたよっているわけにもいかない。他になにか適当なソースはないか。そう思って資料を漁り始めたときに最初に出会ったのが、物理学辞典の記述だった。
そこには、交流システムの発明者としてたしかにテスラの名前が挙がっていたのである。交流と言えば今わたしたちが使っている電気。その発明者というのは、考えてみれば大変なことなのではないか。それだけで間違いなく航空機のライト兄弟、電球のエジソン、電話のベルなどに比肩する大発明家である。
しかもその業績を記念して、国際単位にも名前が使われているという。
では、それほどの発明家がなぜ、オカルト雑誌のヒーローなどになっているのか?
このあたりの疑問から、わたしのテスラ病が始まったのだった。
                                               (この項続く)



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