藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

休B中の訪問に感謝。

2016-08-22 16:45:08 | 日記・エッセイ・コラム

 毎日が休養日が一年以上続いている。 一匹のマダニに、こんなにも苦しめられようとは思いもしなかった。

 テレビも見ず、奥様の報告と少しばかりの読書の毎日である。 しかし不思議と、そんな状態のほうが世の中がよく見えることがある。 世の中オリンピックに明け暮れていたが、近代オリンピックそのそもは、戦争で明け暮れする世の中を少しでも変えようと、クーベルタン伯爵が初めたと、小学校で学んだ記憶がある。 世の中はその逆方向に向かっているようである。 「核兵器の先制攻撃はしない方針」をオバマ大統領がちらつかせると、次回オリンピック開催国の安倍総理はイチャモンをつけた。

 いやはや、世界でただ一つの被爆国の総理の発言なのである。 ただただ呆れるばかりである。 自らも核兵器のスイッチをその手に持ちたいのであろう。 変なパホーマンスの為にリオまでお出かけしたようである。 マリオの変装や、ドラえもんの力を借りての演出であったらしいが、天下の総理大臣のすることかとあきれてしまった。

 SUMAPの騒動も何処かねじれている。 個人的にマネージャーとのつながりを切りたくない人情はわかるが、マネージャーも企業内の給料泥棒であって、ボランティアではない。 大人になり切れない中年を迎える男の決断としては、情けないかぎりである。

 「国民総活躍」等と掛け声は良いが、誰が子どもを生み、育て、その生活基盤を誰が支えるのか・・・・・。 そんな基本が見えてこない政策は、いずれ破綻する。 資本家の労働量不足を補う為に、幼い婦女子まで労働に駆り出した、明治時代の再来を思わせる政策に他ならない。 ゆとりある生活のために、いま何をすべきかが見えて来ない政策ばかりである。 そんな掛け声や、キャッチフレーズに乗っかった若者たちの行く末は、経済侵略による国際摩擦と、武力衝突しか布団の上からは見えてこない。

コメント (2)
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