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寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2859話) 遺品の切手

2019年10月24日 | 知識

  “中学生のときから収集してきたわが切手コレクションの一部を地元の生涯学習展に出品した。その会場で来場者から、故人となった親族らが集めた切手の処分に困っているという声を耳にした。昔発行された切手を現在購入するのなら専門機関のカタログを開けばいいが、昔の切手を売却する際はカタログに記された価値は全く当てにならず、未使用であっても保存状態からさらに値を下げるという。切手の額面を下回ることもしばしばだ。こんな私の知見を先の来場者に伝えたらとても驚いていた。
 そこで、私はこう提案した。「故人が愛着を持って集めた切手を二束三文で処分するぐらいなら、はがきや封書を出すときに本来の使途として貼ってみてはどうか。郵便局を通じてなら国内外への小包料金を切手で支払うこともできる」と。切手愛好家の団体に相談するのも一つの手だろう。収業者の意思をおもんぱかってから、切手をどうするかを考えてもらいたい。”(10月5日付け中日新聞)

 岐阜県可児市のアルバイト・谷口さん(男・70)の投稿文です。収集してきたものをどう扱うか?最近は豊かになったこともあって、収集趣味者は多い。本人ならまだしも、遺族となるとその処置の判断に迷ってしまう。その趣味を継ぐ人がいれば最高にいいだろうが、これは希有のことである。故人のものとドライ割り切って簡単に処分できる人はいいが、そこは人情があり、なかなかそうはいかない。そこで判断に苦しむことになる。量が多いと、つまでもそのままにしておけない。寄贈できるほどの価値があればいいが、個人の趣味程度ではこれもなかなか難しい。ボクの知り合いで、先祖からのものをどうするか、うまく見つけられて、肩の荷が下りたと言っていた。それほどに大変なのだ。生前に片をつけていてくれればいいが、長年の思いもあって、これはまず無理だ。そうであれば、亡くなる前にはどうして欲しいか、意思を示しておくことが絶対に必要である。
 ボクは一時ではあるが、記念切手を購入したことがある。見ていればきれいだし、まさに郵便局に乗せられた感じである。でも特にこだわることもなかった。今ではその切手をどんどん使っている。そう遠くないうちになくなるだろう。使用した切手を集めたこともあるが、これは迷うこともなくすぐに捨てられる。何十冊とあるアルバムは数冊に整理した。整理したアルバム以外、すべて捨ててもいいと言ってある。そういう面ではボクはもう整理ができつつある。


(第2856話) 二百十日 

2019年10月18日 | 知識

  “一日付け本紙サンデー版のクロスワードパズルを解いてみた。縦横のカギを頼りにマス目はどんどん埋まっていった。指定されたマスの計七文字は分かったが、その字を並べ替えて答えを導くことができなかった。
 三日の夕方になってその答えが「ニヒヤクトオカ」だと思った。漢字だと「二百十日」になる。そのような言葉があるのかをインターネットで検索してみた。二月の立春から数えて二百十日目に当たる頃は台風がよく襲来するため、農家はいっそう警戒を強めるべきだという教えがあったという。短大を出て会社員となり、それなりに社会経験を積んだつもりになっていた私だが、知らないことがたくさんあることを恥ずかしながら思い知った。”(9月22日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・川口さん(50)の投稿文です。この投稿文を読んで、確かに最近は二百十日という言葉は聞かなくなくなったな、改めて気がついた。そして知らない人も多くなっているのか。二百十日というと毎年9月初旬に当たる。今年は9月1日であった。台風はこの頃になるとよく日本を襲うのである。二百二十日と言う言葉も同じである。この機会に少し調べてみた。節分や彼岸などと同じ雑節の一つという。そして、二百十日は農業関係者にはよく知られていたようだが、あまり一般的ではなかったとある。ボクは一般的と思っていたが、ボクの家が農家だったからか。台風に襲われれば農作物の被害は大きい。農業関係者が気にするのはもっともである。そして台風は8月9月に上陸することが多いとあった。やはり二百十日を中心としている。
 今使われなくなったのは、台風が二百十日頃と限らなくなったからではなかろうか。今年など7月頃から10月までずっと騒いでいた気がする。最近は早くから情報が頻繁に流され、危機感をあおるからであろうか。でも言い過ぎて言い過ぎることはない。無駄になった対応も無駄ですめばこれに越したことはない。しかし、今年は台風15号、第19号など被害が実際に大きかった。被災者の皆様には悔やみをもうしあげたい。


(第2839話) 山登り陰で支える

2019年09月11日 | 知識

  “七月下旬、長野県松本市の北アルプス・蝶ケ岳に初めて登った。山頂を目指す道中に出会った女性は大きな荷物を背負っていた。私と同じくテント泊かと思って声を掛けたら山小屋の診療所でボランティアをすると語った。そのときの私は、このボランティアについてさほど深くは考えなかった。
 翌日、予定通り下山して自宅で日記を書こうと思い「蝶ケ岳」や「ボランティア」をキーワードにインターネットで検索した。その結果に驚いた。蝶ケ岳は北アルプスでは初心者向きの山とされている。だが過去には高山病で命を落とした登山者がおり、急病を早期に察知するための声掛け運動が展開されていることを知った。あのとき、女性が私に言っていたことを思い返した。「調子の悪そうな方がいたら早めに知らせてくださいね」登山者を支えるこんなボランティアがいたなんて!”(8月24日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・稲川さん(男・51)の投稿文です。登山を支えるボランティアは多い。アルプスなど高い山になればより多かろう。案内のガイド、調子が悪い人を診療する人、事故になれば救出、捜索する人など様々、数多くある。それだけ危険なのだ。山は低山といえど、決して軽々しく登ってはいけないものなのだ。ボクも一時山登りによく出かけたが、もう数年前からすっぱり止めた。やはり老いれば老いるほど危険である。人に迷惑をかけないうちに止めにした。ボクにはウォークがある。
 ボクも蝶ヶ岳へ登ったことがある。北アルプス初めての山だった。平成7年7月、職場の同僚3人で行った。蝶ヶ岳から常念岳、大天井岳、燕岳と2泊3日の登山であった。稲川さんが言われるように初心者向きの山であったろう。初めてのアルプスで、天候にも恵まれ、いい思い出である。その後白山や仙丈ヶ岳、宝剣岳へも登った。鈴鹿山脈は多くの山に登った。道に迷ったことや危険な目に遭ったこともある。山は慎重な上にも慎重が必要である。今登山はブームのようである。でも、決してピクニック気分で行くことがあってはならない。


(第2826話) 夏に大事「かきくけこ」

2019年08月14日 | 知識

  “地元の社会福祉協議会が月に二度開く高齢者向けのサロンで熱中症予防のための策をいろいろと教わりました。「かきくけこ」を心掛けると良いそうです。「か」は換気をして常に風通しをよくして傘で日陰をつくるようにします。「き」の休憩や休息を十分に取り、「く」のクーラーは上手に使うようにします。「け」は健康管理で体調に合わせて食べ物や服装などを調整し、「こ」は小まめな水分補給です。
 このサロンでは手足を動かす軽い運動や認知症予防の脳トレにも取り組んでいます。「かきくけこ」の実践も合わせて熱中症を吹っ飛ばし、この夏を乗り切りたいと思っています。暑さはこれからが本番です。皆さん、くれぐれもご自愛ください。”(7月20日付け中日新聞)

 福井県敦賀市の増門さん(女・85)の投稿文です。今年も熱中症の事故が頻発し、騒がれています。特に死に至るのは高齢者が多そうです。暑さに体が鈍感になることがあるようです。そんな中、増門さんはその対策として「かきくけこ」の心がけをサロンで聞かれました。どれも一理あるでしょう。覚えやすいように「かきくけこ」です。ボクもこの歳になって、横着で事故を起こしてはそれこそ笑われものですから、今年は特に気をつけています。今年くらい、自宅のクーラーをかけて過ごしたことはありません。外仕事も気になりますが、最小限にしています。熱中症は突然やってきます。もう10年以上前になるでしょうか、ボクは熱中症になったことがあります。まだまだ用心をしなければならない気候が続くでしょう。この夏も無事乗り切って秋の楽しみに向かいたいと思っています。


(第2793話) 風に吹かれよう 

2019年05月31日 | 知識

  “スーパーの出口付近で親子らしきり男性と男児の姿が目に留まった。男性はしゃがんで男児の両手を自身の手で包み込んでいた。「お父さんがさっき怒った訳はね・・・。落ち着いた声で話し掛け、男児は神妙に聞いていた。男性はいつもこんな調子で子どもに接しているのだろう。怒鳴ったり殴ったりしなくても子どもは最後は理解してくれることを知っているのだ。
 明治生まれの義母の教えを思い出した。「小さい子がぐずって手に負えなくなったら外へ連れ出しなさい。風に吹かれ、空を見れば機嫌はすぐに直ります」と。私たち夫婦は長女と長男を授かった。企業戦士が美徳とされた昭和の世で夫は仕事に忙しく、一人で育児を担った私は義母の教えに何度も救われた。
 昨今、子どもへの虐待が相次いで報道されている。密室での育児が問題の背景にあるようだが、子どもについ手を上げてしまいそうになったら、ぜひ親子で風に吹かれてみてほしい。”(5月12日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・国島さん(74)の投稿文です。「風に吹かれよう」けだし名言と感じた。一概には言えないかも知れないが、外に出れば気分は全く違ってくる。内にいるとつい内に向きがちで、狭い心になってしまう。逆に外へ出れば、気分も外に向かう。広々とした気分になる。国島さんのお母さんの教えでは、赤子でさえそうであるという。そうなるとこれはもう理屈ではない。自然のなせる技である。本来そうできているのである。ボクは元来外に出たがる性分である。じっとしていても外の方がいい。草取りも嫌いではない。家にいてボクの至福の時間は、藤棚の下でサマーベットに寝転がることである。これからこんな時間が多くなろう。そんなボクだから国島さんの投稿文に納得である。親子で風に吹かれよう。


(第2792話) 青春再び

2019年05月29日 | 知識

  “JRの「青春18きっぷ」を購入して日帰り旅行を楽しんでいます。その名称から若者しか使えないと思っていましたが、年齢は問わないことを最近知りました。三月初旬に京都府の伏見稲荷大社へ出掛けました。その二週間後、兵庫県の姫路城を訪ねました。さらにその半月後、京都へ行って二条城と東寺を見て回りました。  名古屋-京都間は新幹線なら三十分ほどですが、青春18きっぷだと在来線を乗り継がねばならず二時間以上かかります。事前にインターネットで時刻表を調べながら一緒に行く仲間と計画を立てることが楽しくて。気持ちが若返ってきます。青春18きっぷの次の販売は夏。「どこへ行こうか?」。考えるだけでわくわくしてきます。”(5月8日付け中日新聞)

 愛知県江南市の農業・青山さん(女・68)の投稿文です。青山さんが「青春18きっぷ」を使うのに、年齢を問わないことを遅がけながら知られたことは良かった。まだまだ時間はあります。これからが本当の青春かも知れません。
 ボクが青春18切符を使うようになったのは、いつの頃からかはよく思い出せない。学生時代に使ったことがあるかも知れないが、使ったとしても多くはないだろう。はっきり覚えているのは、40代後半にウォーキングの会に参加を始めてからである。春、夏、冬、その時期になると仲間とうまく利用し合った。京都や鎌倉へは毎年のように使って出かけた。特に鎌倉へは12月第3日曜日に10年間使った。尾張一宮駅を午後11時半頃出る東京行きの夜行快速列車があった。後に「ムーンライトながら」というようになります。まず12時を越える駅まで普通切符を買います。そしてその後は18切符を使って東京に行き、鎌倉を10数キロ歩いてその日のうちに尾張一宮駅まで帰ります。こうすると東京往復が3100円くらいで済みました。ムーンライトながらになる前は、非常に堅い4人相迎えの椅子で眠るどころではありませんでした。非常な強行軍でしたが、若かったからできたのでしょう。今となっては懐かしい思い出です。私はまだ使ったことがないが、老人向けの割安切符もあるようです。いろいろ知識を得て、お得感を楽しむのもいいでしょう。


(第2778話) つえデビュー

2019年04月26日 | 知識

  “左膝に痛みが出たのが一月終わり。二月初めに受診したところ、膝の骨の壊死と分かった。つえを使って膝の負担を減らすように言われた。三週間後に再び受診。まだつえを持っていない私を見て、先生がすぐ使うよう言われたので、翌日購入した。でも次の日は雨。その翌日は自転車で買い物と、なかなか使えない。
  意を決して次の日、恐る恐る使ってみる。つえと手と足の動きがうまくかみ合わない。えっ、つえって難しい。体が痛くなった。二日目、昨日よりはぎごちないけど使えている。やはり体が痛い。三日目、体が斜めに傾いている私を見た友人が「つえに力を入れず、普通に歩くようにして力を分散させるんだよ」と教えてくれた。四日目、デパートヘ買い物に行った時、つえがあると荷物は片手でしか持てないことが分かった。そんな当たり前のことに気付かなかった。友人が「ひとつ賢くなったね」と笑った。  だんだん慣れて、階段の上り下りも、なんとなくスムーズになった。時々、つえと同じ方の足が一緒に出て、「あれっ」と思うけど、その都度修正している。手術をしないで済むよう、頼りにしてますよ。つえさん、お願いね。”(4月8日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・川上さん(68)の投稿文です。体験して初めて知ることは多い。この話で杖もそうであった。使ってみて、その難しさを知った。不便さも知った。杖を使う人の多くは体が不自由である。その上の杖であるから不自由な訳である。でも、その不自由な体を助けるのである。上手に使わざるを得ない。
 こうした体の補助具は車椅子を始めいろいろ開発されている。今では重いものを持つための補助具もある。ボクは今のところ何のお世話になっていない、と思ったが、考えてみればメガネも立派な補助具である。中学生の時からお世話になっている。もう体の一部である。老いるほどに補助具に頼ることが多くなろう。やせ我慢をせず、上手に使うことも必要であろう。


(第2761話) 放課

2019年03月22日 | 知識

 “「『放課』と一緒で方言ですよ」。一宮市の多くの小中学校が体育館を「屋運」と呼ぶ理由を調べる中、愛知教育大副学長の中田敏夫さん(66)に言われた。東京出身の私にとって、この「放課」もなかなかなじめない言葉。「放課後とは違うの?」との疑問がいつも浮かんでしまうからだ。
 放課は県内で学校の授業と授業の合間を指す。授業後の時間は全国的にも「放課後」と呼ぶが、授業間は「休み時間」だと思う。なぜこの地域だけこう呼ぶのか。調べると、明治時代の規則に準じ、昔は全国的に放課を使ったそう。屋運同様、変えずに使い続けた「オンリーワン」だった。
 「愛知には、方言のような学校用語が結構ある」と中田さん。模造紙を「B紙」と言うのも独特らしい。着任から二年。やっと「放課」の疑問も解けた。今後、学校にアポイントを取る際は「放課に合わせて行きますね」と気兼ねなく言えそうだ。”(3月7日付け中日新聞)

 「モーニング」と言う記事欄からです。ボクは今まで、この記事に出てくる「放課」も「屋運」も「B紙」も方言と思っていなかった。この新聞記事を読んでも「そうなのか」と思う程度である。この後も方言だからできるだけ使わないようにしよう、とはとても思えない。そのようなことを気にしていたらもう書けないし、話せない。ボクの手元に「一宮地方の方言集め」と言う本がある。その中から、ボクには方言と思っていない、いくつかを拾い出してみる。あいさ(間)、あんじる(心配する)、うらっぽ(梢)、かいもん(買い物)、きしょく(気持ち)、きつい(強い)、くど(かまど)・・・・拾い出したらキリがない。多分この「話・話」でも方言と知らず、いくつも使ってきたのではなかろうか。人前で話す機会の多いボクであるが、今でも語尾になまりがある。会話を文章にされると、ボクだとすぐに解ってしまう。今更である。気にしないでいる。方言は面白い。話題にもなる。こうして記事にされるとより興味が増す。


(第2737話) 救命処置

2019年01月28日 | 知識

 “私が住む地域の広域連合消防局が主催する「上級救命講習」を受講し、救急隊員から救命処置や応急手当てを教わりました。私は一昨年、同消防局の「普通救命講習」を受けましたが、今回はさらに詳しい内容が学習できました。
 目の前で人が倒れたときそばにいる人ができる応急手当てを救命処置と呼ぶそうです。講習では人形を使い、心肺蘇生の手順と自動体外式除細動器(AED)の使い方を学びました。隊員によると一般的に救急車が到着するには早くても数分かかり、その間心臓マッサージやAEDなどの救命処置を正しく行えば救命の可能性は高まるとのことでした。
 一般市民が救命処置を全て一人でするのは難しく、救急車を呼ぶ人、AEDを持ってくる人、心臓マッサージをする人とその場に居合わせた皆で協力する必要があります。今回のような講習を受けることは有意義だと私は思いました。”(1月9日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・加藤さん(男・55)の投稿文です。今は各所でAEDを見かけるようになった。設置が進んでいる。そして、それが活用された記事もよく見かける。命が助けられ、また後遺症が軽くなる。器具があって、それを使える人があって可能なことである。救命処置の講習を受けた人も多くなった。両輪が伴ってきたのである。
 ボクも一宮友歩会で、消防署で講習を受ける企画を2回ほどした。2回目は平成27年2月のことで、ちょうど4年前になる。皆、熱心に受けた。どんなものか知った。でもその場に立った時、本当にできるだろうか。自信はない。でも誰も行わなければやらざるを得ないだろう。この時の講習が役立つことを期待したい。でも1人の人にそれ程機会がある訳ではない・・・あっても困るが。これにはできるだけ多くの人が知識を持つことである。消防署や病院側には講習をする気持ちは十分にあるだろう。防災訓練など講習する場を提供することが必要ではなかろうか。


(第2703話) 手書き文字

2018年11月19日 | 知識

 “引っ越し作業の疲れからか右腕を後ろに回すと痛かったので、自宅近くの接骨院を初めて訪ねました。施術はとても丁寧で、おかげで少し楽になった気がしましたが、会計のとき、次回の予約券を渡されました。受付の若い男性スタッフが書いてくれた私の名前を見たら、殴り書きのように記入されていました。私は「待っている患者がそんなにいるわけでもないのに」と少し腹立たしくなりました。手書きだったため、つい感情的になってしまいました。
 接骨院にはその後二回行きましたが、予約券を見るたびに不愉快な気持ちが湧いてくるため、通院をやめてしまいました。「もう少し寛容に受け止めるべきだったかしら」とも思いますが。
 やはり受付は訪れた人や客との大切な接点です。字のうまさは人それぞれですが、相手に渡す書面にはもう少し気を配ってもらえたらと思いました。”(10月29日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・岩田さん(女・56)の投稿文です。手書き文字が人に与える印象は思っている以上に大きい。第一印象になる場合も多い。第一印象は後々まで影響を及ぼす。岩田さんのこの投稿がまさにそれを表している。医師には快く思っていたが、事務員の乱雑な文字から通院を止めてしまったと言われる。こんなこともあるのである。ボクが思うにこの事務員の文字は、殴り書きでも何でもなくてこんな文字しか書けなかったのではなかろうか。今はそんな人が多いのである。今の学校や親は成績は重視するが、文字の綺麗さなど重視していないのである。昔は読み書きソロバンと言って、これができなければいけないし、これができればいいとされた。昔と言ってもボクの親の時代までである。時代と共に書きとソロバンは軽視されてきた。ボクはこれは間違いだったと思っている。いくら時代が変わっても、毎日、書くことと計算は必要である。最低限のことである。ボクは習字を習わなかったことを非常に悔いて過ごしてきた。孫の文字は全くひどい。妻はくどく注意しているが直らない。テストで読みにくい文字は減点させるといいと思うが。孫にこの投稿文を読ませるつもりだ。