“中学生のときから収集してきたわが切手コレクションの一部を地元の生涯学習展に出品した。その会場で来場者から、故人となった親族らが集めた切手の処分に困っているという声を耳にした。昔発行された切手を現在購入するのなら専門機関のカタログを開けばいいが、昔の切手を売却する際はカタログに記された価値は全く当てにならず、未使用であっても保存状態からさらに値を下げるという。切手の額面を下回ることもしばしばだ。こんな私の知見を先の来場者に伝えたらとても驚いていた。
そこで、私はこう提案した。「故人が愛着を持って集めた切手を二束三文で処分するぐらいなら、はがきや封書を出すときに本来の使途として貼ってみてはどうか。郵便局を通じてなら国内外への小包料金を切手で支払うこともできる」と。切手愛好家の団体に相談するのも一つの手だろう。収業者の意思をおもんぱかってから、切手をどうするかを考えてもらいたい。”(10月5日付け中日新聞)
岐阜県可児市のアルバイト・谷口さん(男・70)の投稿文です。収集してきたものをどう扱うか?最近は豊かになったこともあって、収集趣味者は多い。本人ならまだしも、遺族となるとその処置の判断に迷ってしまう。その趣味を継ぐ人がいれば最高にいいだろうが、これは希有のことである。故人のものとドライ割り切って簡単に処分できる人はいいが、そこは人情があり、なかなかそうはいかない。そこで判断に苦しむことになる。量が多いと、つまでもそのままにしておけない。寄贈できるほどの価値があればいいが、個人の趣味程度ではこれもなかなか難しい。ボクの知り合いで、先祖からのものをどうするか、うまく見つけられて、肩の荷が下りたと言っていた。それほどに大変なのだ。生前に片をつけていてくれればいいが、長年の思いもあって、これはまず無理だ。そうであれば、亡くなる前にはどうして欲しいか、意思を示しておくことが絶対に必要である。
ボクは一時ではあるが、記念切手を購入したことがある。見ていればきれいだし、まさに郵便局に乗せられた感じである。でも特にこだわることもなかった。今ではその切手をどんどん使っている。そう遠くないうちになくなるだろう。使用した切手を集めたこともあるが、これは迷うこともなくすぐに捨てられる。何十冊とあるアルバムは数冊に整理した。整理したアルバム以外、すべて捨ててもいいと言ってある。そういう面ではボクはもう整理ができつつある。