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寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2701話) 一雨一度

2018年11月15日 | 知識

 “わが家は、豊かな自然がいっぱいの静かな山村に住む三世代、七人家族です。テレビで気象予報土が、これからの季節は「一雨一度」と言っていました。雨が降るごとに気温が一度下がるとのことで、なるほどそうなんだと、興味深く聞き入っていました。
 ここ岐阜県・聞ケ原は伊吹おろしの直下。時には新幹線も止めてしまう雪の名所。昔から積雪量は「一里一尺」と聞き伝わっています。伊吹山から一里遠ざかるごとに、雪の積もる量が一尺減るという意味。現代の言葉で言えば「四キロ三十センチ」ということです。
 滋賀県境あたりから四キロ伊吹山寄りなら、三十センチ雪が深く、四キロ南なら三十センチ浅いということ。本当にその通りで、うまく言っているなと思います。
 朝、家を出るときは大降り。長靴をはいて駅まで行くとぐっと小降り。大垣駅前ではからっから。そんな経験は何度かありました。勤め先に着くと、みんなから心配されたり、慰められたり。でも、私は雪自慢、「明日は屋根の雪下ろしに来てね」などと、楽しい雪談議に花が咲いたものです。最近はあまり降らなくなり、ありがたい半面、何か寂しい思いがしています。”(10月25日付け中日新聞)

 岐阜県関ケ原町の農業・相撲さん(男・82)の投稿文です。この時期一雨ごとに寒くなる。これは長年、身に沁みて思ってきたことである。でも「一雨一度」という言葉は知らなかった。日本には味わいのあるいい言葉があるものである。「一里一尺」と言うのもいい。これはその地域の言葉である。まさに地方文化である。
 ボクの家は相撲さんから比べれば、はるかに伊吹山から遠いが、それでも伊吹おろしの影響を受けている。空風が吹く。それで大根切り干しを作る。ボクは今の所から知多半島に通勤していた時がある。雪で長靴を履いて家を出る。ところが勤務地は快晴である。苦労して出てきたのにと、力が抜けてしまう。相撲さんと同じ経験である。
 ところでボクの地方にこんな言葉はないか。何かあるだろうが、考えてみたが思い当たらない。こういう言葉は伝えなければ残らない。ボクは昔からの行事や言い伝えを残さねばいけない、と思ってきた。長老と言われ人に話したこともある。でもまだ何もできていない。最近長老が次々と亡くなった。もう時間はない。立たねばいけないだろうか?


(第2698話) 看護師のユーモア

2018年11月09日 | 知識

 “総合病院の眼科に通っています。先日、椅子に腰掛けて薬を点眼してもらう順番を待っていました。私の番になったとき、看護師長が真面目な顔で「いくら私がベテランでも眼鏡を掛けていてはさせませんよ」と。病院とは重苦しい雰囲気が漂うものですが、このやりとりで周囲は大笑いして場は和みました。私は少し恥ずかしかったもののユーモアに癒やされました。
 訪れた別の病院では診察の順番を待っていたら、呼び出しの放送が聞き取れませんでした。姓はともかく名は自分だと確信し、私は診察室へ向かいました。すると看護師長が「名前は一緒ですが名字が違います。あなたは次の次です」と。迷惑をかけていますが、私は楽しい通院生活を送っています。”(10月21日付け中日新聞)

 三重県桑名市の吉田さん(男・76)の投稿文です。ユーモアは日常生活に非常に必要なものである。特に病院など気持ちの重いところではその価値を発揮するだろう。それがこの投稿文である。1番目の話はつい微笑んでしまう。2番目の話はユーモアと言うより、老人にはありがちなことである。ボクは高齢の至りで、一部の言葉が聞き取りにくい。聞き取れなかったり、違って聞こえる。若い人には理解できないことなのだろうが、ユーモアを持った対応を願いたい。
 ユーモアは日本人に不得手と言われるが、ボクもその部類である。ボクの知人に得意な人がいて、いつも人を笑わせていた。いつか話の中心になっている。羨ましい人である。そう思ってもユーモアは一朝一夕には行かない能力である。下手なユーモアでは返って場をしらけさせる。難しいものである。日頃からの気持ちであろう。まずは気楽に話すことであろうか。


(第2676話) 奇をてらわず

2018年09月24日 | 知識

 “皆さん、こんにちは。これまで脳の発達と加齢、そしてどのような生活習慣が脳の発達に有用かをお話ししてきましたが、今回をもって、この連載の最終回としたいと思います。
 運動や睡眠、食事が重要であること。楽しい趣味を持って、多くの方とコミュニケーションを取り続けることが脳の健やかな発達を促進し、健康な脳を保っていく上で大切だと語ってきました。
 ストレスをコントロールしつつ、ささやかながら日々の生活を幸せと感じることが肝要であることもお話ししてきました。どれも当たり前のことであり、当然のことをしっかり継続して行うことこそが、健康脳の維持に大事であると強調してきました。裏を返すと、奇をてらったことは往々にして正しくないことが多いということです。「○○は認知症を予防するから、○○だけをたくさん食べなさい」とか、「××だけをするとよい」とか、そんなことはほとんどありません。栄養バランスのよい食事や適度-な運動、十分な睡眠など、均衡の取れた生活習慣こそが最も重要なのです。一つのことだけに気を配るのではなく、運動をして食事にも気遣いつつ、趣味の活動も行うなど、複数のことを行うことで、より脳の健康が保たれることも分かってきています。(後略)”(9月5日付け中日新聞)

 東北大加齢医学研究所の滝靖之教授の「いきいき健康」からです。時折拾い読みする程度で、あまり熱心に読んだ欄ではない。最終回という事で目についた。世の中、健康についての記事で溢れている。まずは健康であることが願いの第1であろうから、当然である。しかし、あまりに情報が溢れ、何を信じて良いか分からない位である。その中には極端なものもある。バナナなり納豆なりいいと流れれば、店頭になくなるほどである。関心の程が分かる。そして、次から次へと情報は変わっていく。ボクの信じることはひとつ「極端に走らない、いろいろなことをする」である。これも食事に限らず運動もそうである。これが自然であるし、楽でもある。そして、滝教授のこの文である。「奇をてらわず、当然のことをしっかり継続して行う」これが話の中心であろう。ボクの姿勢を肯定してもらったようなものである。食事は1日30種類を食べようという話もある。これはまさに偏らない、何でも食べることである。運動の様々は体の箇所を満遍なく動かすことである。これにはウォーキングやラジオ体操がいい。最近ボクは、口の体操も大切なことを知った。ボクは昔から文武両道を考えてきた。頭を使うことと体を使うことである。その結果の今が、川柳や「話・話」とウォーキングである。滝教授の言われる「奇をてらわず」、これは自然であり、自然は楽である。


(第2651話) 気付こう

2018年07月31日 | 知識

 “外から見えにくい障害や病気のある人への配慮を促す「ヘルプマ-ク」を愛知県は二十日から配布するという。私は大腸の難病を患っている。幸い今は症状が落ち着いているが、埼玉県に住んでいた数年前は入退院を繰り返していた。体調が悪いときは通院や通勤時に電車内で立っているのがつらかった。外見からは分からない病気のため優先席に座るのは気が引けて、かばんにヘルプマークを付けて座るようにしていた。
 私にとってお守り代わりだったヘルプマークのおかげで席を譲ってもらったことがある。関東地方で大雪が降った日、満員の駅のホームで立ったまま一時間待ってやっと乗れた電車内で私のかばんのヘルプマークを見た女性が声を掛けてくれた。疲れ切っていた私はありがたく座らせてもらった。あのとき席を譲ってくれた女性には今も感謝している。今度は私が誰かのヘルプマークに気付く番だと思っている。”(7月16日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の図書館職員・染谷さん(女・31)の投稿文です。ヘルプマーク、最近新聞等でも紹介されている。この「話・話」でも扱ったことがあると思う。社内の優先席、このことにも何度も触れた気がする。見た目に明らかに弱者と分かる人にも譲らない優先席である。見て分からない人に譲られる訳がない。染谷さんのこの投稿は、ヘルプマークが役だった話である。しかし、この文で気になったのは、ヘルプマークが役立ったのはこの1回であろうか。何かそのように読み取れる。
 ボクはもう73歳である。まだ老人ではないと若気ぶっている身でもない。最近、ボクは優先席が空いていれば素直に座る。先日、ボクは優先席に座っていた。明らかに高齢の弱々しい人が乗ってきた。どうしようかと見ていると、その人は優先席に座っている若い人に向けて、替わってくれと要求したのである。そして座ったのである。こんな光景を見るのは珍しい。替わってくれとはなかなか言いにくい。言われて文句を言う人はきっとある。今の時代、どんなトラブルになるかも知れない。こんな時、ヘルプマークはきっと役立つと思う。しかし、問題は多くの人の認識である。弱者のマークはかなりある。どれほどに認識されているのであろうか。


(第2641話) 固定電話

2018年07月10日 | 知識

 “娘が小学生になってからわが家の固定電話が活躍するようになった。わが子が通う幼稚園と小学校はいずれも保護者の連絡先などが載った名簿を家庭に配っていないが、町内の子ども会では個人情報の一部が載った名簿が配られ、それを見た友達が小学生の娘に「遊ぼう」と電話をかけてくる。家族に電話を取り次ぐのは何年ぶりだろう。結婚して十二年目だが、夫への電話を取り次いだことはこれまでに一度もない気がする。
 私が子どもの頃、家族に電話を取り次ぐことでそれぞれの交友関係を緩やかに把握していた。家族の目と耳を気にしつつ男の子からめ電話に出たりドキドキしながら男の子の家に電話をかけたりしたことが懐かしい。親戚からの電話なら親に取り次ぐ前に一言二言話したものだ。それが今はたいてい直接個人の携帯電話にかかってくる。便利になった半面、人との関わりが減ったことが私は寂しい。”(6月21日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・伊藤さん(36)の投稿文です。今では固定電話のない家庭もあるようになった。若い家族ではかなりあるのではなかろうか。携帯電話は個人のもの、固定電話は家族共有のもの、大きく違うのである。世の中、いろいろな面で個人単位になっているが、それが家族までに広がっている。これは、伊藤さんの文でも分かるように繋がりを希薄にしてるのである。
 ボクはスマホを、妻は携帯電話を持っているが、それだけに頼っている訳ではない。固定電話にもよくかかってくる。お互い取り次ぎもよく行う。伊藤さんの文にもあるように、取り次ぐ前に一言二言話す人もある。伊藤さんは「人との関わりが減ったことが私は寂しい」と言われる。36歳の伊藤さんにしてこのように言われるのではあるから、70歳超えのボクらにしたらどんな思いだろうか。
 問題がない時は一人一人の方が楽でいい。ところが人生、問題ばかりである。その時は人の助けがいる。その時平生の繋がりが生きてくる。新聞等を読んでいると、一人で悩んでいる人がいかに多いかを知る。本当に住みよい社会に進んでいるのだろうか。


(第2613話) 治水の遺徳

2018年05月13日 | 知識

 “江戸時代の木曽三川の治水工事に携わった薩摩藩士の遺徳をしのぶ例大祭が二十五日、岐阜県海津市の治水神社で営まれる。私は、今年も訪ねようと思っている。
 外様だった薩摩藩は幕府の命に従い洪水や疫病に悩まされながら工事を完了させた。鹿児島県出身の私は幼いときにそのことを知り、いつか先人が偉業をなした地に行ってみたいと思っていた。四十年以上前に初めてその地を訪れたとき、住民の高齢女性に神社の場所を聞いたら、「薩摩さま」と言って手を合わせた姿が今も忘れられない。
 現在海津市の一部となっている旧平田町の名は工事を指揮した薩摩藩家老平田靭負にちなんだという。住民の義理堅さには本当に感服させられる。”(4月19日付け中日新聞)

 愛知県知多市の外野さん(男・74)の投稿文です。木曽三川分流、薩摩藩士の史跡は海津市に近い愛知県、岐阜県、三重県では至る所にある。功績が非常に大きかったことと、その悲惨さであろうか。歴史は過酷ですね。権力を保つために、一方に無理を強いる。今の日本は大丈夫だろうか。何かそんな匂いがプンプンする。
 治水神社にボクは何度も行っている。一宮友歩会でも行っている。木曽川と長良川に挟まれた中洲に建つ。今も薩摩藩士の遺徳をしのぶ例大祭が行われているのですね。歴史に学ぶこういう行事は大切にしたいものです。今では橋を渡っていくことができ、治水神社の北側には国営木曽三川公園が整備され、一大イベント地区になっている。訪れる人も多くなったでしょう。治水神社を多くに人に知ってもらいたいものです。
 一宮友歩会では史跡を訪ねることを大きなテーマとしている。今年から三重県編を始めた。数年後には桑名市へも行くだろう。桑名市には海蔵寺という薩摩義士の墓所がある。歩いてたくさんの歴史を知りたいと思っている。


(第2579話) 新聞配達

2018年03月01日 | 知識

 “昨年12月31日の朝日新聞朝刊をもって、私たち夫婦は42年間の配達を終えました。新聞配達はもともと、お小遣いがほしいからと娘が始めました。数年頑張りましたがやめたいというので、彼女の担当だった25軒分を引き継ぎ、徒歩や自転車で手分けして配ることにしました。続けないと迷惑がかかると思ったからです。それから今までけがもなく、無事終えることができて感謝の日々です。
 毎朝、お寺と地蔵堂の前で一日の無事をお祈りして始めました。2人とも会社勤めをしていたので、配達の後、出勤しました。会社や田畑で元気に働くことができたのは、早朝からの配達が健康の源になったからだと思います。
 区切りをつけたきっかけは、1年前の大雪でした。もうそろそろ引退してもよろしいよ、という天の声だったのかもしれません。やめる時、販売店にねぎらってもらいました。また、正月には2組の娘夫婦、孫、孫夫婦、ひ孫が集まったにぎやかな食事の席で、「おじいちゃん、おばあちゃん、42年間ご苦労さまでした」と花束を贈られたのです。感激で胸がいっぱいになりました。”(2月9日付け朝日新聞)

 滋賀県豊郷町の澤さん(女・81)の投稿文です。毎日毎日、雨の日も風の日も毎日ほぼ同じ時間に起きて、同じように配る。していない人からすれば凄いことです。それも42年間、80歳超えるまで。澤さんが言われるように、多分これが健康の源だったと思います。ふしだらな生活に健康はありません。
 配って貰う人にとっても生活習慣がある。遅く取りに行く人ばかりならあまり気をつける必要はないかもしれぬが、ボクのように朝5時を待って取りに行く人もいる。取りに行ってないとその日の順序が狂う。するといろいろなことで間違い犯す。朝というのは邪魔が入らなく、自分の順序通りにこなして行くことがしやすい。一番効率的な時間である。一番充実している。ボクはこの生活をもう20年もしている。新聞配りの人はこんな人の期待に応えねばならない。本当にご苦労様である。
 実はボクも新聞配りには思い出がある。多分小学5年の頃だったと思うが、同級生が新聞配りを始めて小遣いを持つようになった。ボクも小遣いが欲しくなって販売所に申し込んだ。配る順序も教えて貰い、いよいよ明日からという時になって、父親が知って断ってきてしまった。それでボクの新聞配りの体験はなくなってしまった。父親はなぜ怒って断ってしまったのか、理由はよく知らない。子供が小遣いを持つのがよくないと思ったのであろうか、今となっては分からない。


(第2563話) 湖上の水田

2018年01月26日 | 知識

 ”湖上に浮かび、舟でしか行くことのできない水田が滋賀県近江八幡市にあることを昨年知った。「権座(ごんざ)」と呼ばれているそうだ。同じ県内に長年いながら、私はそれまでまったく知らなかった。
 つなぎ合わせた小舟に鉄板を置き、その上に農機具を載せて田んぼまで運ぶ。収獲物も舟で岸まで運ぶという。転覆の危険もあり舟の上での作業には時間を要する。通常の稲作の何倍も手間がかかるだろうが、地元の人たちが田を守るために汗を流している。人と人とのつながりを大切にしながら集落を守ろうとする地元住民のひたむきな姿勢に私は感動すら覚えた。
 昨年は骨折して現地に行くことはできなかったが、今年は収穫期の風景を見に行きたいと思っている。”(1月14日付け中日新聞)

 滋賀県彦根市の主婦・松本さん(79)の投稿文です。「権座」、初めて聞く言葉です。水郷の町、近江八幡ですからそんな知恵もあったのだろうと、納得できます。昔、大名が大きな川を渡った時にやった舟橋のようなものでしょう。これほどまでにして稲作をし、水田を守った来たのかと、日本人の知恵と苦労に感慨を覚えます。現代はそんな知恵も放棄し、休耕田を増やし続けてきた。時代の流れというのはこんなものなのでしょうか。今では貴重な風景でしょう。
 少し風景は違いますが、ボクの隣村に「島畑」というものがあります。田んぼの中に小さな畑が点々とあります。水田を開墾する際に、導水できる高さまで土地を掘り下げた際に出る残土を水田の中に積み上げたもののようです。昔は各地にあったようですが、隣村の島畑は、残された貴重な風景のようです。ここにも先人の知恵や苦労があります。そう遠くない時期になくなるでしょう。今のうちに見ておかれるのもいいでしょう。


(第2556話) ユズ

2018年01月11日 | 知識

 ”冬至にはカボチャを食べて、ユズ湯に入ってー思えば、ユズのように季節行事に絡む果物は、ほかにないのではないか。秋口に青い実をつけて、冬を迎える頃きれいな薄黄色に熟す香酸柑橘類。さわやかな酸味と上品な香りは和の雅を感じさせ、古くから親しまれてきた。
 ユズを湯船に浮かべるユズ湯は、江戸時代の湯屋で始まったという。寒さが厳しくなる時期、よく温まり、しかも香りや色に癒やされるとあって、広く定着したのもうなずける。
 和食の世界においては、料理を引き立てる名脇役だ。中身をくりぬいて使う柚子釜、料理に添える松葉柚子などの飾り切りこなどは、いかにも優美。果皮の一片を添えるだけでも、どこか特別感が漂う。(後略)(12月17日付け中日新聞)

  食のライター・清水ふみえさんの「旬のフルーツもの思い」からです。我が家にもユズの木はある。あまり手入れをしないから当然かもしれないが、あまり大きなユズはならない。でももったいない精神でそんなユズも使い切る。もっぱらユズ湯である。今は毎回湯に浮かんでいる。そんなユズを手で持ち、匂いを嗅ぎ遊んでいる。ユズは季節行事に絡む最大の果物かは、ボクには分からない。我が家にはあるから身近である。ない家では買ってでも使うのだろうか? 聞いてみたいものだ。あるというのはありがたいものだ。少し調べて見ると”寿命が長く病気にも強い柚子の木にならって、柚子風呂に入って無病息災を祈る風習になった”とある。我が家の柚の木も古くなった。
 今年はカボチャも長持ちした。そしてお陰で冬至に食べることができた。冬至にカボチャを食べると風邪を引かない、という。現にこの冬はまだ風邪を引いていない。


(第2551話) 安全運転サポート車

2018年01月01日 | 知識

 明けましておめでとうございます。日課のひとつになり、ライフワークともなったこの「話・話」を、一話でも多く届けられるように、今年も精進していきます。ご愛読の程よろしくお願い致します。

 “一宮市篭屋三の尾西自動車学校では、市内の老人クラブの役員ら七十人が、四台の運転支援機能付き乗用車に試乗。障害物にぶつかりそうになると自動でブレーキがかかる機能や、アクセルとブレーキの踏み間違いによる急発進を防ぐ機能などを体感した。
 一宮署が学校や県自動車販売店協会(名古屋市)の協力で初開催。自動ブレーキを体験した市老人クラブ連合会の加藤絡会長(八四)=一宮市小信中島=は「初めて乗ったが、しっかり止まるので驚いた。信頼しすぎはいけないが、私たちには助かる機能だ」と話した。
 署によると、県内では今年に入り、高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違いによる人身事故が六十四件起きている。年齢を重ねれば運転能力はどうしても鈍るといい、同署の加藤政治交通課長は「運転支援機能は高齢者の事故抑止に効果が見込める。今回の体験が運転を見つめ直す機会になってくれれば」と話した。”(12月8日付け中日新聞)

 記事からです。続いて車の運転の話である。実はこの講習会にボクも参加したのである。そして、ボクの顔が新聞にもテレビに映っていたのである。それを人から言われたこともある。人は見ているものだとびっくりした。
 自動車学校の中であるので、スピードは10km程度で走っていた。それでも急に止まると凄い衝撃である。予期していてもびっくりする。これが50kmや100kmで走っていたらとんでもない衝撃になるだろう。このことだけでも気をつけねばと改めて思った。
 そしてこの乗車体験をして、この車への買い換えを本気で思っている。この車にすれば被害者になることはあまり避けられないかも知れないが、加害者になることは大幅に避けられるだろう。被害者になっても今更加害者にはなりたくない。主催者から5人以上にPRして下さいと言われたが、ボクはもう100人近い人にPRしたのではないか。何せ老人クラブの委員会で話したのだから。そして印象にあるのは警察署長の言葉である。「高齢者に今までは免許返上を訴えていたが、元気な高齢者にこれからは安全運転サポート車に買い換えて活動して下さい」と訴えると言われたことである。