今回の地名は「魚洗川」
読みとしては超難解、横綱級です。
島原では「いわらご」、北目の方では「いわれご」と呼んでいます。
「魚」…「うお」を島原では「いを」と言います。
「洗」…「あらう」です。「魚洗」で「いをあらい」
「川」…「こ」 (川を「こ」と読む地名は多くあります)
「魚洗川」の上の3つの読みが合わさって「いわらご」(「いわれご」)です。
「魚洗川」の由来は、千々石で取れた魚を島原まで運ぶとき、魚が傷まないようにここの川で洗っていたとことによるものだそうです。
江戸時代、島原半島には4つの街道がありました。そのうちの一つに千々石道がありますが、これは島原から田代原を越えて千々石に通じる道です。山越えの難路ではありますが、長崎に行くには最短のルートで、坂本龍馬が通ったとも伝えられています。
さてその昔、この魚洗川には山越えの道で一休みするための茶屋が数軒あったと言われています。
声に出して「いわらご」と言ってみると、なんとも言えない歴史のロマンを感じさせる響きがあります。
この魚洗川茶跡も、先日の雲仙の帰り道に偶然発見しました。
「烏兎の杜」の看板横に「魚洗川茶跡」の標識があります。
田代原から国道389号線「国見魚洗川」を下っていくと百花台に出ます。その途中にありました。
読みとしては超難解、横綱級です。
島原では「いわらご」、北目の方では「いわれご」と呼んでいます。
「魚」…「うお」を島原では「いを」と言います。
「洗」…「あらう」です。「魚洗」で「いをあらい」
「川」…「こ」 (川を「こ」と読む地名は多くあります)
「魚洗川」の上の3つの読みが合わさって「いわらご」(「いわれご」)です。
「魚洗川」の由来は、千々石で取れた魚を島原まで運ぶとき、魚が傷まないようにここの川で洗っていたとことによるものだそうです。
江戸時代、島原半島には4つの街道がありました。そのうちの一つに千々石道がありますが、これは島原から田代原を越えて千々石に通じる道です。山越えの難路ではありますが、長崎に行くには最短のルートで、坂本龍馬が通ったとも伝えられています。
さてその昔、この魚洗川には山越えの道で一休みするための茶屋が数軒あったと言われています。
声に出して「いわらご」と言ってみると、なんとも言えない歴史のロマンを感じさせる響きがあります。
この魚洗川茶跡も、先日の雲仙の帰り道に偶然発見しました。
「烏兎の杜」の看板横に「魚洗川茶跡」の標識があります。
田代原から国道389号線「国見魚洗川」を下っていくと百花台に出ます。その途中にありました。
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