闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

『民衆のイスラーム』を読む②ーー聖なるイメージ

2009-03-28 14:44:29 | イスラーム理解のために
『民衆のイスラーム』紹介、続いては阿部克彦氏による第6章「民衆のなかの聖なるイメージ」。イラン(スンニー派)を中心にして、イスラームと具象的イメージによる表現の問題が取り上げられる。

阿部氏の議論の出発点は、「神アッラーは不可視であり、直接見ることはできない存在である。ムスリムが礼拝の中心にすえるメッカのカアバ神殿もキスワ(黒布)で覆われいてる。「聖なるもの」「大切なもの」はベールの向こうに隠されるべきものであるとされている」という原則である。
しかし、イランにはこの原則に反するとおもわれる事例が数多く見うけられる。
「現代イランの墓地を見てみると、例えばテヘラン郊外にあるベヘシュト・ザフラーは、おもにイラン・イラク戦争で亡くなった兵士や空襲の犠牲になった人びとの墓地として建設された。なかにはいってみると、墓石の上には小さな祠のようなガラスケースが建てられ、生前の愛用品、殉教者の写真などがかざられている。(中略)しかし、預言者ムハンマドのハディースのなかには、墓に画像を描くことを厳しく断罪しているものがある。ムハンマドは、弟子たちが訪れたことのあるエチオピアでは、死者を祀るために祠を建て、その壁面には人物像が描かれていることを知り、神が彼らを罰するであろうと述べるという伝承が残されている。イスラームでは、死者は土葬され、副葬品なども認められていない。そして墓もモスク内部につくることは許されないなど、厳しい規定が存在する。」
そこで、現実を前に阿部氏は自問する。「このような制約があるなかで、どうして現代のイランでは、とくに殉教者の写真をおくことが許されているのだろうか」と。そしてそれを、シーア派に見られる殉教者哀悼の伝統と結び付けて考えようとする。
またイランには、現代における墓地の光景に限らず、歴史的にもイスラーム信仰の根幹にかかわる具象的なイメージが数多く残されている。
「預言者ムハンマドの姿を描くことは、現代の多くのムスリムにとっては許しがたい行為であるが、歴史上は写本絵画に多く登場し、現存する作例も多い。とくにムハンマドの言行や生涯を描いた作品のなかに描写され、顔をベールで隠した作品もあるが、なかには顔が描かれたものも存在する。13世紀のラシードゥッディーンによる『集史』の写本は、モンゴルのイルハン朝期にイランで制作され、いくつかの作例が現存しているが、このなかでムハンマドの事績を描いたページには、ムハンマドの誕生の図から、生涯のさまざまなできごとや「昇天」の図が描かれ、ターバンをかぶり、髭を蓄えた姿で描写されているのである。これらの図像が生まれた背景は明らかではないが、写本は、非ムスリムも多かったモンゴル系、あるいはトルコ系の王朝の支配層のために制作されたものである。その意味からも、特殊な作例であると考えられるが、ムハンマドの「夜の旅」図に関しては、その後ティームール朝以降も文学作品の写本に繰り返し描かれた。」
小ブログの記事(「スーフィズム探求⑤ーーカリフの権威喪失とともに隆盛へ」3月3日)でも考察したが、阿部氏はイルハン朝がこうした図像表現の転機になったのではないかと推測し、その背景にスーフィズムの存在を推定する。
「預言者の神秘的な体験を描いた図像の発達の背景には、宮廷や王侯貴族から、広く民衆のなかに浸透したスーフィズム(イスラーム神秘主義)があった。」
なぜ、スーフィズムがこうした図像表現と結びつくのか。阿部氏の推論をもう少しくわしく追ってみる。
「スーフィズムは、長らくイスラーム世界で信仰の中心にあった。有力なスーフィー教団は時として権力層と結びつく場合もあったが、多くの場合、民衆の信仰の中心的存在として機能してきた。歴史的には、宮廷内で活躍した画家たちの多くがスーフィー教団の一員であり、神秘主義的思想に感化されていたことは間違いない。スーフィズムの思想やシンボルが、芸術作品のなかに隠されたかたちで挿入されたが、現代のわれわれがその意味するところを正確に解釈することは難しい。光と闇、神との合一、神への愛などは、スーフィーの好んだテーマであったが、具体的に芸術作品にあらわされたとき、れを正しく読み解くことは現代人にとって困難な作業である。しかし、「夜の旅」図は、預言者ムハンマドの神秘的体験を追体験し、神の御許に達しようとするスーフィーにとっての象徴であると解釈される。あるいは、神との合一をめざすための道のりを象徴する霊的な旅ととらえることもできるのである。」
こうした推論の結果、阿部氏は、聖者やスーフィーが民衆の信仰の拠り所となるシンボル表現と深く結びついていると結論づける。
「イスラーム世界の民衆は、偶像崇拝をかたく禁じているイスラームの教義上の制約のなかでも、身近な存在として、信仰の拠り所となる画像、シンボルを要望した。その受け皿となったのが、聖者やスーフィーであり、またイスラーム以前から受け継がれたさまざまな文様、図像をうまく取り込んできた。」
しかし阿部氏の指摘はこれで終わりではない。議論を終えるにあたりこの記事の冒頭で紹介した原則に立ち返り、イランにおいてこうした具象的表現が数多く見うけられるにもかかわらず、基本原則はあくまでも貫かれていると、阿部氏は最後に指摘する。
「ただし、民衆、法学者、支配層の区別なく、ムスリム共通の認識としてあるのは、誰にも等しく「神は見えない」のである。」