喜びの種☆

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天の数歌

神嘗祭

2019-10-02 16:36:05 | こよみ
ナカツキ十六・十七日(旧暦九月十六・十七日・神嘗祭・西暦十月十六・十七日)


「神嘗祭」
宮中祭祀の大祭で、天照大神にその年の初穂を奉納する儀式、
五穀豊穣の感謝祭にあたります。
神嘗祭は明治六年の太陽暦改暦以前は旧暦九月十七日でした。
改暦後、西暦の九月十七日に実施となりましたが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、
明治十二年以降は月遅れとして十月十七日に実施されています。
神嘗祭は神宮の正月ともいわれ、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」と呼び、
伊勢の民衆は奉祝の行事を行います。









ホツマツタヱの三十六アヤに、
「イクメ(垂仁天皇)二十六年九月十六日、イセのウチミヤ(神宮内宮)に
アマテルカミのミタマのお遷し(祭祀ヤマトヒメ)が執り行われ、
同十七日夜にミタケハシラ(真の御柱・スヘラギ(天皇)の身長)を納め祭りました。」
とあります。
神嘗祭はアマテルカミのイセミヤお遷しの奉祝行事がその源にあります。
 ※以下ヤマトヒメカミシヅムアヤ(ホツマツタヱ三十六アヤ)より抜粋。


ミトセのち トヨスキよはひ   
モゝミつで みつえならすと   
みならわせ かねてねかえば   
このたびは ヨシコおうちの   
ヲミコとし みたまげかつぎ   
イヰノより イソヘにうつし   
しつめます
           

トヨスキヒメはモモミツ(百三歳)のご高齢で、
ウチ(アマテルカミのウチミヤ)のヲミコ(ミツエシロ)を
三年の見習いを果たした「ヤマトヒメ・ヨシコ」に任せることになりました。
ヤマトヒメはミタマゲを担いで、イヰノ(飯野、タカミヤ、神山神社)から
イソヘ(イソミヤ磯神社・伊勢市磯町、あるいは、
伊蘇上神社・多気郡多気町大字相可?)にお遷しして鎮め祭ります。


よきみやところ       
サにありと わかごおやれば   
ゐすずがわ フモヤヨロほの   
サルタヒコ わかごにいわく   
われむかし カミのたまもの   
サコクシロ ウヂミヤにいれ   
アラミタマ ヤヨロほまちし


「良きミヤトコロ、サ(南)にあり。」との噂が伝わってきましたので、
ワカコを遣わしたところ、ヰススカワ(五十鈴川)に至りますと、
フモヤヨロホ(二百八万歳)のサルタヒコがワカコに告げます。

「われ昔、カミ(アマテルカミ)からの賜り物を
サコクシロのウチミヤ(アマテルカミの晩年のご座所、伊勢・内宮)に入れ、
アラミタマ、ヤヨロホ(八万年)待ちました。」


カンタカラ あまつひつぎの   
サカホコギ うつくしきすず   
ワイキタチ カゝンノンテン   
ときまちて ミチあらわせと   
おぼろげの ものならすかれ   
こにもゑず そのぬしおまつ   
これさづけ ナカタうまれの   
ツチギミは もとにかえらん   
もちかえり つげよとてさる
   

「カンタカラは、「アマツヒツキのサカホコギ」、「ウツクシキ・スス」、
「ワイキ・タチ」(ツルギ)の三種です。
アマテルカミよりの申し渡しです。

『カカン・ノン・テン、時待ちてミチ表せ』
簡単ではないことですから、コニモヱズ(亡くなることを得ず)して、
お渡しするべきヌシを待っておりました。」
 ※アマテルカミのご遺詔はホツマツタヱ二十八アヤ。

サルタヒコはワカコにミクサのカンタカラを渡し、さらに伝えます。
「ナカタ(滋賀県高島郡内)産まれのツチキミ(へりくだった言い方)は、
モトに帰らん。このカンタカラを持ち帰り、そのように告げよ。」
と言って去る、サルタヒコでした。


おゝわかご かえりもふせば   
ヤマトヒメ ウヂにいたりて   
みていわく これかんかぜの   
イセノミヤ ミクサはまつる   
みなもとゝ いやまひかえす   
アグライシ

            
父のオオワカコは、戻って報告します。
ヤマトヒメは早速にウヂ(内宮の場所)に至り、見て仰いました。
「これは、かんかせ(カンカセ)のイセノミヤです。
ミクサは祭るミナモト、イヤマヒ(尊敬)をかえすアマテルカミご存命時代の「アクライシ」もあります。」


オゝハタヌシと        
ヤソともに ヰソすゝはらの  
くさからせ おちこちやまの  
きおきらせ もとすえもとし  
まなかもて おゝみやはしら  
しきたてゝ チギタカしりて  
ミヤなれは ミカドにもふし  
ミコトノリ
          

ヤマトヒメは、ウチのミヤ(内宮)の場所をここに定められました。
オオハタヌシや随身のヤソ(八十)人の人たちに、
ヰソススハラのクサ(草)を刈らせ、オチコチ(近遠)ヤマの木を伐らせます。

木材のモト(元)、スエ(末)、モトシ(逆にして)、マナカをもちて、
オオミヤハシラを敷き立てます。

チギ(千木)は、タカ(日の出と日の入・東西・春秋)をシ(為し)りて、
ミヤが成り、ミカド(皇居)のイクメのキミに報告します。
イクメのキミのミコトノリです。


ミカサのをとゝ         
いわひぬし ワタラヒトミは   
カンヌシに アヘタケヌガお   
みかわりと ワニクニフクお    
うちかわり モノベトチネお   
みうえから タケヒアサトお   
みこかわり おのおのもふて
   

『ミカサのヲトト(ミカサ・カシマ)をイワイヌシとします。
ワタラヒトミ(渡会臣)はカンヌシに、アヘ・タケヌガをミカワリ(天皇代理)に、
ワニ・クニフクをウチカワリ(皇后の代理)に任じます。
モノヘ・トチネをミウエカラ(皇太后代理)に、
タケヒ・アサトをミコカワリ(皇太子代理)に任じます。
各々、詣でてください。』


フソムほの ナつきソムのか   
ヲヲンカミ ヰソスゝかわの   
サコクシロ ウヂにわたまし   
ソナかのよ ミタケハシラお   
をさめしむ これスヘラギの   
みつからの たけのみやこに   
ソロいのり あめかせのふし   
ほとよくて ゆたかになれと   
ふしやすみ いやまひもふす   
みめくみや
 
          

イクメ(垂仁天皇)フソム(二十六)年、ナツキソムノカ(九月十六日)、
ヲヲンカミ(アマテルカミ)のお遷しが執り行われます。

五十本目のマサカキの樹が自ずと生えたヰソススカワの
サコクシロのウチのミヤ(伊勢神宮・内宮)にわたましが行われ、
ソナカ(九月十七日)の夜にミタケハシラ(真の御柱)を納め祭りました。

ミタケハシラとは、スヘラギ(天皇陛下)のおん親(みず)からの
タケ(身長)を測り写して作るものです。
それは、ミヤコ(皇居)にて、ソロ(田畑の作物)の順調なる成長を祈り、
雨風、ノフシ(台風)の程が良くて豊かになれと臥して澄みイヤマヒ(敬い)て
ノト(祝詞、祈りの言葉)を申す、御恵みに通じるのです。


カミもよろこび         
つげいわく むかしわがすむ   
サコクシロ しきなみよする   
イセノミヤ ながくしつまり   
まもるべし トヨケノカミと   
モロともぞ ヤマトヒメより   
これおつぐ キミよろこびて   
にぎてなし トヨケノカミえ   
サオシカは ミワノミケモチ   
いわひとは たにはミチウシ   

カミ(アマテルカミ)も、お喜びにて告げて仰います。

『昔わが住むサコクシロのシキナミよするイセのミヤ、
長くしつまり守るべし。トヨケノカミともろ共ぞ。』

ヤマトヒメよりイクメのキミへ言上いたしました。
イクメのキミは喜ばれて、
早速トヨケカミの鎮まりますアメノマナヰ(京丹後市、此沼真名井神社)に
ニキテを持ちて、サオシカ(勅使)を派遣なさいます。
トヨケのカミを伊勢にお遷し申し上げるためのサオシカには、
ミワのミケモチを、イワヒト(祝い人)はタニハ・ミチウシが任ぜられました。


クニヌシの カミのおしえは   
ヲヲンカミ つぎおおほして   
イセノミチ ヤモひとくさお   
いけめぐむ かれかつをヤぎ   
チギのうち そくはウチミヤ   
うちかろく ヤタミゆたかに
   

ヲヲンカミ(アマテルカミ)は、継ぎ(世継ぎ子を得ること)を願われて、
「イセのミチ」(夫婦円満の極意)をお説きになりました。

ヤモヒトクサ(全国民)を活かして恵むものですから、
カツヲキはヤキ(八本)です。

チギのウチ(内)をそぐのはウチミヤ(内宮)です。
ウチ(内)を軽くして、タミを豊かにとの願いの表しです。


またトヨケ サカホコのノリ   
アメのほし コくらあらわし   
カツヲコギ チギはトをそぐ   
かれトミヤ ウチあつくいづ   
タミのちゝ おそれみちえよ   
ウチミヤは キミはゝのこお   
めくむノリかな
 
        

トヨケカミは、「サカホコのノリ」を強調なさいました。
アメのホシ「コクラ」(九星・中心とトホカミヱヒタメ)を表す、
カツヲキはコギ(九本)です。

チギはト(外)をそぐので、トミヤ(外宮)です。
ウチを篤く「いつ」(イツ・心を尽す)のタミのチチ(国民全体の父親)の役割です。

畏れ、ミチを学び得るようにしなさい。
ウチミヤ(内宮)は、母親が子供を恵み愛しむような、
キミ(天皇陛下)が国民を愛しみ恵むノリ(定め・役割・精神)なのです。


参考:
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。
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