映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「シューマンの指」奥泉 光

2011年01月03日 | 本(ミステリ)
音楽の深淵にふれ、ミステリであることを忘れる

シューマンの指 (100周年書き下ろし)
奥泉 光
講談社


          * * * * * * * *

まずはこのピアノの鍵盤を模した装丁がいいですね。
この本は、音楽の深淵へ私たちを導いてくれるのですが、
しかし、間違いなくミステリなのでした。


音大受験生の「私」は、天才美少年ピアニスト、永嶺修人(まさと)と知り合います。
彼はシューマンに惹かれ、その音楽理論も並みのレベルではない。
まずは「私」と修人の出会いからその後について、順に手記のように描かれています。
「私」は修人の才能に一目を置くばかりでなく、
次第に彼そのものを恋い焦がれていくようになっていくのですが・・・。
実際には、天才と呼ばれる修人のピアノ演奏を「私」は3回しか聞いたことがありません。
その一度目の描写がすばらしいですよ。
卒業式の夜、学校の音楽室で一人ピアノを弾く修人の演奏を
外のテラスにいる「私」が漏れ聞くシーン。

輪郭の明瞭な決然たる響きは、
月の光に照らされた音楽室の隅々まで行き渡り、
手で触れられる物質のように満ちあふれ、渦を巻き、
しかしここでも、ていねいでやさしい慈しみが、音の棘や角を消し去って、
ぶあつくて滑らかな肌を持つ官能の大波が、
聴く者の躯を幾重にも押し包んだとき、
全身の毛という毛を逆立てた私は、
おおう、おおう、と喉の奥で叫びながらまたも熱い涙を流した。


シューマンの幻想曲ハ長調。
といっても、全く私には見当もつきませんが・・・。
音に陶酔することの表現がすごいですね。
音楽は常に私たちの気づかぬ底の方で豊穣に流れていて、
演奏家はそれがほんの少し表層に上がってきたところをすくい取るだけ
・・・そのように語る永嶺少年の言葉などに、
私ものめり込んでしまい、
ついこれがミステリ小説であることなどすっかり忘れていました。

が、なんとこの演奏が終わった直後に事件は起きるのです。
夢見心地のところを、たたき起こされる感じです。
一人の少女の死。
一体これがどのように関わってくるというのか・・・?
さらにまた、終盤で「私」の目前で修人は指を切り落とすことになる。
もちろんピアニストとしては致命傷。
そして30年の後、「私」の元に、修人が外国でシューマンを弾いていたという噂が届く。
一体そんなことがあり得るのだろうか・・・。


この本はラストで二転三転、くるくるとその世界観が変わります。
その大波に翻弄され、何だか酔ってしまいそう。

始めは音楽の世界に浸り、
次には血なまぐさい普通のミステリ。
(実はここで一度がっかりしました。・・・なあんだ、そんなことなの?と。)
しか~し、実はそうではない。
さらなる衝撃が私たちを襲います。
そうして私たちは音楽の世界に戻っていく。
時には人の心を危うくもする、音楽という計りしれないモノに思いを馳せる・・・・
これはそういう構造の物語なのでしょう。

う~ん・・・堪能しました。

満足度★★★★★



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