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「邪悪なものの鎮め方」 内田樹

2014年04月19日 | 本(解説)
邪悪なものを聖なるものに

邪悪なものの鎮め方 (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋


* * * * * * * * * *

「邪悪なもの」と遭遇したとき、人間はどうふるまうべきか?
「どうしていいかわからないけれど、何かしないとたいへんなことになる」
極限的な状況で、適切に対処できる知見とはどのようなものか?
この喫緊の課題に、ウチダ先生がきっぱりお答えいたします。
村上春樹『1Q84』の物語構造、
コピーキャット型犯罪が内包する恐るべき罠、
ミラーニューロンと幽体離脱、
被害者の呪いがもたらす災厄、
霊的体験とのつきあい方から、草食系男子の問題にいたるまで、
「本当ですか!?」と叫びたくなる驚愕の読書体験の連続。
不透明な時代を生き延びるための「裏テキスト」。


* * * * * * * * * *

「邪悪なものの鎮め方」とはまた、オカルトめいた題名で、
内田樹氏が陰陽師のごとく現代にはびこる物の怪をバッサバッサと切り捨ててくれるのかと思いきや、
そうとも言えるし、またそうとも言えない。


氏は「神聖なもの」と「邪悪なもの」の根っこは同じとしています。
人間の理解を超え、人間の感覚では知覚できず、人間の尺度では図ることのできない何か。
それが、人間を成熟に導くものであれば「聖なるもの」と呼ばれるし、
逆に生命力を減殺したり生きる知恵を曇らせたりするものを「邪悪なもの」と呼ぶ。
どちらにしても、人間は制御することができない。
では私達はそれにどう対峙すればよいのか。
根っこが同一のものであるとすれば、
私達人間の側で「邪悪なもの」を「聖なるもの」にカテゴリー変換すればいい、というのですね。
まあ、ここでそれだけを聞いてもピンと来ないかもしれませんが、
本作を読んでいくと納得させられていきます。
内田氏の本の中では読みやすいと思います。
いくつか、納得させられたところを、チョッピリご紹介。


「子ども」の数が増えすぎた世界」
ここでいう「子ども」は実際の幼少の「子ども」にあらず。
「成熟」していない人のこと。
システムに対して「被害者・受諾者」のポジションを
無意識に先取するヒトのことを指しています。
システムの不都合に遭遇した時に「責任者出てこい!」という言葉が口に出るタイプ。
このあと、システムをコントロールするものを精神分析で「父」と呼ぶ・・・と
少し話が難しくなるのですが、
なるほど「モンスターペアレント」とか「モンスタークライアント」などという言葉が横行する今、
確かに「子ども」が増えているのでしょう。


「呪いのナラティブ」
近頃「批評的言説」があふれていることについて、
これは「呪い」の語法であるといいます。
彼らは「他者が何かを失うこと」を自らの喜びとしている。
それは「偏差値教育」の効果なのでは?と。
学習塾で学校より先に進んでしまった子どもたちは、
私語する、歩きまわる、騒ぎ立てるという風にエスカレートするが
彼らはそれを「勉強している」ことにカウントしている、と。
まことに手厳しい。
教育行政がこれをなぜ見落としているかといえば、
官僚たち自身が「他人のパフォーマンスをさげること」で今日の地位を得てきたから。
・・・ううむ、根深いですね。


「邪悪なものの鎮め方」内田樹 文春文庫
満足度★★★★☆


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