ある肖像画家の内的冒険
「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」
「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編」
* * * * * * * * * *
その年の五月から翌年の初めにかけて、
私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。
夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた…
…それは孤独で静謐な日々であるはずだった。
騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
* * * * * * * * * *
私、新米ハルキストですが、本作は発売前から予約して入手しました。
真新しい2冊。
ワクワクしますね。
しかし、一抹の不安は「イデア」とか「メタファー」の言葉。
う~ん、実に苦手です。
辞書を引けば一応のことはわかるけれども、
どうもきちんと自分の中に落ちない。
が、つまり読み終わってからわかるのですが、
本作はつまり全体で「イデア」と「メタファー」の意味を限りなく詳しく説明しているのだ
とも言えるのかもしれません。
それにしても、そんなしっかりした知識のない私が
わかったふりをして何かを書いても、
とても陳腐なものになってしまうと思うので、
断片的に感じたことを書き並べていこうかと思います。
ストーリーは、主人公の"私"が、別れた妻とまた共に暮らし始めるまでのこと・・・。
そいうことで「ねじまき鳥クロニクル」に近いかもしれません。
でも、そもそも別れた妻とどうなるのかは
初めからきちんと書いてあるんですよ。
9ヶ月の結婚の解消期間を経て、またもとに戻ったと。
しかしその9ヶ月間に、"私"は
「正体不明の大渦に巻き込まれた泳ぎ手のような」体験をします。
その体験の詳細が書かれてあるのがこの本です。
まずは、穴の話。
やはり出てきましたね、井戸というかここでは「石室」です。
真っ暗な穴の底はつまり、自己の無意識とか深層の世界。
村上春樹さんには欠かせない。
ここでは「その昔、僧が即身成仏するために作られた穴」らしいとされていて、
夜な夜なそこから微かな鈴の音が聞こえてくるのです。
ちょうど夜遅くそのシーン読んでいて、怖くなってしまいました・・・。
そこは重機でなければ持ち上げられない大きな岩で塞がれているのに・・・。
そこを暴くシーンもドキドキします。
私は本作で、良いと言われる絵画の意味がわかったような気がします。
絵には言葉にできない自己の心の奥底が顕れるものなのでしょう。
"私"は画家で、生活のために一般受けする肖像画を描いていたのですが、
ここでは自分のために描きたいものを描こうとします。
でもやはり肖像画なのですが、そこに描かれるのは人物の表層ではなくて、
相手の深層。
そしてそれは同時に書き手である画家の深層でもあるのでしょう。
"私"が手がけた「まりえ」という少女と
「白いスバル・フォレスターの男」の絵は、
つまり"私"の両面を表しているのだと思います。
「まりえ」は彼の妻であり、少女のまま亡くなった彼の妹でもある。
多分それは彼の中の理想であり、希望、善きもの、光。
一方、「白いスバル・フォレスターの男」は"私"の中の暗部。
憎しみであり、恐怖、悪しきもの、闇。
そのどちらもついには未完成のままとなるのですが、
それはまだ"私"が生きていて完結していないからなのかもしれません。
このように思うと、冒頭にも語られる「顔のない男」とは何なのか。
私にはこれは自分自身の顔なのではないかと思えます。
つまりそこでは自画像を描くのが正解・・・?
な~んてね。
ところで、よくわからないのが免色氏なのです。
本作では彼がいなければ話が成り立たない重要人物。
謎の人物ではありますが、表面的にはなかなか好人物です。
が、どこか油断ならないところもある。
結局"私"にとってどういう意味を持つものだったのか、
私にはまだ考えが及びません。
これまでの村上春樹だと「絶対悪」の化身みたいな人物が登場するのですが、
彼はそういうわけでもなさそうだし・・・。
単なるナビゲーターというわけでもなさそう。
「色を免れる」免色とは、「色彩を持たない」多崎つくると何か同根の物があるのか?
どなたかのお考えを拝聴したいところです。
ストーリーと直接関係はありませんが、
一つ腑に落ちたのは、雨田具彦画伯のこと。
高齢のため認知症状が進み、何もわからなくなっているのです。
けれど、"私"は言う。
「だけど、魂は生きている」。
ああ、ぽんと手を打ちたくなりました。
認知症で何も思い出せない、思考できない。
けれどそれで人は死んだと同じなのではない。
魂は、生きているのですね。
だから人は最後まで人として尊重されなければならない。
「魂は生きている」この言葉で、
私の中でなんだかもやもやしていたものが、スッキリしたように思います。
まとまらない話で申し訳ないですが、
色々なシーンで色々な考えが湧いてきて、興味の尽きない作品なのです。
受け取り方は人それぞれで良いのだと思います。
村上春樹の小説は、つまり心の奥底の「メタファー」なのでしょうね・・・。
本作で言う「絵画」を「小説」に置き換えれば同じこと。
「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」
「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編」 村上春樹 新潮社
満足度★★★★★
「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」
![]() | 騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編 |
村上 春樹 | |
新潮社 |
「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編」
![]() | 騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 |
村上 春樹 | |
新潮社 |
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その年の五月から翌年の初めにかけて、
私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。
夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた…
…それは孤独で静謐な日々であるはずだった。
騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
* * * * * * * * * *
私、新米ハルキストですが、本作は発売前から予約して入手しました。
真新しい2冊。
ワクワクしますね。
しかし、一抹の不安は「イデア」とか「メタファー」の言葉。
う~ん、実に苦手です。
辞書を引けば一応のことはわかるけれども、
どうもきちんと自分の中に落ちない。
が、つまり読み終わってからわかるのですが、
本作はつまり全体で「イデア」と「メタファー」の意味を限りなく詳しく説明しているのだ
とも言えるのかもしれません。
それにしても、そんなしっかりした知識のない私が
わかったふりをして何かを書いても、
とても陳腐なものになってしまうと思うので、
断片的に感じたことを書き並べていこうかと思います。
ストーリーは、主人公の"私"が、別れた妻とまた共に暮らし始めるまでのこと・・・。
そいうことで「ねじまき鳥クロニクル」に近いかもしれません。
でも、そもそも別れた妻とどうなるのかは
初めからきちんと書いてあるんですよ。
9ヶ月の結婚の解消期間を経て、またもとに戻ったと。
しかしその9ヶ月間に、"私"は
「正体不明の大渦に巻き込まれた泳ぎ手のような」体験をします。
その体験の詳細が書かれてあるのがこの本です。
まずは、穴の話。
やはり出てきましたね、井戸というかここでは「石室」です。
真っ暗な穴の底はつまり、自己の無意識とか深層の世界。
村上春樹さんには欠かせない。
ここでは「その昔、僧が即身成仏するために作られた穴」らしいとされていて、
夜な夜なそこから微かな鈴の音が聞こえてくるのです。
ちょうど夜遅くそのシーン読んでいて、怖くなってしまいました・・・。
そこは重機でなければ持ち上げられない大きな岩で塞がれているのに・・・。
そこを暴くシーンもドキドキします。
私は本作で、良いと言われる絵画の意味がわかったような気がします。
絵には言葉にできない自己の心の奥底が顕れるものなのでしょう。
"私"は画家で、生活のために一般受けする肖像画を描いていたのですが、
ここでは自分のために描きたいものを描こうとします。
でもやはり肖像画なのですが、そこに描かれるのは人物の表層ではなくて、
相手の深層。
そしてそれは同時に書き手である画家の深層でもあるのでしょう。
"私"が手がけた「まりえ」という少女と
「白いスバル・フォレスターの男」の絵は、
つまり"私"の両面を表しているのだと思います。
「まりえ」は彼の妻であり、少女のまま亡くなった彼の妹でもある。
多分それは彼の中の理想であり、希望、善きもの、光。
一方、「白いスバル・フォレスターの男」は"私"の中の暗部。
憎しみであり、恐怖、悪しきもの、闇。
そのどちらもついには未完成のままとなるのですが、
それはまだ"私"が生きていて完結していないからなのかもしれません。
このように思うと、冒頭にも語られる「顔のない男」とは何なのか。
私にはこれは自分自身の顔なのではないかと思えます。
つまりそこでは自画像を描くのが正解・・・?
な~んてね。
ところで、よくわからないのが免色氏なのです。
本作では彼がいなければ話が成り立たない重要人物。
謎の人物ではありますが、表面的にはなかなか好人物です。
が、どこか油断ならないところもある。
結局"私"にとってどういう意味を持つものだったのか、
私にはまだ考えが及びません。
これまでの村上春樹だと「絶対悪」の化身みたいな人物が登場するのですが、
彼はそういうわけでもなさそうだし・・・。
単なるナビゲーターというわけでもなさそう。
「色を免れる」免色とは、「色彩を持たない」多崎つくると何か同根の物があるのか?
どなたかのお考えを拝聴したいところです。
ストーリーと直接関係はありませんが、
一つ腑に落ちたのは、雨田具彦画伯のこと。
高齢のため認知症状が進み、何もわからなくなっているのです。
けれど、"私"は言う。
「だけど、魂は生きている」。
ああ、ぽんと手を打ちたくなりました。
認知症で何も思い出せない、思考できない。
けれどそれで人は死んだと同じなのではない。
魂は、生きているのですね。
だから人は最後まで人として尊重されなければならない。
「魂は生きている」この言葉で、
私の中でなんだかもやもやしていたものが、スッキリしたように思います。
まとまらない話で申し訳ないですが、
色々なシーンで色々な考えが湧いてきて、興味の尽きない作品なのです。
受け取り方は人それぞれで良いのだと思います。
村上春樹の小説は、つまり心の奥底の「メタファー」なのでしょうね・・・。
本作で言う「絵画」を「小説」に置き換えれば同じこと。
「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」
「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編」 村上春樹 新潮社
満足度★★★★★