昨年のバリへ行った際、バリの6大ヒンズー寺院の一つである
タナロットへ足を伸ばした。
多くの日本人が足を運ぶバリにあり、タナロットを知る人も多いと思う。
海岸から突き出して崖岩にあるため普段は海に隔てられており、
干潮時には歩いて渡れるというあの寺院である。バリ中西部に位置する。
実は、ここへ来るのは人生で2度目である。
最初の訪問はもう何年も前だ。いかにも観光地といった趣で、外国人で
満ちていたのだが、今回は写真のように現地の参拝客で賑わっている。
自分でも恥ずかしくなってしまう片言の「サバイバル・インドネシア語」を
駆使して一人に尋ねると、今日は新年だから一年に一度の参拝に来たという。
おそらくバリ中から人が訪れているに違いない。
道理で運転手が早く行かないと混むと焦っていたわけである。
しかし、「新年」と聞いても腑に落ちない。
さらに聞くと、バリヒンズーの一年は7カ月ほどで成り立っているという。
そのため、日ごろ我々が慣れ親しんでいるカレンダーを基本にしてしまうと
毎年毎年ずれまくりというわけだ。
四季のある日本に育つとこれを受け入れるのは困難だ。
なにせ、日本人は桜が咲くとあれからもう一年かぁと感嘆し、
イチョウの葉が黄色くなると今年も一年が終わるなぁと実感するからである。
ここバリ島は低い緯度にあるため太陽の傾きもほとんどない。季節感もなく、
言ってみれば毎日来る日も来る日も高温多湿の夏である。
分かったような分からないような理論を組み立て、なんとか自分を納得させた。
普段は開放しない寺院の内部を開放し、参拝客がお供えを持って渡る。
干潮時は波もこないが、この時刻は波がもろに打ち寄せている。
地元の人が縄を張り、それを手すりに渡り、参拝していくのであった。
偶然であることが少々不謹慎かも知れなかったがせっかくなので参拝。
いいことありますように。
タナロットへ足を伸ばした。
多くの日本人が足を運ぶバリにあり、タナロットを知る人も多いと思う。
海岸から突き出して崖岩にあるため普段は海に隔てられており、
干潮時には歩いて渡れるというあの寺院である。バリ中西部に位置する。
実は、ここへ来るのは人生で2度目である。
最初の訪問はもう何年も前だ。いかにも観光地といった趣で、外国人で
満ちていたのだが、今回は写真のように現地の参拝客で賑わっている。
自分でも恥ずかしくなってしまう片言の「サバイバル・インドネシア語」を
駆使して一人に尋ねると、今日は新年だから一年に一度の参拝に来たという。
おそらくバリ中から人が訪れているに違いない。
道理で運転手が早く行かないと混むと焦っていたわけである。
しかし、「新年」と聞いても腑に落ちない。
さらに聞くと、バリヒンズーの一年は7カ月ほどで成り立っているという。
そのため、日ごろ我々が慣れ親しんでいるカレンダーを基本にしてしまうと
毎年毎年ずれまくりというわけだ。
四季のある日本に育つとこれを受け入れるのは困難だ。
なにせ、日本人は桜が咲くとあれからもう一年かぁと感嘆し、
イチョウの葉が黄色くなると今年も一年が終わるなぁと実感するからである。
ここバリ島は低い緯度にあるため太陽の傾きもほとんどない。季節感もなく、
言ってみれば毎日来る日も来る日も高温多湿の夏である。
分かったような分からないような理論を組み立て、なんとか自分を納得させた。
普段は開放しない寺院の内部を開放し、参拝客がお供えを持って渡る。
干潮時は波もこないが、この時刻は波がもろに打ち寄せている。
地元の人が縄を張り、それを手すりに渡り、参拝していくのであった。
偶然であることが少々不謹慎かも知れなかったがせっかくなので参拝。
いいことありますように。