九鬼周造と岡倉天心との間には奇妙な関係がある。
岡倉天心(岡倉覚三)は中学校の教科書にも登場するので多くの人が知っているだろう。明治の日本美術界に大きな足跡を残した人物である。
帝大に迎えられた米国人教師フェノロサとともに日本の古典的美術の発掘を行い、東京美術学校(現芸大)の創設に力を尽くし、横山大観、下村観山、菱田春草など後に巨匠と呼ばれる日本画家を育てた。しかし、相当アクが強い人物であったらし . . . 本文を読む
『「いき」の構造』という書名を目にしたとき、あるいは実際に読んでいるときでも、脳裏をかすめることがある。
「そもそも「いき」なんてものは定義できないところに価値があるのじゃないか?」 あるいはもっと素朴に
「頭でっかちの学者先生に「いき」なんてわかるのかいな? 自分がでっちあげた怪物相手に戦いを挑んでいるだけなのではないか?」
私も、九鬼の鮮やかな論理に感服しつつその不安を常に抱いていた。
一般 . . . 本文を読む
『「いき」の構造』の前半が「いき」理論編であるとすれば後半は「いき」実践編である。
「いき」の自然的表現では、日常生活におけるいきの姿が、「いき」の芸術的表現では文学や絵画でのいきの表現が考察される。
私が舌を巻くのは、「いき」の自然的表現における九鬼の表現力である。
前半の「理論編」で述べた原則をもとに九鬼は人間の生活における「いき」の表出について次のように述べる。
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「いき」という言葉から発せられる意味を分析した九鬼は、「いき」の周縁に存在する概念、価値観と比較することでその形をさらにはっきりさせようとする。
取り上げられる項目は次の四つ。
いき⇔野暮
渋み⇔甘味
上品⇔下品
派手⇔地味
これらの指標は九鬼が適当に選び出したもののようにも見えるが、厳しく分析的手法により導き出されたものだ。
上記四つを九鬼は「価値判断があるか」「主として異性間に働く概念かどうか . . . 本文を読む
「いき」という言葉の内在する意味に関して、九鬼は3つの事象を考える。
すなわち
「媚態」
「意気地」
「諦め」
の三つである。
「媚態」は異性間に生じる自己の表現として存在する。言い換えれば異性間のある種の緊張状態を表す。
関連する言葉としては、「色気」「なまめかしさ」「つやっぽさ」など。
「意気地」は、江戸の文化の理想としての概念であり、具体的には江戸の職人や鳶、町火消し、武士などの美意識 . . . 本文を読む