今日もまた螺旋上昇

たまりや社長の食いしん坊blog

ゆきあかりの里

2005年08月08日 22時02分14秒 | おいしいもの
5日の金曜日に福岡・原鶴温泉で行われた私が所属する会の商売繁昌即売市で買ってきました。LFウォーター「のあな」で造った無濾過純米酒・のあな「ゆきあかりの里」720ml 2,100円。発売元は岩手県・湯田町のMi森の市場。たまりとお酒の違いはあるがLFウォーターのあなで醸造している仲間です。おいしい水で造ったお酒はやっぱり美味しい。特にこのお酒は無濾過なので香りがとても良い。他にも「純米原酒 天を仰いで起つ」や9年秘蔵酒などもあるが、香り高くまろやかでリーズナブルなお値段の「ゆきあかりの里」が個人的には一番好きかな。画像ではラベルが分かり難いけど、北国のほのぼのとした雪あかりのあたたかさがデザインされていて、お酒の美味しさを表しているようでとても好きです。まろやかで飲みやすいけど結構力強さも感じられるお酒です。

こどもびいる

2005年08月07日 14時36分02秒 | おいしいもの
 
昨日、福岡からの帰りに山口県熊毛郡田布施町にある(有)ネティエノ本社裏にある大好き昭和亭でうどんを食べた時にお店で売られていたのを1本買ってきました。こどもびいる。名前も良いし、ラベルはレトロな雰囲気だし、なんと言っても話題性抜群!きっと子供達が大喜びするだろうと思って買ってきたら予想通り大当たり!!子供だけじゃなくて女房にも大うけ(^ ^)v ビンもビールらしいし。グラスに注いでもちゃんと泡が出る。本物のビールのようなきめ細やかな泡じゃないけど、如何にも本物ぽい。味も結構ビール意識して作ってあるじゃないの。ガラナエキスで味付けがしてある。子供たちにも「おいしい!」って大好評。ちょっと大人になった気分だろうか。パーティの乾杯の時に「なんで子供はウーロン茶やジュースなの?」と不満?に感じていた子供たちには朗報!?に違いない。

 ひょっとして、ここまで読んでも気が付かない人のために、一応お断りしておきますが「こどもびいる」は清涼飲料水ですからね。お酒ではありませんのでご心配無く。ラベルにもちゃんとお酒ではないことが明記してあります。佐賀県のメーカーの製品だけどホームページを見ると全国各地で買えるようだ。子供の誕生日パーティーに如何でしょうか。

 おともだち飲料「こどもびいる」初恋+青春・壱弐0%

ただいま帰宅

2005年08月06日 23時30分52秒 | 今日の私
 いやぁぁぁぁぁ・・福岡・原鶴温泉への往復1800km走りました。って自動車でですけど。スケジュールびっしりでドタバタでしたが中味が濃かったです。商売繁昌即売市では「たまごかけごはんのたれ」がなんと最初の30分で完売してしまい、ちょっと冷や汗(^_^; でも大好評で手応え充分でした。(^ ^)v 詳しい報告はまた明日。

モーニングあいランド こちら特ダネ情報部

2005年08月03日 10時31分18秒 | 今日の私
 今日は朝から東海ラジオにかじりつき。先日取材して頂いたオーダーメードの醤油の紹介をして頂く日なんだけど、6:30から放送のモーニグあいランドこちら特ダネ情報部のコーナーが何時頃の放送なのか聞いておくのを忘れてしまったから。8時に仕事が始まってからもラジオのスイッチはONのまま。仕事をしながら聞いていると8:10頃こちら特ダネ情報部のコーナーが始まった。取材をしてくれた山崎聡子アナウンサーがパーソナリティの小島一宏氏とアシスタントの深谷里奈アナウンサーにこだわりの醤油としてオーダーメードの醤油「私の醤油」を説明すしながらコーナーは始まった。3人の会話の合間に電話取材を受けた時の私の会話が挿入される形で私は出演?した。実際に山崎アナはネットから注文をした「私の醤油」でそうめんのつゆを作り試食した感想も話してくださり、会話の中では結構好評のようでだった。山崎アナの注文通りの醤油に出来上がっていたようでホッとした。これがきっかけでオーダーメードの醤油の注文が頂けると有り難いですね。 

日本一元気懇話会

2005年08月01日 21時26分00秒 | PTA
 今日は午後2時から岐阜市PTA連合会役員と岐阜市長との意見交換会「日本一元気懇話会」が行われた。市長以外にも助役、教育長を始め教育委員会の方々、市長公室長と政策審議監の方々が出席され総勢20名以上の懇話会。テーマは「21世紀を力強く生きぬく子」。ゆとり教育、家庭教育、安全対策などについて意見が交わされた。私も副会長という立場で少しだけ意見を述べさせていただいたが、日本一元気だったかどうかはともかく1時間半はアッという間に過ぎてしまった。

 画像は会議に用意されたミネラルウォーター「清流 長良川の雫」。原材料表示を見ると水道源水(深井戸水)とあり採水地は岐阜市下奈良となっている。説明書きでは地下100mから汲み上げた天然水の水道源水とある。販売者は岐阜市(上下水道事業部)となっているが岐阜市のPRのため会議などで用意されるもので非売品らしい。製造者は奥長良名水(株)、あの「高橋尚子」で有名になった高賀森水の会社だ。毎日お世話になっている岐阜市の水だがこういう形でお目に掛かるのは初めて。ちょっと紹介してみました。

コロッケの想い出

2005年08月01日 00時13分22秒 | とりとめもない話
 私が幼稚園から中学を卒業する頃までが日本経済の高度成長期と言われた時期だった。業務用を中心に商売していた我が社にとっても一番忙しい時期だったのだろう。当時両親は会社で寝泊まりをしていたため、私は母よりも祖母に育てられた記憶の方が多く残っている。母は女ばかりの5人姉妹の長女で、初孫として生まれた私は男だったということもあって随分可愛がってもらったと思うのだが、明治生まれの祖母には大変厳しく躾られた記憶ばかりが蘇ってくる。優しさを表現するのがとても下手な人だったのだと思う。畑仕事が大好きだった祖母はひとりでは世話しきれないほどの畑にいろいろな野菜を育て、ことあるごとに私や弟を畑仕事に駆り出した。そうして収穫した野菜をあちこち配って歩くのがお決まりであった。どうしてそこまでして野菜をつくらなければならないのか、当時の私には全く理解不能であった。中でも、ジャガイモが収穫できた時には朝からジャガイモを茹で、肉屋で大量の挽肉を買い、みじん切りした玉ねぎと一緒に炒め、潰したジャガイモと混ぜて100個以上のコロッケを作った。それも今時のかわいらしい大きさのものではなく、かなり大ぶりでがさつなものだった。腹を空かせた小学生の私も随分手伝いをした記憶がある。つまみ食い出来る楽しみがあったから手伝っていたというのが本当のところだったような気もする。もちろん100個のコロッケを全部我が家で食べるはずもなく、野菜と同じように社員に配っていた。結婚して初めてこの儀式に遭遇した妻は仰天していたが、そりゃそうだろう。商売でも無いのに100個ものコロッケを作る家が何処にあるだろう。
 最近になって少しは利他の精神といものも理解出来るようにはなったが、祖母には遠く及ばない。その祖母が6月に97才で他界した。ファッションやお洒落等には全く興味の無い人だったが、あの頃あの年で1日に100個以上もコロッケつくって配っていたっていうのは、見方を変えれば結構ハイカラばあちゃんだったのだろうか? 当時の何分の1しか作らなくなったコロッケを見て、ふとそんなことを思った。