喉が!!!!!!!!
痛いっ!!!!!!!!!
痛すぎるっ!!!!!!!!
じゃー。なぜブログを書いているんだ!?!?
意地ですじゃ!!!
①やると決めたから!
②幸運にも撮影と動画編集はできていたから!
↑②ができていなかったらお手上げでした。
首の皮一枚繋がった感じ…。
ちょっと、今ならできそうかも!というタイミングを狙って、毛布かぶって、解説調べして、ブログを書いて、アップしたらまた横になります。
横になるのも辛いし、
起きていても辛い…
どぉーーーすりゃいいのよ!!!!!と怒りも込み上げてくる。
けど、少し?よくなってる気もしているので、病院で出してくださったトローチなめなめ頑張ってます。
この週末は大切な方のお別れ会があったり、月イチの練習会があったけれど、全部ごめんなさいでした😵
早く治ってくれ!!!
もぉー、痛いのヤダ!!!
では、意地で頑張っているコチラ、どうぞ。
*****♪*****
11月26日。
スティールパンで童謡唱歌(330)
『アニーローリー(才女)』
作詞:ウィリアム・ダグラス
作曲:ジョン・ダグラス・スコット夫人=アリシア・スコット
この曲は、代表的なスコットランド民謡として知られる楽曲です。
日本には、明治時代にまったく別の歌詞で『小学唱歌集』に『才女』という題で伝えられたそうです。
若干旋律も変更して歌われたそうです。
前半は紫式部が名作『源氏物語』を世に残したことを、後半は清少納言が大雪の朝に中宮定子の問いかけに御簾を巻き上げて応えた才女ぶりを歌っているとのこと。
【『才女』の日本語詞:里見義サン】
かきながせる 筆のあやに
そめしむらさき 世々あせず
ゆかりのいろ ことばのはな
たぐいもあらじ そのいさお
まきあげたる 小簾のひまに
君のこころも しら雪や
蘆山の峯 遺愛のかね
めにみるごとき その風情
◎原曲は、ウィリアム・ダグラスサンの詩をもとにして作られ、作曲はスコットランドの女流音楽家ジョン・ダグラス・スコット夫人=アリシア・スコットサンです。
◎歌の由来
実在の女性であったアニー・ローリーは、スコットランド中に知られた美人だったといわれていて、詩は、1700年ごろに書かれたものだそうです。
よくある…といっては失礼ですが(ごめんなさい)、相思相愛だったウィリアム・ダグラスサンとアニー・ローリーサンだったけれど、親から許されず、さらには内戦中の敵対勢力に属していたことから2人は引き離されてしまった…と。
ウイリアム・ダグラスサンは悲しみに暮れ、アニーサンを思い続けてこの詞を書いた…ということでした。
曲は1838年2月にスコットランドの女流音楽家ジョン・ダグラス・スコット夫人(=アリシア・スコットサンが作曲されたと。
ウィリアム・ダグラスサンの詩は、何度か手直しされたといわれているそうです。
その後、1854年のクリミア戦争で、未亡人や孤児となった人たちへの慈善活動のために出された歌集にこの曲が載せられたことから、やがて軍楽隊も演奏するようになり、広く知られるようになったとのこと。
戦地の兵士たちもこの歌を口ずさみ、故郷にある大切な人をしのんだとそうです。
◎日本語詞は、緒園凉子サンのものをもとに、原詞の表現を加味して作成したそうです。
【歌詞引用】
1.
春の岸辺に 咲きし花よ
君が姿を 何にたとう
その御前(みまえ)に この身ささぐ
愛(いと)し アンニー・ローリー
われは誓う
2.
雪のかんばせ 清きうなじ
われを見給う 青き瞳
その輝き 空の星か
愛(いと)し アンニー・ローリー
夢に浮かぶ
3.
秋の木の葉の 露をこぼす
野のそよ風か 君が御声(みこえ)
清(すが)し響き 心揺する
愛(いと)し アンニー・ローリー
われは慕う
ほかにも堀内敬三サンをはじめ、いろんな方の訳詞があるとのこと。