6/24、大森駅東口広場でパノラマスティールオーケストラでした!
(原田さんの写真を拝借🙏)
たくましい腕ですなぁ。。。
ちゃんとしっかり痩せなくちゃ!!!
(そんなことばっかり言ってて有言実行できてない💦)
蒸し蒸しした暑さで熱中症ギリギリ。
熱中症にはならなかったけど、汗だくすぎて大変でした😵
しかし、パノラマはとっても楽しい❣️
イェイです!
今回も、ベースパン運搬にたくさんのご協力、ありがとうございました!
お越しくださった大好きなご夫妻さまからいただいた写真〜!🙏✨
やっぱりスティールパン(特に6ベース)をずっと演奏してたら(その後たくさん食べなければ…w)痩せるでしょうね。。。😅
ま、夏バテにならない程度には食べて、3年前に8キロ痩せられたことを思い出して頑張ることにしましょう!
ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
さてさて、本日からは「北原白秋サン×山田耕筰サン」の作品をお届けします🎶
6月25日。
スティールパンで童謡唱歌(176)
『からたちの花』
作詞:北原白秋
作曲:山田耕筰
本日から5日間(6/25〜6/29)
"北原白秋サン×山田耕筰サン"のコンビの曲を。
さらに6/29に『砂山』を予定しているので、6/30には"北原白秋サン×中山晋平サン"の『砂山』を予定しています。
いやはや、山田耕筰サンの曲は難しいっ!!!
本日の『からたちの花』、そして『この道』は拍子が何度も変わって、歌をちゃんと知らないと弾けない…という感じで。
『からたちの花』は特に…。
3拍子と2拍子がめまぐるしく入れかわって、とても難度が高く…。
なかなか覚えらなかったので、雰囲気も大切にしつつ、譜面をガッツリ見ながら弾きました。
『からたちの花』は、"赤い鳥運動"を代表する楽曲となり、のちに文部省唱歌にも採用されています。
また、2007年には日本の歌百選に選出されています。
鈴木三重吉サンによる"赤い鳥運動"に参加した山田耕筰サンと北原白秋サンは、1922年に雑誌『詩と音楽』を創刊するなど、深い親交があったそうで、多くの歌曲を共作しているとのこと。
◎「赤い鳥運動」とは、鈴木三重吉サンが子どもたちに質の高い童話や童謡を与えたいとの思いから、子どものための芸術として、真価ある童話や童謡を創作し創刊していく雑誌「赤い鳥」を大正7年7月に発行したのが始まりだそうです。
これによって日本の児童文学は、内容、形式とも新しい展開がもたらされたとのこと。
◎歌詞について
この曲の詞の原案は、山田耕筰サンの少年期のエピソードによるもの…だそうです。
山田耕筰サンは幼い頃養子に出され、活版工場で勤労しながら夜学で学んだそうです。
耕筰サンは自伝において、工場でつらい目に遭うと、からたちの垣根まで逃げ出して泣いた…と述懐していたとのことで、この歌は耕筰サンのこの思い出を北原白秋サンが詞にしたものだそうです。
【歌詞】
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。
からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
詩の背景を知ると、さらに深い詩だなぁ…と感じますね。
◎ 北原 白秋サン
1885-1942、福岡県生まれ。
日本の詩人、童謡作家、歌人。
たくさんの代表作がありますねー!
『ペチカ』
(曲:山田耕筰サン)
『ゆりかごのうた』
(曲:草川信サン)
『赤い鳥小鳥』
(曲:成田為三サン)
『あめふり』
(曲:中山晋平サン)
『雨』
(曲:弘田龍太郎サン)
このあと、今月いっぱい代表作ばかり続きます☆
◎ 山田 耕筰サン
1886-1965、東京都生まれ。
日本の作曲家・指揮者。
日本語の抑揚を活かしたメロディーで、日本音楽史に残る多くの作品を残した方です。
日本初の管弦楽団をつくったり、日本において西洋音楽の普及に努めたそうです。
それから、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏したり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮もされ、国際的にも活動し、欧米諸国でも名前が知られているとのこと。
代表作、こちらもたくさん!
北原白秋サンとの作品も多々ありますね!
・歌曲や童謡にしぼると…
『この道』(作詞:北原白秋サン)
赤とんぼ(作詞:三木露風サン)
砂山(作詞:北原白秋サン)
ペチカ(作詞:北原白秋サン)
待ちぼうけ(作詞:北原白秋サン)
あわて床屋(作詞:北原白秋サン)
明日は『待ちぼうけ』!
最初に聞いた時に、コミカルで面白い曲だなぁーと思いました☆