MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『パンとバスと2度目のハツコイ』

2018-03-15 00:44:33 | goo映画レビュー

原題:『パンとバスと2度目のハツコイ』
監督:今泉力哉
脚本:今泉力哉
撮影:猪本雅三
出演:深川麻衣/山下健二郎/伊藤沙莉/志田彩良/安倍萌生/勇翔/音月桂
2017年/日本

 「イメージ」の本質と「孤独」の発明について

 主人公の市井ふみは美大を卒業後に絵を描く意欲を失い、バイト先のパン屋へそのまま就職してしまう。2年交際していた男性がいたのであるが、プロポーズされても「私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もない」という独特の恋愛観を披露したことで別れてしまうのである。
 そんな時に、中学校の同級生で初恋相手だった湯浅たもつが偶然ふみが勤めているパン屋を訪れる。たもつは地元の路線バスの運転手をしていた。同級生の石田さとみと共に頻繁に会うようになるのだが、たもつもさとみも結婚しており子供もいる。さとみは家族と上手くいっているのであるが、たもつは奥さんの浮気で離婚しているにも関わらず、浮気相手の男性と結婚してルクセンブルクへ行くと聞いてもまだ妻に未練がある。
 ここまで観て気がつくのだが、ふみが交際相手と別れた原因はたもつのことが忘れられなかったのである。2人の微妙な距離感が「洗濯機」で表される。今まで使っていた洗濯機が壊れたふみは近所のコインランドリーで洗濯することになるどころか、ふみはたもつに頼んで洗車するバスに乗り込んで自ら「洗濯される」体験をする。この「洗濯」とは「選択」と読み替えられるのである。
 コインランドリーには孤独に関する本が揃えてあるのだが、ふみはガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』でもフランソワーズ・サガンの『愛という名の孤独』でもなくポール・オースターの『孤独の発明』を選んで読んでいる。
 ここで興味深いシーンを挙げるならば、たもつがふみの妹の市井二胡とある絵について語っているシーンである。たもつはその絵をふみの「自画像」だと言っているのであるが、気がついていないのか二胡はそのたもつの誤りを指摘しない。ふみが現われてたもつがその絵をふみが座っているソファーの隣に置くのだが、その絵は二胡がパジャマシャツを着ているふみを描いたものなのである。
 つまりたもつはふみが関わっていない、ただのふみの「イメージ」に魅了されているのである。たもつはふみを大室山の景色を見せにわざわざ車で連れて行くのであるが、ふみはたもつを毎朝仕事に出かける時に見る夜明けの青い空を見せる。そこに挿入される最後にふみが語る
「魅力の本質を知ってしまっても憧れ続けることができるとすれば」という願いが、「特別な場所」ではなく「日常の場所」にあるとして表されるふみが発明した「孤独」だと思うのだが、ここに「肉欲」の問題が決定的に欠けているのが惜しい。


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