MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』

2020-10-17 00:13:39 | goo映画レビュー

原題:『House Of Cardin』
監督:P・デヴィッド・エバーソール/トッド・ヒューズ
撮影:ローラン・キング
出演:ピエール・カルダン/ジャン=ポール・ゴルチエ/シャロン・ストーン/高田賢三
2019年/アメリカ・フランス

モードの革命家の素性について

 最初にピエール・カルダンがイタリア出身であるということに驚かされたのだが、1922年生まれのカルダンは2歳の時に当時のイタリアのファシズムから逃れるために家族でフランスに移住したのである。
 カルダンは14歳の頃から服飾の仕事に関わり、本人の証言では占い師に言われて1945年にパリに出て「ジャンヌ・パキャン」というブティックで働きだし、その時、『美女と野獣』の映画制作で衣装の依頼をしに来たジャン・コクトー監督と出会い意気投合したらしい。当時は業界もまだ狭い世界で、若くてハンサムだった本人曰く「ジャン・コクトーもジャン・マレーもルキノ・ヴィスコンティもピエル・パオロ・パゾリーニもみんな俺とヤリたがった」というのが笑える。
 クリスチャン・ディオールに移ってすぐに独立したのは、ディオールの「ニュールック」という体のラインを強調したファッションに対して「バブルドレス」という体にゆったりとしたファッションを提唱したかったからであろうし、さらにカルダンは「オートクチュール」という高級衣服を「プレタポルテ(既製服)」という形で一般庶民に提供したことで革命を果たし、同業者からはもちろん嫌われることになるのだが、他のファッションデザイナーが銀行から融資を受けたことに対して、カルダンだけは自前で巨大マーケットを開拓していく。
 カルダンは「コスモコール・ルック」という前衛ファッションを1966年に発表するのみならず、例えば、日本人の松本弘子など有色人種のモデルや男性モデルなど積極的に起用し、さらには自動車や家具や食器などデザインの可能性を広げ、ついには「エスパス・ピエール・カルダン」という劇場や「マキシム」という老舗レストランを買収して自分自身の可能性も広げていくのである。
 ピエール・カルダンはフランスの女優のジャンヌ・モローと交際していたことがある。モローは1949年にジャン=ルイ・リシャールと結婚し、ジェロームという息子をもうけているが1951年に離婚している。カルダンが衣装を担当した『エヴァの匂い』(1962年)で2人は出会い、モローの方が積極的で交際を始めたようだが、子供ができなかったために別れたようである。モローは知らなかったのかもしれないが、それはカルダンの性癖に原因があるようで、カルダンにはメイン・アシスタントとして1952年から彼の下で働いていたアンドレ・オリヴァーという「恋人」がいたのである。オリヴァーは1993年に61歳でエイズで亡くなっている。
 カルダンは、例えば、会いに来たジャン=ポール・ゴルティエのスケッチを見てその場で採用するような才能の発掘も上手かったようだが、イヴ・サン=ローランとは友達ではなかったと言い放ったのが印象的だった。


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