ケンのブログ

日々の雑感や日記

もう梅雨入りか

2021年05月17日 | 日記
午前中は雨模様のお天気。

ある方に、もうじき梅雨入りですかねえ と言ったら、そこにやってきたおばちゃんが 今日から梅雨ですよ と言っていた。

僕、テレビ持ってないし、ネットの気象情報もあまり見ないので真偽のほどはわからない。

ただ今日の新聞に載った5月15日時点の天気図を見ると九州と四国南部にはすでに梅雨前線がかかっている。

このぶんだと近畿ももう梅雨入りか、時間の問題で梅雨に入ると覚悟しなければならないとおもう。

僕、雨で一番気になるのは靴のこと。

ウォーキングシューズを二足で回すという簡素なやりかたをしているのだけれど、何日か前に、雨の中をかなり長時間歩いて、靴がずぶぬれになってしまって、ほっておいたら乾くのに3日くらいかかってしまった。

靴の効率のいい乾かし方もネットで調べるなりして、考えなければならないなと思う。

最近は、どんな話題でも、ブログなどで役に立つ持論を展開していたりする人がいるので、また見て参考にしたいと思う。

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今日の新聞の一面の見出しに、ある大手都市銀行が支店を減らして、さらに、残った支店の、過半数でも、テレビ電話などでの応対のみにするというような記事が出ている。

本当に、自分自身が、そういう、機械を介してのやりとりが、苦手な年齢にこれからなっていくので、なんとも言えない不安を覚える。

経済に疎いので、コスト削減と言われても、本当にそこまでしないと生き残れないという意味がよくわからない。

大手銀行という組織が生き残っても、コスト削減で職を追われる人が続出したりして、人間が生き残れなくなったら本末転倒ということになってしまう。

そんなことにならないように祈りたい。

僕自身も、様子を見ながら、自分に向かないと思ったところからは離れるとか、気をつけていきたいとは思う。

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新聞の社説に、高齢者のワクチン接種がなかなか進まないことに言及して、例えば福島市では、ネットでのワクチン接種の予約に不慣れな高齢者のために、学生のアルバイトを市役所に配置し、オンライン予約を手助けしていると出ている。

3日ほど前に僕も役所に行って、マイナンバーカードのデジタル処理をしてくれた女の子が、公務員と言うよりも、短期のバイトの子のような感じという印象を受けた。

単なる、印象なので真偽の程は明らかではないけれど、新聞の社説に、学生バイトを導入する市役所があると書いてあるということは、きっといろんな分野で、役所にアルバイトのような方も増えたのかもしれないと自分の経験や感覚と照らし合わせてみてなんとなくそう思った。

最近は、本当に、世間で一流企業という認識が一般的になされている会社でも、電話はどうみても、アルバイトのような子が担当しているとしか思えないとか、そういうことも増えた。

一流企業だからといって、期待値を高くして、こちらが臨むと、がっかりして、腹が立ったり喧嘩になる可能性が高まってしまうように思う。

最初から、期待値をあげないようにするとか、自分にあわないと思ったところからは離れるとか、なるべく柔軟に対応していけるように気をつけたいと思う。

しかし、民間企業からは、離れることができても、役場からは離れることができないということもある。

本当に、役場の方には、正規の職員であろうと、そうでなかろうと、世の中にとってなくてはならない仕事をしているという、責任感と誇りをもってやっていただきたいと切に望んでいる。

また、自分自身でも、なるべく役場の人とうまくやりとりできるような心構えを作っていきたいと望んでいる。

確か、旧約聖書の知恵の書に 「怒りを遅くするものは勇者にまさる」 という言葉があったと思う。

人間だから、たまには怒らないとやってられないということもあるけれど、なるべく腹を立てないように、気をつけていきたいと思う。

それはともかく、一日いちにち無事に過ごせますように、それを一番に願っていきたい。

ラブソング

2021年05月16日 | 日記
今日の新聞の編集手帳にこんなことが書いてある。

“”
鳥の鳴き声は主に2つに分けられることが知られている。仲間同士の連絡に使う「地鳴き」と繁殖のための「さえずり」である。欧米もこれは同じで英語の呼び分けにはなかなか味がある。地鳴きは「コール」さえずりは「ソング」と呼ぶという“”と。

この話を読んで、マーラーの交響曲の第何番かは忘れてしまったけれど、外国人の指揮者がコンサートで日本のオーケストラを指揮したときに、演奏前のプレトークで、その交響曲のいくつかの旋律に言及して「ラブソング」という言葉を連発していたことを思い出した。

それを通訳の方は「愛の歌」とか「愛の旋律」とか訳しておられたと思う。

もちろん通訳の方はそれが仕事なのでそれていいのだけれど、そのとき僕はなぜかラブソングはラブソングのままのほうがやはり言葉が自然に響くなと思った。

それで、手元にあるマクミラン英英辞典でsongを引いてみると 大きく3つの語釈が載っていて、その3つ目の語釈としてつぎのように書いてある。

③the musical sound that a bird makes.と。

日本語に逐語訳すると「鳥が作る音楽的な音」となる。

そうか鳥が作る音楽的な音もソングというのかと思う。

こうして編集手帳に書いてあることを辞書をひいて検証してみると、歌と愛の関係はとても深いと言うか、不可分とさえ思えてくる。

そういえば、若い頃、ビートルズのドキュメンタリー番組をテレビで見たとき、番組の最後にポール・マッカートニーが「僕たちは、いろんなことを言われてきたけど、結局は愛を歌ってきたんです」という主旨の発言をしていたことをしみじみと思い出す。

そのポールの発言を聞いて、本当にそのとおりだと僕も思った。

こういうコロナという情況にあって、孤独に暮らしていると、広大な音楽をきいてそれに包まれたくなるような気持ちがある一方で、旋律、つまり歌の豊かな音楽が聴きたいという気持ちも僕の場合、芽生えてくる。

そんなわけで、旋律の豊かな音楽、ビゼーのオペラ カルメンの主要な旋律をオーケストラのために編曲したカルメン組曲を聴きながらこれを書いている。

このカルメン組曲は一緒に住んでいたおじが買っただけでちっとも聴かずににステレオの横に置いていたレコードを僕が子供の頃よく聴いていて、本当に慣れ親しんだ旋律がいっぱい出てくる。

自分が子供の頃から親しんでいた旋律というのは、本当に心のためによいものだなあと思う。

どうぞ一日 いちにち無事に過ごせますように。それを第一に願っていきたい。

結果オーライ

2021年05月14日 | 日記
僕、お店のカードを作るのは好きではなくて、あまり作らない。

けれどマイナンバーカードは持っている。

知り合いのおじさんが作ったと聞いて僕もなんとなく作りたくなった。

ちょっと、そのマイナンバーカードの情報を一部改める必要が生じて役所に行った。

かかりの女の子が出てきて、「向こうの柱の隣のカウンターに行ってください」と僕に言った。

ああ、感じのいい子やんと僕は思って女の子が指定したカウンターのところに行った。

そこで女の子は「ここに、最初に考えた番号を入れてください」と言って、僕の目の前にある、モニター画面とテンキーに目配せした。

「最初に考えた番号って?」と僕は言った。

すると女の子の顔が急に不機嫌になって。

「最初に考えた番号を入れてください」と同じ言葉を繰り返した。

僕は、あかん、と思った。これは女の子に質問すればするほど女の子はますます不機嫌になり、しまいに、僕と女の子で喧嘩になってしまう可能性があると思った。

それで、もう「ままよ」とおもってその場で適当に考えた番号をテンキーに入力した。

するとモニター画面に エラーと出た。

「あっ、あかんわ」と僕は言った。

女の子はまた「最初に考えた番号を入れてください」と言った。

それで、僕はまた適当に番号をテンキーに入れた。

またエラーが出た。

「あかん、だめだ」と僕は言った。「最初に考えた番号忘れました」と僕は続けた。

「では、今、考えた番号を入れてください」と女の子は言った。

それで僕はまた適当に番号を考えて入力した。

今度はエラーが出なかった。スッとモニターの画面が次に進んだ。

「次に、ローマ字と数字を組み合わせて考えて入力してください」と女の子は言った。

僕はローマ字と数字を考えて入力した。

また機械がうまく反応してモニタの画面が次に進んだ。

「これで終わりです」と女の子は言った。

ありがとうございます と僕は言った。

結局、女の子の言葉の意味はわからずじまいだったけれど、結果オーライでなんしかうまくいった。

役場の出口を出る頃に、一連の流れを振り返って僕は大体のことを理解した。

多分、女の子が「最初に考えた番号を入れてください」と言ったのは、マイナンバーカードを作ったときに登録した、パスワードを入力してください という意味ではなかったのか。

そして、僕が適当に入れてエラーが出たので、女の子は新しいパスワードを入力するように僕に促してそれで結果オーライになったと。

きっと、そういうことだと思う。

新聞などに、最近、若い子は、ラインなどで、「今、電車」「これから降りる」というようなやりとりばかりしているうちに、まともな文が書けなくなってしまっているというのが結構深刻な問題だということがときどき指摘されている。

今日の、女の子もそういうパターンで、物事を一般的に説明することができない可能性が高いと思った。

できないから、質問されると不機嫌になって、相手に質問させないような雰囲気を作って、結果だけつじつまが合うようにする。

きっとそのパターンだと思った。

しかし、最近、役場に、本当に、公務員なのか、単なる短期のバイトの子なのかわからないような応対品質の子が増えたなと思う。

自分がこれから、役場にいろいろ頼っていかなかればならない年齢になってきて、こういうのってなんともいえない不安を覚える。

一方で、年寄りの方でも、結構、役場の子に、横柄な口の聞き方ををする人もいる。

そういう、年寄の相手ばかりしているうちに、知らぬ間に年寄りを叱りつけるようなものの言い方がくせになっているような子もいたりする。

本当に、困ったことだと思う。

ただ、どんな職場にも、親切な人はいる。

そういう人をいち早く見つけて、なるべくその人に頼むようにするとか、あえて、その場の流れにまかせて、結果オーライでもいいから、物事が通るようにしてもらうとか、波風を立てずにやっていく工夫も必要だなと思う。

結果オーライというのは子供の使いと同じことで、いざというとき応用がきかないから怖いといえば怖いけれど、、、。

僕は、人に不親切にされたときには、「捨てる神があれば、ひろう神もある」という言葉を自分に言い聞かせることが多い。

たまたま、あの人は僕に不親切だったかもしれないけれど、みんなが僕に不親切なわけではない、きっと親切にしてくれる人もいるはずだと。

そう思って、なるべく気持ちを切り替えるように心がけている。

それはともかく、一日いちにち無事に過ぎますように、それを一番に願っていきたいと思う。





無事乗り切れますように

2021年05月13日 | 日記
今日、ある駅前広場を通ったら、「ワクチンは拒否」というデモのようなことをやっていた。

代表的な人物が、拡声器でワクチン拒否を訴え、取り巻きの人がビラを配ったりするというよくあるパターン。

僕は、ワクチンは、自分自身は、様子を見る派、なので、別に拒否なら拒否でかまわないのだけれど、取り巻きの子が、「ワクチンは原爆かもしれませんよ」とうつむいて前を通ろうとする僕の方に向かって叫んでたりして、もうちょっと勘弁してという感じになってしまう。

一生懸命デモをやっている人には申し訳ないし、デモの人がまったく間違ったことを言っていると思っているわけでもないのだけれど、、、。

せいさん、という方が、いくら正しいとおもうことを叫んでいても、そこに怒りの気が、多分に含まれていたら、そういう気が、すでにマイナスのパワーや気を放ってしまうということがあるのです。 という主旨のことを本に書いておられたとおもう。

実際に、怒気を含んだ言葉の入り乱れる中を通り過ぎるというのは、なんとも言えない緊張感があるなと思ってしまう。

ワクチン拒否と拡声器で叫ばずとも、もともと、希望者にワクチンという情報が発進されていたはずだとおもうし、しかるべき病院のホームページには、自分にとって納得のいかない医療を拒む権利が患者にはあるというのはコロナになるはるか以前からちゃんと書かれている。

日々、あらたな情報が出てきて、ワクチンの予約が困難とか、いついつまでに何%の人に接種とか、そんな情報が飛び交ううちに、みんな、ワクチンを受けるかどうかは、自己の意思によるもので強制ではないということを忘れてしまっているということもありがちだとおもう。

なので、知らぬ間に、ワクチンを接種しない人が差別的な待遇を受けたりとかそれもまた怖いことであるのは事実とおもう。

ワクチンは、可か否かというオール オア ナッシングの考えにみんながなってしまうことがいちばん怖いこととおもう。


そういう意味では、ワクチンに反対するデモが、あるのも決して否定すべきことではないとおもうけれど、、、。

世の中が混乱するときには、人の考えが単純化され極端になるという指摘をしていた人がいたと思うけれど、そうならないように自分自身できるだけ気をつけていきたいと思う。


しかし、混乱を避けるために、コロナの接種で電話の予約は受け付けず、ホームページかラインに限る、という文言が新聞に出ているのを見ると、高齢者を相手に、そんなネットのみの予約システムで、大丈夫かと思ってしまうことは事実。

かといって、電話も、ネットもありにすると、いろいろとパンク状態になってしまうのだろうし、。

話はちょっと横道にそれるけれど、最近、IT化を率先して進めている会社のコールセンターの電話対応が案外しょぼいということも個人的には何度か体験している。

やっぱり、ぼくも年齢的に還暦というのが近づいてきたし、いざというとき、電話など、言葉のやり取りで、頼りない人が出てくるというのは不安といえば不安だ。


本当に言葉は悪いけれど、ちょっとアナーキーな状況になっているなと思う。

58年と9ヶ月くらい生きてきて、これだけ世の中がアナーキーだと感じたのは、かつてないと思う。

こういうときだからこそ、マスク手洗い など、自分にできることをやって、あとはなるようになるという気持ちの持ち方も大切と思う。

一日いちにち、無事でありますように、それを第一に願っていきたいと思う。

昨日にまさる今日

2021年05月13日 | 日記
今日、アベーマーテレビというネットのテレビで相撲を見ていた。

解説は元大関琴奨菊の秀の山親方だった。

照ノ富士が土俵に上がっているとき秀の山親方は
「照ノ富士は序二段まで落ちて上がってきましたから、目の前の相手と戦っていると言うより、過去の自分と戦っているという感じですね。そこが照ノ富士の強さです」という意味のことをおっしゃっていた。

そう言われればそんな気がする。

過去の自分と戦うという状況が強さを生む、そんなふうになれたらいいなあと僕も思った。

困難なこととはおもうけれど、、、。

実際、今日の照ノ富士は、左の前みつを引きつけたら、もう相手は何もできなかった。

強いの一言。

あそこまで完璧に相手の動きを封じ込めてしまうような強い相撲って久しぶりに見たとおもう。

足の怪我がなかったら、横綱になること間違いなしと思えるほど強い。

今日、強かったら、明日も強いとは限らないのが勝負の厳しいところとおもうけれど、頑張ってほしいなと思う。

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中華料理のチェーン店のカウンターに座る。

右のふくらはぎが突っ張る感じがしたので、右手でもみほぐした。

右手でふくらはぎをもむとその反動で上半身、特に肩から上は左に傾く。

僕の上半身が左に傾いたそのタイミングで、僕の左隣のカウンターに座っていた人が、自分の右側においた財布、つまり僕に近い側においた財布を、急に自分の左側、つまり、僕の反対側に移動させた。

ちょっとイラッとした感じの動作で、なんかイヤな感じと思った。

一言も言葉を交わすわけではないのに、ちょっとした、人の動作を見ただけでイヤな感じと思ってしまうことって誰にでもあるとおもう。

逆に、僕の左に座っていた人は、妙に財布の方に体を傾けてきて、嫌な感じと僕のこと思ったかもしれない。というか思った可能性が高いとおもう。

誰に限らず、お互いに、言葉で、そして言葉以外の動作でも人にいろんな印象を与えているということを感じた。

岐阜の八王源先生は、“”人の前を通るときは、口に出して言わなくとも、心の中で「ごめんなさい」と言って通るくらいが丁度いい加減なの、人の前をふんぞり返って通るようなことではいけない“”
とおっしゃていた。

ちょっとしたしぐさや動作にも、気持ちって現れることが多いから、本当に、先生のおっしゃったとおりだなとしみじみとおもう。

僕も、人のこと言える義理ではないけれど、もし、隣の人が財布を動かすときに、心の中で「失礼します」と唱えるような気持ちで、財布を動かしてくだされば、きっとイヤな感じとおもうことはなかったような気がする。

それはともかく、一日いちにち無事に過ぎますように、それを第一にねがっていきたい。