ケンのブログ

日々の雑感や日記

毎日無事に

2021年05月23日 | 日記
今日の新聞の編集手帳にこんなことが書いてある。

“”
東海道新幹線の運転士が急な腹痛を起こし、トイレに駆け込んでいたことがわかった。
3分22秒の間、運転室には車掌がいたものの操縦資格はない。時速約150キロで7キロあまりの距離を走行したという。

運転士は熱海を通過したあたりから「究極の選択」を迫られた。次の停車駅の名古屋まで我慢するか。規定に従い新幹線を停止させて運転室を離れるか。JR東海は運転士と車掌を処分すると発表した。

が、こちらにもうなずけない部分がある。運行会社として、その他の選択を検討したことはないのだろうか。人の突発的な体調異変はもっと深刻な病気が原因の場合もある。

新幹線が原則一人の運転士で運行されていることを今回の件で初めて知った。

僕らの「超特急」にいささか、冷や汗を覚える。“”

僕、このニュースを昨日か一昨日知ったとき、まあ、新幹線も停車するときはともかく、駅間を走行しているときは航空機と一緒で、実質自動操縦になっているのだろうと思った。

それで、もうお腹が痛くなって、トイレ我慢できなくなって、車掌に頼む と言ってしまった。

車掌さんも駅間は実質自動操縦ということをしっていたから、まあ、引き受けてしまったのだろうと思った。

そして、僕は、このニュースを知ったとき、実は、それなら運転席に、おまる というか簡易便器をいざというときのために置いておけばいいのにと思った。

運転士ひとりなら、別に 簡易便器を使いながらでも乗客に見られることはないし、今はいろいろ瞬間的に固めてしまうような化学薬剤の入った簡易便器もあるだろうから、それで大丈夫なのではないかと。

しかし、運転士ひとりでは、腹痛以外のもっと重篤な体調不良の場合に心もとないという新聞の指摘を読むと、僕の認識が甘かったと思ってしまう。

とはいっても、JRもコロナで赤字の垂れ流しだろうし。

運転士二人雇う余裕はないかもしれないし、でも、一人では危ないし、と思うと堂々巡りになってしまう。

今の、世の中、本当になにかと堂々巡りだなと思う。

駅のコンコースなどに警察官や、ガードマンが露骨に立っている姿をみることも多くなった。

ああいうの見ると、抑止力になるのか、逆に、人の感情が刺激されて余計に、治安が悪くなるのか、これも、一概にはわからないなと思ってしまう。

もちろん、抑止力になることをひたすら祈っているけれど。

アプリなど、デジタル化を進めすぎたお店で、スマホが、うまくつながらなかったりフリーズしたりして、店員さんと若い子が険悪な雰囲気になっているのを見かけることも多くなった。

デジタルは、便利な面があることは否定しないけれど、ちょっと障害を起こしたときは、手に負えないような問題になってしまうことも多い。

そういう不安を抱えながら、お店や会社を守るというのもまた、大変なことであるように思う。

チャップリンが、映画、モダンタイムスに描いたように、人間が機械を支配しているのか、機械が人間を支配しそれに人が怯えているのか、わからなくなることがときどきある。

旧約聖書の知恵の書に
「賢者は身の危険を感じると身を隠すが、愚かなものは向かっていって罰を受ける」という主旨の記述がある。

本当に、ものごとに向かっていく勇気も大切と思うけれど、危険と思ったら黙って身を引く勇気も同様に、あるいは、それ以上に大切だと感じる。

そういう判断にしかるべき直感と慎みが働きますようにと心の中で願っている。

そういうのもふくめて、なるようになると心に言い聞かせて生きていきたいと思う。

一日、いちにち無事に過ごせますように、それを一番に願っていきたい。







気持ちの温度差

2021年05月22日 | 日記
日中に電車に乗ると、みんな間隔をあけて座ることが多い。というか間隔をあけて座っていると言い切れるほどだ。

今日、夕方のラッシュ時に私鉄に乗った。やはりコロナなので、席の間隔はあけなくてはと思い、人が一人座れる分くらいの間隔を両隣の人とのあいだに作る形で着席した。

しかし、混雑した車内で立っている人の体の動きを見ていると、そんなに間隔をあけないで、もっと詰めてくれよ、ときっと思っておられるだろうということがなんとなくわかる。

それは、座席の間隔があいているところに立って、体を前傾させたりして、ソワソワしれおられたりするので、なんとなくその気配で、もっと詰めてほしいと思っておられるのだろうと感じたりする。

それで、周りを見回してみると、列車の進行方向と平行に座席がとってあるその車内では、ほとんどの場所でみんな、コロナでないときと同様に座席を詰めて座っているケースがとても多い。

ああ、やはり、会社に通って、ラッシュ時に電車に乗り込んでくる人は、もう、こんなときにソーシャルディスタンスなんて気にしてたら、やってられないと内心思っている人も少なからずいるのかもと思ってしまった。

ソーシャルディスタンスを自分は保っているつもりなのに電車の車内でそのことに無言の圧力を感じたのは少なくとも僕は初めてだった。

コロナに対するみんなの感じ方、捉え方に、以前と比べると個々人による温度差が出てきているんだなと思う。

マスクも、僕は、通気性が悪くても飛沫防止効果の高いものと、飛沫防止効果は落ちるけれど通気性の良いものを持っている。

呼吸の関係で、通気性の良いマスクをしたときは、なんとなく後ろめたさを感じることもある。

しかし、通気性の良いマスクも、ロフトで、自分なりに考えて選んだものなので、言葉は悪いけれど、コンドルのくちばしのような感じの、ウレタンのマスクよりは飛沫防止効果はましかもと密かに自分では思っている。

若い子でおしゃれな感じの子はけっこう、ウレタンのマスクをかっこよくつけていたりする。

暑くなってきて、鼻出しマスクのひとも増えたし、、、、。

と言っているときりがなくなってしまう。

ブッダの言葉に
「他人がしたこととしなかったことを見るな、ただ、自分がしたこととしなかったことだけを見よ」というものがある。

本当に、こういう言葉を自分なりに噛み締めて、自分ができる範囲のことをやって、あとはなるようになると考えてくのを基本にしたいと思っている。

とは言うものの、ちょっと、もう、ちょっとこれ以上我慢と言われたら、どこかで抜け道でも探さないと、、、と心のどこかで思っている自分もいたりする。

ブログに書いていいことがどうかわからないけれど、、、、。

それは、ともかく、一日いちにち無事にすごせますように。それを第一に願っていきたい。



いとしのエリー

2021年05月20日 | 日記
今日、地下鉄に乗ったら、ちょっと浮浪者風のおじいさんが、サザンオールスターズの「いとしのエリー」のサビの部分。

“”笑ってもっとbaby 無邪気にon my mind“”

のところを繰り返し歌いながら車内を行ったり来たりしていた。

ちょっと怖かったけれど、メロディーをかなり正確に歌っておられたので逆に多分、大丈夫だろうとも思っていた。

ただ、おじいさんの気持ちを刺激しないようにと思って、下を向いて不動の姿勢でいた。

車内に、女性も何人か乗っていた。

こういうとき女性はどういう気持ちになるのか、というのはちょっと男の僕には想像つかない。

僕自身は、別におじいさんが僕のところに抱きついてきたりしたとしてもなんとかする自信はそれなりにあった。

ただ、やはり、油断してえらいことになったら困ると思って、努めておじいさんのことを刺激しないように、下を向いて不動の姿勢を保っていた。

女性も、逃げたりする人は一人もいなかった。僕の個人的な感想として、それが正解だったと思う。

逃げたりしたら、逆に、おじいさんの感情を刺激してまずいように思った。

と、いうのも、たとえば、車内でちょっと咳やくしゃみをしただけで、さっと逃げていく女性に遭遇すると、僕自身も、ちょっとムカっとくることがあるのは事実だから、、、。

くしゃみといっても、僕の場合、寒暖差のアレルギーで出る場合が多いし、そういうので逃げられると、あまりいい気分にならないことは事実。

さいわい、2つ目の乗降客の多い駅でおじいさんは降りたから良かった。

ホームでもそのまま「いとしのエリー」の
“”笑ってもっとbaby 無邪気にon my mind“”を繰り返して歌っておられた。

まあ、コロナやし、ストレスで鼻歌歌いたくなるのかもしれない。

しかし、年代的に、いとしのエリーを知っている年代ではないおじいさんのようにみえたけれど、どこで覚えたんだろう。たとえサビだけとはいうものの、、、。

まあ、最近はいろんな人がカバーして歌っているから、そういう機会があるのかもしれないと思った。

ところで、僕、「いとしのエリー」の歌詞の中では

“”あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても
いままでしてくれたことを忘れずにいたいよ
もどかしさもあなたにゃ ほどよくいいね“”
というくだりが好き。

特に “”もどかしさもあなたにゃほどよくいいね“”というところ。

最高だなと思う。

僕が上に引用した部分は、歌詞が全体に、字余り気味になっていて、

一番と微妙に節回しを変えなければ歌うことができない。

そういう手の込んだ歌って、やはり、サザンはすごいなと思う。

基本的に、それまでの日本のポップミュージックにはあまりなかった手の込み方だから、、、。

高校2年のときに、ちょっと女の子に冷たくされたことがあって、落ち込んでいて、そのとき「いとしのエリー」がヒットしていて、いろんなところで流れていて、「いとしのエリー」を聴くとその時のことを思い出す。
 
僕にとっては、過去の情景や、心象とかぶっている歌だなと思う。

まあ、それはそれとして、どうぞ、毎日無事にすごせますように、それを一番に願っていきたい。



いつもと違う夏

2021年05月20日 | 日記
僕は、多分、元来は暑がりの方だと思う。

しかし、コロナで、電車が窓を開けていてその風に当たったりして、暑いということよりも、体が冷えるということを特に今年は意識するようになってしまった。

そのため、季節感と言うかそういうものが身体感覚的にちょっといつもの年と違ってしまっていることがある。

ただ、ここ二三日は雨模様で空気も湿気の多い日が多かったと思う。

そうすると、ずっと5月になっても着ていたユニクロのヒートテックの下着が、湿気で肌にピタッとまとわりつくような心地の悪さを覚えて、ヒートテックの長袖の下着から一気にエアリズムの半袖に変えてしまった。

やはり、もう夏だなと思う。

エアリズムの半袖の下着の上に、カッターシャツを着るというのが基本だけれど、やはり、換気で寒い場合に備えて、ブルゾンとネックウォーマーはかばん(リュック)の中に入れて出かけるようにしている。

こういうコロナの時ならではの持ち物が意外と多いなと思う。

マスクも、医療用の分厚い綿とチタンの合成繊維でできたものと、呼吸が苦しくなったときに備えて通気性の良いものを持ったりしている。

しかし、今日などは家にいると、もう、半袖の下着一枚になっていたりするので、さすがに暑くなってきているんだなと実感する。

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3日くらい前にJRのツバメの巣の下にあった糞を受けるためのダンボールの箱が撤去してあった。

ひなが随分大きく育っていて、もうすだちも近いなと思っていたタイミングだったので、きっと無事巣立ちしたことと思う。

それにしても駅員の人はそういうの、よく観察しているなと思う。

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コロナで経済が低迷している。新聞には、人口が減少していく時代に経済成長をするには、デジタル化などを含む生産性向上、海外市場の開拓が欠かせないという主旨のことが書いてある。

デジタル化などを含む生産性向上と言っても、還元すればデジタル化による、コスト削減なのではないかと思ってしまう。

経済に疎いので、そこまでして経済成長というものにこだわらないと、どんな不都合が出てくるのかということがなかなかわからない。そのあたりをわかりやすく説明してくれるニュースってなかなかないように思う。

いっそのこと、経済成長がなくても生きていけるんだよ、生きる方法はあるんだよ、と言ってくれる経済学者がでてきてもいいんじゃないかと思うこともある。

素人だからそんなお気楽なことを言えるのかもしれないし、逆に、経済成長がなくても生きていく方法があるのかもしれないし、、、。

コストカットということが叫ばれながらも、再生可能エネルギーへの転換は、逆に発電コストが高くなって、そのしわよせは、電気代の値上げ(電気の固定価格買取制度の負担の増大)という形でやってくるだろうということも新聞にはかなりはっきり書いてあるし。

本当に、誰が何を考え、どこへ行こうとしているのかわからない時代になったものだとしみじみと思う。

なるようにしかならないとおもうけれど、なんとか無事に毎日過ごせるようにとそれを第一に願っている。

それぞれに事情がある

2021年05月18日 | 日記
電車の中でのマナーは、あくまで僕の個人的な感想としては、概して男性よりも女性のほうが良いようにおもう。

ただ、これだけは、女性のほうがマナーが一般的に悪いと思うことが一つだけある。

それは、特にJRの快速型の車両のように、座席が進行方向と垂直に切ってある二人がけの座席がある場合に、そこに一人ですわって、あいている方を自分のバッグなどの荷物でふさいでしまっている人は、男性よりも圧倒的に女性のほうが多い。

このことだけは、ずっと不思議に思ってきた。女性のほうが座席に対する独占欲と言うかそういうのか強いのだろうかと思ったりもした。

それは、さておき、今日、ちょっと印象深い出来事があった。

電車で、進行方向と垂直に切ってある座席の窓側に僕は座っていた。

こういうコロナのときなので、僕なりにマナーには気をつけて、リュックは僕の真上の網棚に置いていた。

それで、僕はオカマというわけでは決してないのだけれど、男の割には足をそろえて腰掛ける方だ。身体感覚的になぜかそうなっている。

それで、二人がけの通路側の席には、そこそこ余裕ができる。

そこに途中の駅から乗り込んできたおじさんが座った。おじさんと言っても会社員風の人だったので、僕と同じくらいの年齢か、僕よりあるいは年下かもしれない。(大阪市長のマツイさんも僕より一つ年下やし、、、。)

その人が、なんか、割と大股開きで、かばんをその大股の上に横向きに置いたので、僕の方にかばんがかなりせり出してきているという感じだった。

なんか、その、なんとも言えない偉そばった感じが、ヤンキーのタイプの人のエラそばった感じと言うよりも、会社の偉い様系のエラそばった感じだった。

僕、ヤンキー風のエラそばった感じよりも、会社の偉い様風の感じのほうが苦手。

これは、困ったなあと思いながらも、脇を締めて、膝もできるだけ閉じ気味にして、体が開かないように注意して、新聞を読んでいた。

ページをめくるときも、隣のおじさんの方に新聞がはみ出さないように最大限注意した。

あと、おじさんと目を合わさないようにも注意した。

僕が、おじさんのことをあまり快く思っていないことを悟られたくなかったから、、、。

まあ、適当に、そのへんの駅で降りるやろうと思っていたら、そのおじさんは、スマホをいじっていたけれど、なかなか降りる気配がない。

電車が僕が降りる駅の前の駅を発車してもまだおじさんは僕の隣に陣取っていた。

僕にとって感じのいいおじさんだったら、「次の駅で僕、おりますので、早めに通路に出て網棚の荷物取ります」と声をかけるところだ。

でも、そのおじさんにはそういうこと言いにくそうな雰囲気だった。

それで、僕は、ままよと思って、自分の真上の網棚にのせたそこそこ大きいリュックを、てさぐりで、腕を垂直に僕の上の網棚に伸ばして、リュックの側面の布(合成繊維)のところを手で、ムズっと掴んで、小声で、「おいちょ、よっちゃ」といって自分の膝の上におろした。

僕はオランウータンのように、足はごく短く腕は極めて長いのでこういうときは便利だ。

そして、隣のおじさんに声をかけて通路に出ようと思ったら、知らぬ間に、隣のおじさんはいなくなっていた。

僕の、想像なのだけれど、僕が、ちょっと荒っぽい荷物のとり方をしたので、おじさんのほうが、ヘタに荷物が頭の上に落下したりしたら危ないと思って、僕のことを避けてくれたのかもしれない。

ありがたいといえば、ありがたかったけれど、怖そうな雰囲気の割には、知らぬ間にいなくなってくれて、おかげさまと思った。

それにしても、大股で座っていた割には、本当に不思議なくらいあっという間にいなくなったなと思った。

ほんとうに、ありがたいといえばありがたかった。

おじさんと僕とのあいだで険悪な雰囲気になったら、どうしようと思いそれを避けるように努力していたので、、、。

それで、ひとつ気づいたことがある。進行方向に向かって垂直に切ってある二人がけの座席に一人で座ったとき、女性が、あいている席を、バッグで微妙にふさぐのは、通路側にでかい男に座られると電車を降りるときに、出るに出られなくなるという恐怖感が無意識のうちにあるからではないかということ。

本当に、バッグで座席をふさぐといっても完全にふさぐわけではなく、微妙にふさいでいる、という感じの女性が多いのはそのためではないかとなんとなく思った。

完全にふさいでしまうと、それはそれで、文句を言われる可能性も高くなるし、、、。

まあ、僕のカンが当たっているかどうかは、僕は男なので永遠にわからないことだけれど、まあ、人にはお互いそれぞれの事情があると言うことだと思う。

それはともかく、一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。