ケンのブログ

日々の雑感や日記

コロナ長引く

2020年04月30日 | 日記
コロナで普通の生活に戻るのはもう少し先になりそうな雰囲気になってきた。それでも今日ちょっと電車に乗ったら祝日の昨日より若干ではあるけれど乗車率が高いようにも思う。自粛と言ってもずっと家に閉じこもってばかりもいられないと言う人がすこしずつ出てきているのだろうか。

一昨日だったか僕がコンビニに入る直前にポケットからマスクを出してしたら、少しニヤッと笑って自分もポケットから出したマスクをそこでしてコンビニに入った人がいた。はやりその人も僕と同じでコロナだからと四六時中マスクをしていたら息が詰まりそうと考えていたのかもしれない。なにしろこのコロナ騒動は世界中の出来事でいろいろ見ているとそれでも日本はまだ欧米よりましなように思う。

それでもこれだけ世の中の感じが変わってしまうのだから本当に今までに体験したことのないことだなと思う。
本当にどうぞ無事に乗り切れますようにと思う。

昭和の日

2020年04月29日 | 日記
新聞の国際欄を読んでいたらアメリカでのコロナによる死亡者数が58300人になりベトナム戦争での死者58220人を上回ったと出ていた。

僕が子供の頃ベトナム戦争の最中でアメリカがその戦争に苦しんでいるという報道にいろいろ接してきたのでそうか、ベトナムの死者を超えたのかとある種の感慨を持ってその数字を見てしまう。

それだけの死者が出ても街ではロックダウンに反対するデモたおきたり、大統領も経済の再開にさかんに言及したり、やはりアメリカのお国柄は日本とは違うなとしみじみと思う。

同じ国際欄にアメリカのある州で温かい週末には海岸に繰り出す人が多いのでそれをとめるのに躍起になっているとも出ていた。

翻って日本。死者数はアメリカの一割に満たない程度。しかし街に行けば、本当に静まり返っている。中央政府の統制が本当にこういうときにはよく行き届く国だなとしみじみと思う。

アメリカの建国の理念でもヨーロッパの市民革命でも自由 平等というのは大切なスローガンでやはりそういうものを希求する気持ちは欧米人と日本人では比べ物にならないのだとは思う。

欧米で自粛に反対するデモでは自由に関する格言のようなプラカードを持っている人が報道写真を見る限りでは多い。

本当に自粛にはまじめに従う私達の日本人の国民性がこういうときに報われるといいと思うのだけれど、、、。

本当に自粛ムードの昭和の日になってしまったなと思う。

ハイ 次 お兄さん

2020年04月28日 | 日記
何日か前に全国の主要都市の主要な駅で人手が大幅に減っているけれどその中でも大阪北のターミナルは全国でも減り幅が最も大きいと出ていた。

本当にわかるような気がする。お店は軒並み休み。行っても何もない。ただ、ぐるっと散歩するだけ。

しかし、それでもその街で果敢に店を開いているDKという薬や雑貨の安売り量販店がある。いまマスクを最も高確率で買うことのできるお店の一つと言っていいと思う。

何日か前そこの店員のお兄さんに「マスクはあそこですか」と聞いたら、そのお兄さんはそうですとちょっと中国のようななまりでおっしゃった。その顔がちょっと微妙ににやけているような感じだった。でもまあそのマスクを買ってきたら、ネットでこんなこと書くのはいけないかもしれないけれどまあ、粗悪品だった。粗悪と言ってもあまりよくはなかったという程度の話だけれど。急場で使うなら十分すぎるものだ。


いつもそんなマスクというわけではなくちゃんとガーゼのマスクが入っていることもある。それはなかなかいい品物で満足できる。

つまり、こういうときなので特定のマスクにこだわるのではなくとにかくその時々で仕入れることのできたマスクを売ろうというお店の方針なのだろうと思う。

その安売り量販店で先日、ちょっとレジに並んだらレジの40代くらいの女性が
「ハイ 次、お兄さん」と僕の方を向いて言ってくださった。

なんかお世辞で言ったというよりもその場の勢いで言ってしまったという感じだった。

60歳ちかくになって、自分より若い人からお兄さんと言われるのはその場の勢いとはいえ
なんとなく悪いことではないような気がする。

直感と理性

2020年04月27日 | 読書
芹沢光治良の小説「人間の運命」の主人公、森次郎は中学生の時、肋膜を患い、周りの大人から、そういう患いが起きるのは中学をやめて天理教の教師になれという神様からのお知らせだというように説得される。そのことに対して次郎はそれはちがうと敢然と反抗する。そしてこういう
「僕は誰がなんと言おうと自分の信念通り(中学へ)通学を続けます。それが神の意思に反するのならば、僕の息の根をとめるでしょう。しかたありません。僕は死んでもいいです」と。

金光さんがままよという気持ちとは死んでもままよのことであると言っておられるけれど本当に次郎の言葉はそれを地で行くような言葉だなと思う。

ところが次郎は一高に入学して兄から天理教の信仰から足を洗うように勧められたときはこのように答えている。

「でも、僕ねえ、急いで信仰のことには自分で答案を出さないでおこうと思ってます。天理教のことだって、自然発生的に小さい時から知っていただけで、僕の知った天理教がほんとうの教えかどうかもわかんないでしょう?沼津の髭の会長や岳東の会長の言うことやすることだって、支離滅裂で、どこまでが本当の信仰か・・・それに、僕はキリスト教も知りたいんです。そのうえで信仰を卒業するなら、したいなあ。それまでは無視しているつもりです」と。

本当に直感的に自分には受け入れられないと思ったことには死んでもいいと敢然と反抗し、自分にとって疑問点の残ることについては慎重に判断を保留する。

とても賢くて、気力があって、真摯な態度であるなと思う。真摯な態度をとることの大切さを改めて教えられるような気がする。

また、直感と理性とのバランスがとれた知性であることに改めて驚きの念を覚える。

お互いに気持ちを察し合って

2020年04月26日 | 日記
マスクをしてジョギングをしている人を見ると、あんなに呼吸のしにくい方法でジョギングをするって何か無理があるのではないか、またそこにコロナの感染を防ぐと言えるなにか合理的な理由があるのだろうかと思う。

確かにマスクをしていればジョギングをしている人の口からウイルスが飛ぶのを防ぐことはできるだろうしそれはかなり合理的にそうだろうと思える。しかし、人間の体ってそんなに単純なものではないように思う。マスクをして無理な状態でジョギングをして抵抗力が弱ったときにマスクを外して感染してしまうのではないかとか、、、。

同様に透明の薄い手袋をしてスーパーのレジをしている店員の方を見るとやりにくくてストレスがたまらないだろうか、ストレスは免疫力を下げると聞いたこともあるけれど、、、。やはり同様にそこにコロナの感染を防ぐ何か合理的な理由があるのだろうかと思う。

どんなことでも今はみんながそれぞれの立場で考えてやっておられることだと思う。何が合理的で何が不合理か確信を持って言える人はそんなにいないのだと思う。もちろん僕も何が合理的で何が不合理かの区別はつかない。

そこに例えば僕という一人の人間がなにかの合理性を見いだせないことがあっても今は、そういうのを否定をしないようにということを心がけている。他人が良かれと思ってやっていることを他人の気持ちも知らないで安易に否定するとそこにマイナスの気が生まれる。それが今は良くないことなのだと思う。

なるべくみんなで同じ時を過ごす気持ちをわかちあって、それぞれの立場にいる人の気持ちを想像しながら進んでいけるといいなと思う。

最前線で働いている方への感謝の気持ちを忘れずに。