今、新聞に昭和の時代の名力士 藤の川さんの話題がコラムとして連日出ている。
その中に 昭和36年当時の子供が好きなものとして 巨人 大鵬 卵焼き と言われていたという話が出ている。
まあ、そうだったなあと懐かしく思い出す。
大鵬は強いと思っていたけれど、大鵬が引退したのは昭和46年 僕がまだ小学校3年になりたての頃だった。
なので、大鵬の現役時代の相撲はあまり覚えていない。
ただ、祖父といっしょにテレビを見ているとき大関清国が土俵に上がっていて、テレビ画面に5勝1敗というような字幕が出ていた。
それを見て祖父が これは清国は5回勝って1回負けたという意味だと教えてくれた。
それで、僕が祖父に「大鵬は何回くらい勝つの?」 と質問したら
祖父は「大鵬は13勝も 14勝もして優勝するよ」 と答えてくれた。
それをきいて 僕は 13勝 14勝って少ないと思った。
大鵬は強いので100回でも200回でも勝つと思っていたから。
要するに、当時はまだ 小学校に上がる前で、相撲が一場所15回相撲をとるということを知らなかったから、13勝というのは15回のうちの13回と思えなかった。だから、13勝は少ないと感じたのだと思う。
それで、僕は知らなかったのだけれど、巨人 大鵬 卵焼きに対して
大人が好きなものは 大洋 柏戸 ウイスキーと言われていたらしい。
そういえば、僕の周りでも大洋ホエールズが好きな人って、ちょっと変わった人が多かったなと思う。
本当に大洋が好きなのか 受け狙いで大洋のファンと言っているのかわからいような感じの人もいたように思う。
それは 僕が勝手にそう思っていただけかもしれないけれど。
僕が高校生くらいのころ 巨人 大鵬 卵焼きをもじって
江川 ピーマン 北の湖 というのがあった。
これは 巨人 大鵬 卵焼きと逆で子供が嫌いなもの。
江川はジャイアンツに入団するときに、ちょっと法の目をくぐりぬけるようなやり方だったし、北の湖はガチンコに強すぎて、憎らしいと言われていた。
僕も当時は、輪島のファンだったから、北の湖がどれだけ目の上のたんこぶだったか、、、。
でも、今になって振り返ると、江川も北の湖も本当にすごかったなと思い出す。
卵焼きで思い出したけれど、昭和の時代、オムレツ、カレーライス、サンドイッチ、焼きそば、スパゲティ、目玉焼きの頭文字をとってオカーサンヤスメは手抜き料理と呼ばれていたそうだ。
新聞に書いてあった。
新聞は、今ではこのオカーサンヤスメもじゅうぶんにお母さんの味となっているという文脈の展開になっていた。
まあ、確かに、ここに言われている6つの料理は お母さんがさっさと作ってくれたというイメージはある。
僕の祖母はカレーライスを作る日は 今日は洋食 と言っていた。
「おばあちゃん 今日の晩御飯は何?」と僕がきくと祖母は「今日は洋食」と答えていた。
それをきいて 僕は今日はカレーかと思っていた。
後になってカレーはインドで東洋つまり 洋食ではないと知ったけれど、大正元年生まれの祖母にとっては、日本食以外は全部 洋食だったのかもしれない。
なにしろ 一生 ボールという語彙が身につかなくて、野球のボールのことを小さな毬と呼んでいた人だから。
おばあちゃんは 自分のことを わっち と呼んでいたので 「おばあちゃん いつから自分のこと わっち って呼ぶようになったの?」と僕がきいたら
「わっち って 言うようになった時から わっち って言っとるわ」と答えた。
ようするに ものごころついたときには 自分のことを わっち と呼んでいたと言うことで、非常にわかりやすい説明だなとしみじみと思う。
ああ、なつかしいなと感じると同時に、もう祖母とそんな話をしていたころの祖母の年齢に自分が近づいているなと思う。
■流浪(さすらい)の歌
中島みゆきさんの「流浪(さすらい)の歌」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。
聴いていただけるとうれしいです。
カントリーソングとは何かという一般的な定義を僕は知りませんが、この歌はカントリーソングだと思います。
歌詞にも 東の風は長距離バスが乗せてくる とありますから、西部をイメージしてしまいます。
中学生のころ「したくは何もないからただ裸足でドアを開けるだけ 形見になるようなものを拾うのはおよし そんなものは次の街ではただ邪魔になるだけ」という歌詞を見て、中島みゆきさんは本当にスケールの大きい人だなと思っていました。
中学生のころにはなにも感じていませんでしたが、今、「愚痴はあとからきいてあげるから 今は泣かないで」という歌詞を見ると これはやさしさと忍耐の極致だなと思います。
“”あとできいてあげるから 今は 泣かないで “”
とても大切な言葉ではないでしょうか。
あとまで待てなくて、早くしゃべりすぎて墓穴を掘る人もいるわけです。
あるいは聞いてもらう前に泣きわめいて取り返しのつかないことになってしまったり、、、。
あとできいてあげる というのは言う方も忍耐のいることです。
本当はすぐに聞いてあげて相手の機嫌をとったほうが楽かもしれない。
でも、今はそのときではない 今は その時間はないし 余裕もない。
また、あとで しかるべきときにね。
こういう、奥行きが現代の私たちには失われていると思います。
また、待つことでお互いに信頼が生まれるということもあります。
アプリで混み具合を事前にチェックして待たずに済む
そんなキャッチコピーばかり見ているうちに、待つことは損することだ と思い込んでいる人が多いように思います。
待ち時間も工夫次第でいくらでも意味のある時間にすることはできるわけですし、、、。
今の時代、こんなにのびのびとした歌は探してもみつからなくなってしまったなと思います。
この歌をアップするまでに動画サイトを見たら、ちあきなおみさんがこの「流浪のうた」を歌ったものがでてきました。
クセになって何度も聴きたくなってしまうほどうまい。ちゅっとしたこぶしの利かせ方が天才的。
ちあきさん自身が、たぶん流浪の人なので この歌がとてもはまるのではないかと勝手に想像しています。
↓↓中島みゆきさんの「流浪(さすらい)の歌」をDAMの音源で歌ったものです。
その中に 昭和36年当時の子供が好きなものとして 巨人 大鵬 卵焼き と言われていたという話が出ている。
まあ、そうだったなあと懐かしく思い出す。
大鵬は強いと思っていたけれど、大鵬が引退したのは昭和46年 僕がまだ小学校3年になりたての頃だった。
なので、大鵬の現役時代の相撲はあまり覚えていない。
ただ、祖父といっしょにテレビを見ているとき大関清国が土俵に上がっていて、テレビ画面に5勝1敗というような字幕が出ていた。
それを見て祖父が これは清国は5回勝って1回負けたという意味だと教えてくれた。
それで、僕が祖父に「大鵬は何回くらい勝つの?」 と質問したら
祖父は「大鵬は13勝も 14勝もして優勝するよ」 と答えてくれた。
それをきいて 僕は 13勝 14勝って少ないと思った。
大鵬は強いので100回でも200回でも勝つと思っていたから。
要するに、当時はまだ 小学校に上がる前で、相撲が一場所15回相撲をとるということを知らなかったから、13勝というのは15回のうちの13回と思えなかった。だから、13勝は少ないと感じたのだと思う。
それで、僕は知らなかったのだけれど、巨人 大鵬 卵焼きに対して
大人が好きなものは 大洋 柏戸 ウイスキーと言われていたらしい。
そういえば、僕の周りでも大洋ホエールズが好きな人って、ちょっと変わった人が多かったなと思う。
本当に大洋が好きなのか 受け狙いで大洋のファンと言っているのかわからいような感じの人もいたように思う。
それは 僕が勝手にそう思っていただけかもしれないけれど。
僕が高校生くらいのころ 巨人 大鵬 卵焼きをもじって
江川 ピーマン 北の湖 というのがあった。
これは 巨人 大鵬 卵焼きと逆で子供が嫌いなもの。
江川はジャイアンツに入団するときに、ちょっと法の目をくぐりぬけるようなやり方だったし、北の湖はガチンコに強すぎて、憎らしいと言われていた。
僕も当時は、輪島のファンだったから、北の湖がどれだけ目の上のたんこぶだったか、、、。
でも、今になって振り返ると、江川も北の湖も本当にすごかったなと思い出す。
卵焼きで思い出したけれど、昭和の時代、オムレツ、カレーライス、サンドイッチ、焼きそば、スパゲティ、目玉焼きの頭文字をとってオカーサンヤスメは手抜き料理と呼ばれていたそうだ。
新聞に書いてあった。
新聞は、今ではこのオカーサンヤスメもじゅうぶんにお母さんの味となっているという文脈の展開になっていた。
まあ、確かに、ここに言われている6つの料理は お母さんがさっさと作ってくれたというイメージはある。
僕の祖母はカレーライスを作る日は 今日は洋食 と言っていた。
「おばあちゃん 今日の晩御飯は何?」と僕がきくと祖母は「今日は洋食」と答えていた。
それをきいて 僕は今日はカレーかと思っていた。
後になってカレーはインドで東洋つまり 洋食ではないと知ったけれど、大正元年生まれの祖母にとっては、日本食以外は全部 洋食だったのかもしれない。
なにしろ 一生 ボールという語彙が身につかなくて、野球のボールのことを小さな毬と呼んでいた人だから。
おばあちゃんは 自分のことを わっち と呼んでいたので 「おばあちゃん いつから自分のこと わっち って呼ぶようになったの?」と僕がきいたら
「わっち って 言うようになった時から わっち って言っとるわ」と答えた。
ようするに ものごころついたときには 自分のことを わっち と呼んでいたと言うことで、非常にわかりやすい説明だなとしみじみと思う。
ああ、なつかしいなと感じると同時に、もう祖母とそんな話をしていたころの祖母の年齢に自分が近づいているなと思う。
■流浪(さすらい)の歌
中島みゆきさんの「流浪(さすらい)の歌」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。
聴いていただけるとうれしいです。
カントリーソングとは何かという一般的な定義を僕は知りませんが、この歌はカントリーソングだと思います。
歌詞にも 東の風は長距離バスが乗せてくる とありますから、西部をイメージしてしまいます。
中学生のころ「したくは何もないからただ裸足でドアを開けるだけ 形見になるようなものを拾うのはおよし そんなものは次の街ではただ邪魔になるだけ」という歌詞を見て、中島みゆきさんは本当にスケールの大きい人だなと思っていました。
中学生のころにはなにも感じていませんでしたが、今、「愚痴はあとからきいてあげるから 今は泣かないで」という歌詞を見ると これはやさしさと忍耐の極致だなと思います。
“”あとできいてあげるから 今は 泣かないで “”
とても大切な言葉ではないでしょうか。
あとまで待てなくて、早くしゃべりすぎて墓穴を掘る人もいるわけです。
あるいは聞いてもらう前に泣きわめいて取り返しのつかないことになってしまったり、、、。
あとできいてあげる というのは言う方も忍耐のいることです。
本当はすぐに聞いてあげて相手の機嫌をとったほうが楽かもしれない。
でも、今はそのときではない 今は その時間はないし 余裕もない。
また、あとで しかるべきときにね。
こういう、奥行きが現代の私たちには失われていると思います。
また、待つことでお互いに信頼が生まれるということもあります。
アプリで混み具合を事前にチェックして待たずに済む
そんなキャッチコピーばかり見ているうちに、待つことは損することだ と思い込んでいる人が多いように思います。
待ち時間も工夫次第でいくらでも意味のある時間にすることはできるわけですし、、、。
今の時代、こんなにのびのびとした歌は探してもみつからなくなってしまったなと思います。
この歌をアップするまでに動画サイトを見たら、ちあきなおみさんがこの「流浪のうた」を歌ったものがでてきました。
クセになって何度も聴きたくなってしまうほどうまい。ちゅっとしたこぶしの利かせ方が天才的。
ちあきさん自身が、たぶん流浪の人なので この歌がとてもはまるのではないかと勝手に想像しています。
↓↓中島みゆきさんの「流浪(さすらい)の歌」をDAMの音源で歌ったものです。