ケンのブログ

日々の雑感や日記

平成最後の日

2019年04月30日 | 日記
朝ラジオを聞いていたら今日は平成最後の日という
言葉を何度か耳にした。
パーソナリティが岐阜県関市と僕の故郷の地名を口にした。
ええ、なんだろうと思って注意すると
関市の道の駅平成は平成最後の日ということで
人々で賑わっておりますと言っていた。
そうなのかと思った。
パーソナリティはただし平成はへいせいではなく
へなりと読みましてこれはここの地名なのだそうで
ございますと言っていた。
故郷のニュースが他愛ないニュースでよかったなと思った。
女性のゲストがこの番組が終わったら平成最後のランチを
食べますと言っていた。
今日はなんでも平成最後なんだなと思う。
けれど、なんかことさら最後という感覚は
僕にはいまのところあまりない。
やはり今日は元号にまつわる話題が多かった。
ある女性のパーソナリティは
私は昭和45年で自分は昭和生まれ
昭和の人間と思ってましたが
昭和は64年までなので昭和で18年
平成で30年あまりと平成の方が
自分の人生のなかで長いことに改めて気づきました。
息子によくお母ちゃんは昭和の古い人間
みたいに言われるけれどそうではないと
思うというようなことを言っていた。
そういわれて僕も計算してみると
昭和より平成の方がすこし長いことになる。
しかし、’昭和45年生まれの方も含めて
お互いに昭和の時代に青春期をすごしているので
自分は昭和の人間という意識があるのだと思う。
これからゴールデンウイークで連休になるけれど
非正規雇用の人は連休になると
給料が下がる。
それでは困るという人もいて
そういう人は連休中別の仕事を探す場合もあるが
必ずしも思うにまかせないことがある。
というような方に話が展開した。
連休中も仕事で大変というかたがいる一方で
連休中仕事がなくて困るという人もいる。
ほんとうにその人々の生活の状況に応じて
悩みや希望も異なるのだなとしみじみと思った。
休みということに関連して
我が家はみんな休日がフレックス。
なのでどの曜日でも必ず息子か夫か誰かが家にいる。
その誰かのために私は食事を用意しなければならない。
ほんとうに主婦に休日はない。
というぼやきのお便りが紹介された。
たしかにその通りと思うけれど
職場はいつか離れるときが来る。
しかし家は通常いきているかぎりある。
そこでしっかり働いて主導権を握っておくと
みんなが職場を離れるような時期になって
きっと報われるような気がする。
こどもさんをしっかり育てたならば
最後の勝利は女性にあるのです
という八王源先生の言葉をしみじみと思い出す。

パーヴォ ヤルヴィ指揮 エストニアフェスティバル管弦楽団大阪公演

2019年04月29日 | 音楽
昨日はフェスティバルホールにパーヴォ ヤルヴィ指揮
エストニアフェスティバル管弦楽団大阪公演を聴きにいった。

最初に演奏されたのは
ベルト ベンジャミン ブリテンへの追悼歌
最初に鐘が三つなったので
ホールの三時の時報と演奏の開始が
たまたま重なったかと思ったら
そうではなくて鐘はこの音楽の
重要なモチーフとわかった。
演奏が開始してしばらくは
鐘がどこでなっているのか
わからず不思議な気持ちだったけれど
途中で弦楽器の指揮者から見て右斜め後ろに鐘の
奏者がたっていることがわかった。
結構最初のうち指揮者と弦楽奏者ばかり
見ていたので発見が遅れたと思った。
静かに始まる音楽がだんだん盛り上がっていって
最後は鐘の音の長い残響が消えて
終わった。
いかにも追悼歌という感じの音楽だった。

次に演奏されたのが
バイオリン独奏
五嶋みどりさんで
シベリウス バイオリン協奏曲二短調作品47
第一楽章
きらびやかでつややかというタイプの演奏とは
異なる世界が展開される。
哀しさと柔らかさが演奏に漂っているように思う。
哀しいから聴いていて気持ちが沈むというわけではなく
むしろ心の落ち着きを感じた。
ちょっと独特の世界観を持った演奏と思う。
第二楽章
この楽章の演奏が始まる前に
みどりさんは入念にチューニングをした。
静かでかなしくゆったりとしていてロマンチックだった。

第三楽章
ダンスの要素の強い旋律とリズム。
しかしダンスであるがゆえの高揚感というものを
あまり感じない。
かなり柔らかく静かに演奏が進んでいく感じ。
それでいて演奏に引き込まれていくのは
やはりみどりさん独特の世界観があるためと思う。
楽章の後半も音楽がぐっと盛り上がるというのとは
ちょっと異なる感じだけれど
なんとも言えない柔らかさがあってよかった。
最後はなんか盛り上がって終わるというよりも
すっと抜けるように演奏が終わった。
こういう終わりかたもちょっとやってできることではないな
と思った。
何がいいのかわからないけれど
なんかよかったという演奏だった。
みどりさんの演奏を聞くと本当にしみじみとよかったなあと
思う。
 
アンコールにみどりさんは
バッハの無伴奏バイオリンパルティータ2番
サラバンドを演奏した。
これもしみじみとした演奏でよかった。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
トゥール テンペストの呪文
緊迫した曲のわりに弦のおとがスカスカで
あるように聴こえる。
たぶん奏法の加減でそのように
聴こえるのだろうと思った。

次に演奏されたのが
シベリウス 交響曲第二番 ニ長調 作品43
演奏全体を通じて
いい感じだなあと思う場面と
このフレージングちょっと違和感を覚えるな
という感じの場面が交互にやってくるような感じだった。
なのでなんか落ち着かないなと思っているうちに
演奏がどんどん先に進んでいってしまった。

第二楽章の前半はフィンランドの森のような感じで
よかったと思う。

第三楽章辺りから
なんかホールの空調が
僕にとっては寒い感じになってきて
それもちょっと演奏に対する
集中力が途切れる要因になったと思う。

アンコールに
シベリウスの悲しきワルツと
ヒューゴ アルヴェーンの羊飼いの娘の躍りが演奏された。
アンコールはオーケストラの奏者が
のびのびと自由に演奏している感じでなんかよかった。

羊飼いの娘の躍りは
簡単にまとめると
急 緩 急の三部形式の曲だった。
最初の急が終わったとき会場からは
曲全体が終わったと思って拍手が起きた。
それを指揮者がまだ まだという感じで
制して演奏を先に進める場面が
あったけれどなんかユーモラスでよかった。

 

白鵬 三本締め けん責

2019年04月26日 | 日記
昨日の新聞に白鵬が大相撲大阪場所の
優勝インタビューで三本締めを観客に
うながした件で
けん責処分になったと出ていた。
いまの時代はなんかコンプライアンスということで
規則にはずれると本当に
しんどい面があるなとも思う。
しかし、それでもやはり
けん責は当然のように思う。
北の富士さんもいつか
最近は白鵬がインタビューに出てくると
はらはらするとおっしゃっていたけれど
ぼくもその思いは同じたった。
白鵬が優勝インタビューに応じるたびに
余計なことはしゃべるな
聞かれたことだけ答えとけ
と心のなかでひたすら念じていた。
大阪場所で観客に
三本締めを促したときは
正直、また始まったと思った。
絶対ただではすまないと思っていたら
やっぱりこうなってしまった。
このけん責処分に関して
いろいろな人の話が
新聞などに載っていたけれど
八角理事長の
「大相撲の伝統と秩序、様式美を、横綱だからこそ
率先して守ってほしいと白鵬に伝えた」という言葉が
一番思いやりがあってまとまりがいいと思った。
相撲は
アクティブに勝負している時間よりも
しきりの時間の方がはるかに長い。
その他にも呼び出しや行司の所作
場内アナウンスの独特の抑揚など
様々な様式美があり、僕の場合、
会場に相撲を見に行くということは結局
その様式美を見に行くということであるように思う。
やはり理事長の言葉は重みがあるなと思う。
白鵬の談話として
「勉強不足、しっかり勉強して
新しく生まれ変わる」と反省を口にした。
と出ているけれどこの人も本当に
へこたれない人だなと思う。

ちょっと蒸し暑く

2019年04月25日 | 日記
今日は雨はすこしぱらついた程度だけれど
一日曇りのお天気になっている。
なんだかにわかに蒸し暑いように思う。
ラジオの女性パーソナリティが
暑くなりましたが私はなぜか
室内で結構厚着になっています。と言った。
まだ空調の温度設定も夏場モードに
なっていないかもしれないし
なかなか室内での温度設定この時期
難しいと思う。
動くと暑いんですけど
ちょっととまるとすぐに寒くなるんです。
もう歳ですねえ。とパーソナリティは続けた。
いや、○○さんはいつもお忙しいし
それにお互いもうその日その日の
体調とは無関係でいられないようになりましたからね。
と男性のゲストが応じた。
まあそれはそうだろうと思う。
僕だったら寒いのは血流がよくないんじゃないですか
と言ってしまいそうで恐い。
そんなこと言ったら番組の進行が固まってしまうかも知れない。
女性に寒がりが多いのは
例えば子供の冷えに敏感になるなどに役立つように
思うことが最近よくある。
会社に勤めていた頃は
女性はすぐに夏場エアコンの温度設定を
あげたがるから暑いのになんでやねんとしばしば思っていた。
このカードを持っていると
女性がきゅんとなるカードランキングというのが
あるのですがご存じですか と女性パーソナリティが言った。
うーんJCB と男性ゲストが答えた。
もうほんまにメードインジャパンをすぐ思い浮かべる世代やから。
と女性アシスタントが応じた。
その番組によると
女性がきゅんとするカードランキング一位は
たしかアメリカンエクスプレスとのことだった。
それからいいカードを持つことは
ステイタスの証明になるとか
こんなメリットがあるとかいう話の
オンパレードだった。
そんなステイタスなどどいう言葉に
踊らされてしまったらちょっと恐いな
と思ってその話を聞いていた。
しかし、もう朝晩は寒いという感覚は
ほとんどなくそれよりも
暑さの方がむしろ気になるようになってきた。
これから本格的に初夏になるなと思う。

夏も近づき

2019年04月24日 | 日記
二日ほど前ラジオで岡村孝子さんが
急性白血病ということが
語られていた。
ラジオのパーソナリティは芸能人は
有名なのでとかくニュースになりますが
芸能界で病気などのニュースが多いということは
一般の方々にもそのようなことが多いと言うことだと
思います。みなさんお気をつけになってください。
と言っていた。
本当にそのとおりだなと思った。
芸能界のニュースをただの話として
興味を持つだけでなく
芸能人に起こることは自分にも起きること
と思っていろいろ反省のかてにしたり
するのはきっといいことだと思った。
スリランカは広い国で面積が
日本の十二倍 とラジオのパーソナリティは言った。
アシスタントの女性が
いいえ1.2倍ですとすかさず訂正した。
あっ。そうですか。十二倍はなんぼなんでも
ひろすぎますわな とパーソナリティは言った。
このラジオのパーソナリティもう80才を
越えているのでこういう文字の読み間違いと
思われるミスがときどきある。
アシスタントの女性は気が抜けないと思う。
でも80才過ぎても間違いは
若い人がフォローしようという気持ちになる
人柄だからこの年でもラジオのパーソナリティが
つとまると思う。
パーソナリティはスリランカの前にインドの
話をしていたのでインドとスリランカが
ごっちゃになってつい十二倍と
勘違いした可能性もあるし、、、。
スリランカのテロで罪のない人の命が
奪われた。
やられたらやり返せの考え方では
いつまでたっても平和になりません。
とパーソナリティは言った。
本当にそのとおりだなと思った。
この場合はテロなので命が奪われたという
言い方になると思う。
報道などでしばしば災害で命をおとした場合にも
災害で命を奪われたと表現されることがある。
最近、天皇陛下のお言葉を聞いていたら
自然災害で命をおとした
命を失ったという表現を陛下は用いられていて
やはり安易に災害が命を奪ったという表現は
なさらないのだなとしみじみと思った。
災害が命を奪うと言うと
つい無意識のうちに災害に恨みを向けることに
なってしまうこともあるので
きっと国民の象徴としての言葉としては
ふさわしくないのだと思う。
やはり言葉の使い方にもその立場に
応じた表現の仕方があるのだなと思った。