僕の自宅マンションの近くにたぶん昭和40年代に建ったマンションがある。
そのマンションの横の通り道には桜の木もあって通り抜けるのが楽しみだった。
若いママが、井戸端会議をしていることも、ままあった。
一ヶ月くらい前からそのマンションの側道が通行止めになった。
理由はわからないけど、なんしか通行止めだからとそこを通らないでいた。
一週間くらい前に、その通行止めの仕切りの脇に少し隙間ができていた。
通れるものなら、マンションの側道を通ったほうが少し駅に近道になる。
それで、その隙間をかいくぐってマンションの側道に入った。
すると、そのマンションの階段がベニヤ板で塞いである。
あれ、と思ってみると、マンションにはもう誰も住んでいなかった。
本当に、この春先までは若いママが井戸端会議をして、子供も三輪車に乗っていたりしたのに。
いつの間にみんなマンションを引き払ったんだろう。
すぐ近所のマンションなのに気づかなかった。
もし、女性と一緒に暮らしたりしていたら、女性の情報ネットはすごいから、僕もなにかわかったかもしれないけれど、こういうとき独り身の情報のなさを感じるなと思う。
しかし、マンション一棟まるごと人がいなくなるのに気づかないなんて都会生活の盲点だなとも思う。
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僕の近所の水田の田植えにはかなり時間差があって、もう田植えが終わっている水田もあれば、まだ、準備中のところもある。
そんなこともあって、歩いていると結構、水田に目が行く。
何日か前にJRの駅の山側の水田はどうだろうと思って見ると水田はもうなくて、盛り土がしてあって、ブルドーザーがその脇に止まっている。
ああ、この何年か、市民の草の根団体の人が、駅の山側の開発反対と言っていたのはこのことかと今さらのように気づく。
しかし、どうなんだろう、僕の住んでいる町をこれだけ開発して、しかるべきマンションの入居率になるのだろうか。
エビデンスは何もないけれど、直感的に、難しいような気もする。
まあ、こればかりは、やってみなければわからないけれど。
しかし、田んぼのあぜ道を通って、高速道路のすぐ近くにある高校に通う高校生を眺めるのが好きだったので、残念と思う気持ちはある。
最近、僕の住む街に私立高校が一つ移転してきて、公立高校とはちょっと違う方向からやってくる高校生はよく見かけるようになったけれど。
しかし、宅地開発がなされていても、どうも今ひとつと感じてしまうのは、僕の今の時代に対する気持ちが影響しているのだろうか。
そんな気もする。
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五輪選手のコロナワクチンの接種に関してある競技団体幹部のこんな談話が新聞に出ている。
「(ワクチンの)将来のリスクなど細かい説明はなく、『すぐに回答を』という感じだった」と。
本当に、これも今のすぐに回答を迫る世相を反映した言葉だなと思う。
すぐに回答を迫られるといえば僕にとってはアプリもその一つ。
僕が、アプリに関して、どうもあまり積極的になれないのは、アプリを入れようとすると、次の〇〇に同意しますかということをアプリが聴いてくることが多いということもある。
もう老眼やし、画面でそんな同意すべき規約の文章読む気力ないし、でも同意する とすぐにタップしないと、アプリの画面が先に行かないし、それでアプリに登録して、何かあった時に「あなた、このリスクがあることについては同意してますよ。ちゃんとアプリで同意したことになっています」と言われたらどう抗弁したらいいのかわからないというのも一つある。
まあ、駐車場に「無断駐車は罰金2万円」と張り紙をしたら、それだけで2万円の請求の正当性を法的に認められるほど、世の中、単純ではないので、アプリの同意もいざとなったら開き直って裁判に訴えてくださいと言ってもいいのかもしれないけれど、、、。
そんなこと言う勇気があるかどうか、、、。
もちろん、スマホを持ってないので、タブレットにアプリを入れて、お店で、しゃがんでリュックをあけて、タブレットを取り出して、うーん えーと とやっていると、受付に並んでいる人の列の邪魔だし、自分自身もそれでストレスということもあるけれど、、、。
何かとややこしい世の中だけれど、一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。