ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルハーモニー演奏会に行く 

2022年08月31日 | 日記歌入り
8月29日は 愛知県芸術劇場コンサートホールに 名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴きに行った。

指揮は小林研一郎さん

大阪にいるころ 小林研一郎さんは 毎年8月に 未完成 運命 新世界より の3つの交響曲を一晩で演奏する 三大交響曲の夕べ という特別演奏会を開いておられた。

在阪中に 何度か この演奏会にはいった。

同じ プログラムでも リピートして行きたくなるような内容だったと記憶している。

さて、最初に演奏されたのは 
小山 実稚恵さんのピアノで ベートーヴェンの ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」

生演奏で 視覚を伴う状況で聴いていると オーケストラの部分は 結構 木管楽器が しみじみと 歌う場面も多いんだなと感じる。

小林研一郎さんは よく チラシに 炎のコバケン と書いてあって 実際に 情熱的な演奏が多かったけれど 皇帝は 割とマイルドな 感じの 演奏だなと思った。

小山 実稚恵さんのピアノは 炎の小山 という感じの演奏ではないので それにつられたということが大きいのではと思った。

小山 実稚恵に関しては 大阪にいるころ いずみホールにベートーヴェンのピアノソナタを演奏するリサイタルに 何度か 足を運んだ。

その時に 僕が 小山さんのベートーヴェンは こんな感じ と思って 心に抱いていたイメージと 小山さんの 皇帝の演奏は どこか かぶるところがあったので いずみホールで聴いた実稚恵さんのベートーヴェンの体験が心によみがえるようで それは 個人的にはちょっとうれしいことだった。

第二楽章を聴いているときに いやあ 生で聴くと これは 壮大な ロマンツェだなと思った。

それで 思い出したのだけれど 第一楽章も これまでは エネルギッシュな音楽だと思っていたけれど しみじみと 心が安らぐ場面も多いのだなあと 感じた。

この曲は 第二楽章から 第三楽章が切れ目なく 演奏される。

第二楽章の終わり(たぶん)でピアノが 第三楽章のメインテーマの 断片を ちょっと 出して それから 一気に 快活なリズムの 第三楽章に突入していく。

小山 実稚恵さんの演奏 この 第三楽章に入るところ うまく決まったと思った。

きっと、実稚恵さんも それに 満足されたのだと思う。 ピアノに続いて オーケストラがこの快活なテーマを演奏するところでは 上半身をスイングさせて 自ら オーケストラを指揮しておられるような感じだった。

実稚恵さんの その うれしそうというか 満足そうな さまを見て いかにも 実稚恵さんらしいな と思った。

あの うれしそうな しぐさを 見るだけで コンサートに来て よかったと思ってしまう。

アンコールに 小林研一郎さんに促されて エリーゼのために を演奏されたけれど これも とても 丁寧な 演奏で 感激した。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが 
ブラームス 交響曲第1番 

第一楽章で ティンパニーが 指揮者の正面に陣取っていたので よく目に入った。

冒頭のところで ティンパニーの響きが 耳に入ってきたので そこに目をやると ティンパニー奏者の方が 二台のティンパニーを 左右同時にたたいておられた。

ふだん あまり ティンパニーの方を見てないせいもあるのかもしれないけれど あんな たたき方 初めて見た と思った。

そうか ブラームス交響曲第一番 第一楽章の ティンパニーは あんな風にたたくんか とちょっと感激してしまった。

それで 家に帰ってきて ユーチューブで ブラームス一番の 動画をいくつか 見てみた。

1975年に カールベームさんが ウィーンフィルと来日されたときの動画では 一台のティンパニーを左右の腕で 交互にたたいておられる。

僕には これが 見慣れた光景に思える。

ところが 洗足学園大学の 動画を見ると やはり 二台のティンパニーを 同時にたたいている。

これが 最近の 傾向なのか それとも いろんな たたき方があるのか。

そのあたりは 僕は楽器の演奏には 疎いのでわからない。

ただ、第一楽章は ティンパニーが 演奏の印象を形成するのに とても 大きな役割の担っていることは 間違いないと思った。

ベームさんの演奏の ティンパニーのたたき方は 晩年の ベームさんの 何とも言えない 力の抜け感 にうまくマッチしているように思うし。

二台 同時にならす 力強い 感じも また いいし。

しかし 小林研一郎さんの 第一楽章の 指揮が 力強かったかというと これが また何とも言えない印象だった。

炎のコバケンを思っていたけれど 意外と マイルドやん と思う場面も多かった。

小林研一郎さんも 80歳を過ぎて 円熟の境地か それとも 年齢からくる 衰えか いったいどちらだろう と思っているうちに 演奏が どんどん 進んで行ってしまった。

僕は これまで 名古屋フィルは 定期演奏会しか 行ったことがない。

8月29日のような 特別演奏会だと 定期演奏会とは ちょっと お客さんの層が違うように感じることもあった。

なんというか 普段 音楽を 聴きなれていない人が 観客に占める パーセンテージが高いというか、、、。

そんな ことを 考えて ちょっと気が 散った側面もあるかもしれない。

ただ、 演奏会というのは 演奏者と 聴衆の 両方があって 初めて成り立つものだし 演奏会の 印象は 演奏者だけで決まるものではなく 演奏者と 聴衆の 双方が生み出すものだということを 自分なりに 思い知ることになった。

あれこれと 考えているうちに 演奏が どんどん進んで行って 気づいたら終わっているという感じだったこともいなめない。

しかし ブラームスの一番も 木管楽器の使い方は 味わいがあっていいな と思った。

もちろん 金管楽器も 素晴らしかったけれど。

帰りは 40分くらいかけて 名古屋駅まで歩いた。

コンサートの帰りに 歩いているうちに 少しずつだけれど 名古屋にも慣れてきている気がする。

それは ともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを 第一に願っていきたい。

■風立ちぬ
松田聖子さんの「風立ちぬ」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

詞にもメロディにも そして 聖子さんの歌い方にも 何とも言えないムードがあって好きな歌です。

大瀧詠一さんの作曲 松本隆さんの作詞です。


↓松田聖子さんの「風立ちぬ」をカラオケDAMの音源で歌いました。









 


友達になって

2022年08月29日 | 日記
何日か前の 読売新聞に 発言小町と言って ネット上で 主に 女性が井戸端会議をするような サイトから 次のような トピックの引用が載っていた。

“”同じ賃貸住宅に住む高齢者女性(80代半ば、私からしたら母親世代)に、友達になってほしいと言うメモ(名前、電話番号記載)が玄関ポストに入ってました。

かれこれ6年以上前、たまに会うと挨拶、名前とどの階に住んでますと自己紹介され雑談はしていました。

ここ数年は会うこともありませんでしたが、最近再会しワクチン接種したと仰ってました。

 引っ越しが多い人生でしたが、このようなことは初めてで戸惑っております“”と。

それで この トピックをネタに みんなで ネット上で井戸端会議をすることになる。

新聞にも その 抜粋が 載っていたし 僕も 実際に サイトを見てみた。

それこそ 井戸端会議なので いろんな 発言があって まとめることは むずかしいのだけれど 目につくものとしては  「いきなり 友達になってと言われるのは 心理的に重い」 「民生委員とかにまかせたらいいのでは」 とか 「立ち話以上の仲には なかなかなれない」 などの発言が多い。

本当に 僕も 人と 友達になるのが うまくないと思うので こういう 発言小町のトピックを見ると 身につまされる気持ちになる。

僕の 過去の記憶をたどると まだ それほど 仲良くなっていない人に 例えば 「よかったら 連絡ください」と言って 連絡先のメモを渡したりしても 連絡は 来ない場合の方が圧倒的に多かったと思う。

やっぱり 今の時代 家族も 核家族化して 地域の つながりも 少なくなり みんな それぞれの 生活を 営む ということになると いきなり友達になって と言われても 重いと感じてしまう人が多いのだと思う。

僕自身も きっと そうだと思う。

やっぱり 困りごとがあったら 自治体など 公的なところに 相談に行ってほしいと思う 気持ちは 僕も同じだ。

ただ、そう思う一方で なんでも 自治体や 専門家に まかせてしまう という傾向が 今の時代 強いのも やはり 世の中の しくみの システム化 という流れの一環なのだなと思う。

寂しいと言えば 寂しいことのように思う。

ただ、子供の時のころや 学生のころを 思い出せば 休み時間に 話したりしているうちに 気が合いそうだったら 今度の 日曜日 家に 遊びに行く と約束したり 学校帰りに 一緒に喫茶店に寄ったり 映画を一緒に見に行ったり 公園を散歩したり そんなことを 繰り返すうちに 一緒にいて 楽しかったら また行こう ということになって 気づいたら 毎日 学校帰りは 一緒だったり 気づくと 週に 一度は 一緒に喫茶店に行っていたり そんな風だったと思う。

それで いつも 一緒にいる人と 「俺たち友達だよな」 と意思を確認したような記憶もない。

そんな風だったと思う。

若いころに 戻ることは もうできないし 歳をとったら 学校も 会社も ないので 毎日 顔を合わせる人いなくなる。

けれど、文化サークルとか 運動サークルとか そんなものに顔を 出しているうちに 気の合う人が 出てくるかもしれないし。

やはり 若いころ どんなふうに 友達関係が形成されていったか そういうことを振り返ってみることが 大切であるような 気がする。

そんなことを 考えていたら 小椋佳さんの 「ただお前がいい」という歌のこんな 一節を思い出した。

「また会う約束など することもなく それじゃあまたな と別れる時の お前がいい」と。

本当に 友達に なってしまえば 「じゃあ また」と言えば それで すむようにも思う。

そういう 関係性を 具体的に 歌詞にしてしまう 小椋佳さんはすごいと思う。

そういえば 何日か前 田んぼの あぜ道を 中三くらいの女の子ひとりと 男の子二人が 自転車で走っているのをみかけた。

一般的に 考えると 女の子ひとりに 男の子二人だと 女の子が 危ないんじゃないかと なってしまうけれど その子たちの雰囲気は そんな風ではなかった。

危ないという 感じは 全然なかった。

そういうのって 僕も 田舎育ちだから なんとなく 感覚でわかる。

でも そうやって 女の子ひとりと 男の子二人で 自転車で 田んぼのあぜみちを 走ったことって 意外と 年取ってからも 覚えていたりして。

そういうものではないかと 思う。

それは ともかく 一日 いちにち 無事で過ごせるように それを 第一に願っていきたい。



 



高校野球女子チーム 胸いっぱいの悲しみ

2022年08月28日 | 日記歌入り
8月27日付の読売新聞に イチローさんが自分の選抜チームと 高校野球女子選抜チームと試合をするという記事が出ている。

試合は11月3日 東京ドームで行われると出ている。

昨年 イチローさんが高校野球女子選抜チームと神戸のスタジアムで試合をしたことは 報道で知っていた。

それで、 高校野球女子選抜チームと 真剣に 野球をすることにとりくむというのは なんとなく いかにもイチローさんらしい気がする。

ちょっと あの人は 異次元の人なので、、、。

イチローさんが神戸のスタジアムで試合をしたときに 女子の高校野球選手が イチローさんに 「打席に入るときに 気持ちがあたふたしてしまうことが あると 思うけれど どうすればいいか」 という主旨の質問をする ビデオがネットに出ている。

イチローさんは レベルの高い質問ですね と前置きして 自分が2009年のWBCで決勝タイムリーを打った 場面のことを振り返りながら 具体的に あの時はこうだった。 という話をしておられる。

もちろん イチローさんは 具体的な話をした後に 一般的に まとめることもしておられるのだけれど 2009年のWBCの場面の話が かなり 詳細なものなので 一般論の話は 記憶にあまり のこらないし ある意味 一般論など どうでもいいと思えてきてしまう。

作家の 村上春樹さんが ある 小説で 「一般論では我々はどこにも行けない」という主旨のことを書いておられたことを思い出した。

でも あの 2009年の イチローさんの 決勝タイムリー。 もう 13年前のことだけれど 打球が幻想的なカーブを描いて ピッチャーの右側を通過して センター前に抜けて行った光景は テレビ画面を通じてのものだけれど 僕の記憶にもあざやかに残っている。

YouTubeでその場面を再生してみたけれど ああいうときの 記憶というのは かなり 正確に脳裏に残っているものなのだなと思った。

2009年のWBCでイチローさんが打席に入った場面の話を聞きながら 女子選手の多くが泣いていた。

そういう 共感を示す子が 多いことが イチローさんが 女子野球の指導に興味を示した 一因かもしれない。

もちろん それ以上に イチローさんがプロの視点から 女子野球の実際を見て 指導したいと思われた ということが大きいとは思うけれど、、、。

それは ともかく 一日 いちにち 無事にすごせますように それを 第一に願っていきたい。

■胸いっぱいの悲しみ
沢田研二さんの「胸いっぱいの悲しみ」をカラオケDAMの音源で歌い簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

沢田研二さんの歌の中で 最も 好きなものの一つです。

加瀬邦彦さん作曲 安井かずみさん作詞です。

↓沢田研二さんの「胸いっぱいの悲しみ」をカラオケDAMの音源で歌いました。






どうもおかしいぞ

2022年08月27日 | 日記
暑い夏だったと 新聞に書いてある。

僕は 昨年までは 関西で 外を歩きまくる生活をしていて 今年からは 自動車で移動が基本の生活なので 今年が さほど 暑いとは 感じなかったけれど、やはり 暑かったのかと思う。

暑かったから どうなったかというと 暑さの結果の一つとして 今年は 蚊が少なかったと新聞に書いてある。

そういわれてみれば 今年 蚊に刺された記憶が ないぞ と思う。

何かの拍子に 蚊が 自動車の中に 紛れ込んできたときに 刺されたけれど それ以外 今年の夏は 蚊に刺された記憶がない。

言われてみれば こんな 夏 初めて。

やはり 異常気象なのか 、、、。

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旧統一教会にまつわることで
永岡桂子文部科学大臣の言葉として次のように書いてある。

「旧統一教会をめぐる問題は 憲法上の信教の自由を尊重しつつも、法令から逸脱する行為があれば厳正に対処することが必要」と書いてある。

本当に その通りだと思う。
まず 憲法上の信教の自由を尊重すること。

次に 法令から 逸脱する行為に対処する 

この二点をおさえることが とても 大切と思う。

あたかも 旧統一教会 そのものが 悪であるかのように たたいてしまうのは よくないと思う。

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新聞の 人生案内のコラムにこんな相談が出ている。

「30代の女性。60歳を超えた父が不倫していることを知り 母に伝えるべきか悩んでいます。 父の不倫相手は 同業他社の50代半ばの女性。妹が父の不審なLINEに気づき、やり取りなどを確認したところ 複数年にわたって月 1 2回 ホテルで会っていることがわかりました。母は全く気付いていません。 以下略」

僕 この 相談の投書を見て思った。

不倫は 僕の記憶では 刑法で 刑罰を科されることは ないはずだと思う。

ただ、不倫によって家族や 夫婦の 生活の平穏が侵されるので そういう 権利の侵害をもとに 民事裁判になることは あると思うけれど。

一方 LINEを見ることは わからないけれど これに 類似した行為 つまり 他人の手紙を勝手に開けて見る行為は 場合によっては 刑事罰の対象になりうると思う。

そう考えれば お父さんのLINEを勝手に見て それも ちょっと見るという程度ではなく 複数年にわたって月 一二回 女性とホテルで会っていることまで わかるくらい 詳細に 調べまくることは 著しい プライバシーの 侵害なのではないかと思う。

不倫と同様に 考えようによっては 不倫以上に 家族生活の平穏を侵す行為かもしれないと思う。

娘さんの 考え方は 不倫をするような 悪い人に プライバシーなんかあるか ということなのだろうか。

聖書には 神は 善人にも 悪人にも 雨を降らせ 日を登らせる と書いてあるけれど、悪人にプライバシーは ないと考えるのは とんでもない 思考回路であるような気がする。

デジタルの時代になって アナログの 時代よりも 指先だけの 操作で いろんなことを知ることができるから そのために 思考回路が くるってしまう人が多いような気がする。

もちろん 僕も その ひとりとは 思うけれど。

これが LINEではなく アナログの 手紙だったら 過去の女性との逢瀬まであばいてしまうには それこそ おびただしい量の手紙を見なければならず 自分が見た 他人の手紙の量に 圧倒されて 「人の手紙を勝手に見てはいけない」 という自制心が働く可能性は 大いにあると思う。

LINE だと 指で ちょこちょこ やっているだけで 他人の やりとりが わかってしまうから 自分が 他人のやり取りを 勝手に見ている という 罪の意識が 希薄になってしまうように思う。

最近の 世の中が どうも おかしいぞ と 時々 思えてくるのは 想像もしなかったような 速い デジタル化の波に私たちの 思考が ついていかないことも 大きな原因の一つのように思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に願っていきたい。

 








影を慕いて

2022年08月26日 | 日記
YouTubeで SP盤の音源と思われる 藤山一郎さんが歌う 「影をしたいて」を聴いた。

藤山一郎さんが歌われていることもあると思うけれど 西洋のクラシックの歌曲に 匹敵する歌だなと思った。

歌詞に 「身は焦がれつつしのび泣く」とある。

しのび泣く って もう 半ば死語になった言葉かもしれないと思う。

けれど いい言葉だなと思って。

人の 知らないところで 泣いているというのは 悪いことでないような気がする。

作詞は どなたかと思って 調べたら 作曲した 古賀政男さん自身の作詞となっている。

いやあ すごいなと思う。

中島みゆきさんの 五つのころ という歌に。

「時は流れすぎて 大人になって 涙流しながら 泣けなくなった 
思い出してみたら 悲しくなって 泣きだそうとしても 泣き顔がない」という一節がある。

このフレーズは 「泣けないことが 悲しくて 泣きだそうとしても 泣き顔がない」という意味にとっていいように思う。

悲しいから泣く というのが 普通の発想だと思うけれど
泣けないことが悲しい というのは 芸術家の発想だと思う。

その 芸術家の 発想が いろいろなことを 救ってくれることがあると思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように 
それを第一に願っていきたい。