ケンのブログ

日々の雑感や日記

知床観光船 心の旅

2022年04月29日 | 日記歌入り
■知床観光船

知床観光船のニュースで新聞に海が荒れたら引き返す予定だった と書いてあるのを見て、怖くなってぞっとした。

90年代に北海道に旅行に行ったとき然別湖という湖で手漕ぎボートに乗ったことがある。

調べると然別湖は周囲13.8キロの湖だ。

仮に円形だったと考えると直径4キロ余りの湖ということになるだろうか。

その湖で手漕ぎボートを漕いだ。

僕はその当時から天気予報をあまり見なくて北海道にめずらしく台風が来ることを知らなかった。

夢中でボートを漕いでいるうちに湖の中ノ島の近辺まで行ってしまい、そこで急に風が強くなって波が出てきた。

ボートの発着場まで一直線に戻ろうとしたけれど波にあおられて、ボートは全く自分が思った方向に進まない。

これは、まずいなと思っていたら、遊覧船が近くに来て、「大丈夫か 助けを出そうか」と船長さんが声をかけてくれた。

「おねがいします」と僕は言った。

船長さんは助けがくるまではなるべく自分で発着場に近づくよう努力するように言い残して去って行かれた。


然別湖は山の中の湖なので周囲は13.8キロ程度でも水深は100メートルくらいある。
けれども ボートは発着場になかなか近づかず、その場で波にあおられながらぐるぐる輪を描き続けているという状況だった。

「この手漕ぎボートの下には水深100メートルの水か」 と思うと怖かった。

時間が経過してモーターボートがやってきて、僕の手漕ぎボートをロープでつないで発着場までひっぱってくれた。

あの時、もし、モーターボートがこなかったら岸が近かったのでそこに上がろうと思っていたけれど、岸と言ってもそこは 標高1000メートル近い原生林。

その原生林の岸にあがって「おーい 助けてくれ」と僕のでかい声で叫んでもだれにも聞こえなかったかもしれない。

あの時のことを思い出すと今でもぞっとする。

そして、海が荒れたら引き返すという今回の知床観光船の判断は あの時 然別湖で湖が荒れてから引き返そうとして僕がとった行動と ほとんと同じパターンの行動だと思った。

観光船の貧弱な動力では 海が荒れていると気づいた時には すでに 波にあおられて操縦が困難な状況になっている可能性は高いと思いぞっとした。

自社の無線が使えなければ携帯電話か他社の無線を使えばいいと思っていたということにも、とても正気な判断ではないと思いぞっとした。

観光で旅行に行った人がその場の勢いに浮かれてとるような言葉は悪いけれど稚拙な素人判断と思った。

過失で事故が起きたというレベルの話ではないような気がして怖くなってきた。

知床の観光船も僕は乗ったことがある。

観光船で流れていた松山千春の「オホーツクの海」を聴きながら眺める知床半島やオホーツク海はいい思い出だけれど、そこは また、いかにも最果ての場所というさびしさの漂う場所でもあった。

そんなところで、大きな波にあおられて、おそらくは操縦不能の状態でみんな波にのまれていったかと思うと胸が重い感じになってくる。

事故の関係者のかたのショックは大きいと思うけれど時の経過が穏やかであるようにいのりたい。

■心の旅
チューリップの「心の旅」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1973年 僕が小学校5年生の時にリリースされた歌です。

歌詞の中に
「もしも許されるなら 眠りについた君を ポケットに詰め込んで そのまま連れ去りたい」とあります。

彼女をポケットに詰め込んで連れ去る。 まだ、小学生でしたが、いい歌詞だなあと思い、このフレーズが大好きでした。今でも好きです。

「にぎやかだった街も 今は声を静めて 何を待っているのか 何を待っているのか」というフレーズも僕の心にはひときわ留まりました。

にぎやかだった街 というのは彼女と歩いた街の心象風景でしょうか。そんな気もします。

何を待っているのか というのは彼女と別れたこれからの世界への期待と不安であるようにも思えます。

歌詞を書いた財津和夫さんは調べると昭和23年2月19日生まれとなっています。

いわゆる団塊の世代です。

この世代の方と よく 結び付けて考えられるのは学生運動。

「心の旅」がリリースされたのは1973年。学生運動が下火になっていった時期です。

「にぎやかだった街も 今は声を静めて」というフレーズはそのような時期を考えるとあるいは遠回しに下火になっていく学生運動を思い、これからの時代は何を待っているのかと歌っているように思えなくもありません。

彼女との思い出の心象風景と 時代一般の心象風景が重なっているところがこの歌詞のすごいところだと勝手に思っています。

当時 隆盛だった様々なバンドの歌で この歌は僕が最も好きなものの一つです。

↓チューリップの「心の旅」をカラオケDAMの音源で歌いました。

うなぎパイ 白い一日

2022年04月27日 | 日記歌入り
高架の国道を自動車で走っていた。

僕の前に浜松ナンバーのワゴン車がふらふらっと割り込んできた。

ワゴン車のテールにはロゴマークがプリントされている。

こんなロゴマークだ。

「浜松名産 夜のお菓子 うなぎパイ」

うなぎパイ ええ? うなぎパイって夜のお菓子か?と僕は思った。

パイって適度に甘いから、ちょっとおなかがすいて甘いものが食べたいときなら 昼夜関係なく 食べるものやん と思った。

それとも 夜か?

夜なら 夜食か。

あまり 夜食にパイって聞いたことないし。

夜の店に配達しているのか?

でも、大昔に 社長さんに連れていってもらっていた夜のスナックやクラブは お菓子と言えばポッキーをワイングラスにオシャレに盛ったようなものを出したり、チーズクラッカーとか、いっそのこと キュウリやレタスやニンジンをきれいにカットした野菜スティックとか、そんな感じだった。

おばちゃんの集まる昼間のカラオケ喫茶なら源氏パイとか出しそうやけど、、、。

それで、大阪だと、おばちゃんが帰るときに源氏パイ5枚くらい巾着袋に入れて持ち帰ったりして、、、。

それやのに、なんでうなぎパイが夜のお菓子屋の? とそこまで大真面目に考えて、もう考えるのがあほらしいことに気づいてやめた。

気づくと 前方の浜松ナンバーのワゴン車は微妙に蛇行運転になっている。

大丈夫かと思ったけれど、次のジャンクションで加速して側道を降りて行った。

同じ静岡でも 沼津あたりに行くと東京とあまり変わらない言葉を話している。
浜松は静岡の中ではかなり愛知県に近いところに位置していることにその時きづいた。

お店に行くと 料理味噌が並んでいて「これを塗れば 名古屋の味」とパッケージに書いてあった。

なるほど、もう こんにゃくでも ちくわでも とんかつでもお味噌を塗れば名古屋の味になってしまう。

素晴らしいなと思う。

五平餅のたれ って見かけたときには 東海地方に帰ってきたんだなあと しみじみと思った。

■白い一日
井上陽水さんの「白い一日」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。聴いていただければ幸いです。

作曲は井上陽水さん 作詞は小椋佳さんです。

「真っ白な陶磁器を眺めては飽きもせず かといって触れもせず」と歌詞にあります。

「眺めては飽きもせず かといって触れもせず」 は小椋佳さんの言葉の運び方だと思います。

じっと目の前にあるものを見つめて、飽きることがない 芸術家の視点だと思います。

みんながじっと目の前にある、景色を眺めて飽きない性格だったら、遊覧船がヒグマを見せるために 岸に近寄りすぎて事故になるということもないと思います。

遊覧船がヒグマを見せるために岸に近寄りすぎて、事故が起きた例もあると新聞に書かれていたからそうおもいました。

「やった、ヒグマを見たぜ SNSにアップロードだ」と思っていると、ヒグマが見られないと「何や ヒグマ見られへんかったやないか。今回ははずれやったわ」ということになりがちです。

それで、遊覧船はヒグマを見せようとする。こうなると悪循環だと思います。

釧路の街で僕に遊覧船をすすめてくれたおじさんは 「知床でカモメを間近に見るのもいいかもよ」と僕に言いました。カモメならほぼ確実に見られます。「知床半島の岩肌はいいよ」と紹介すればこれもほぼ確実に見られます。

なぜ、ヒグマだ、いるかだというのか 僕にもあまり理解のできない世界ではあります。

目の前の景色から何を感じるか それが大切だと思います。

松山千春さんのオホーツクの歌の歌詞には「はるかな小舟に手を振れば わすれた何かを思い出す」とあります。こういう心が大切なのではないでしょうか。

↓井上陽水さんの「白い一日」をカラオケDAMの音源で歌いました。




雨模様の一日 家入レオ 未完成

2022年04月26日 | 日記歌入り
■雨模様のいちにち
いちにち断続的に雨が降っていました。
これだけ雨が降ったのは久しぶりのような気がします。

気温もあまり上がりませんでした。

僕はテレビがないので情報が遅れますが、新聞では相変わらず知床半島での観光船の遭難事故のことが現在進行形で報道されています。

痛ましいことですが 経過が少しでもおだやかであるように祈ります。


■未完成
家入レオさんの「未完成」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

2020年リリースの比較的最近の歌です。

最初聴いた時 どことなく 突っ張っていて、悲惨で 閉塞的で、 僕には関係ない歌だとおもっていました。

しかし、聴いているうちにだんだん良く思えてきました。

一見、暗い歌のようですが、何度も繰り返しているとリズムがとてもパワフルで家入レオさんにしか歌えないタイプの歌であることがわかってきます。

ネットでうまくカバーしている動画もいくつか見ましたが、家入レオさんのパワーは格別だと思いました。

ちょっと、今までにないタイプの歌い手だと思います。

“”否定していいよ 全部 全部 “”
と歌詞にあります。

この歌の中で最初にここにひかれました。とくに 全部  全部というくだりの歌い方がレオさん独特で誰にもまねのできないものです。

吐き出すように全部 全部というので、迫力があるし、一種の開き直りのようにも受け取れます。

自己肯定感とかいうたぐいの言葉が流行る昨今ですから 否定して いいよ  と逆にかますような歌詞があることは僕には少し救いであるようにも思えます。

“”正常な日々を お願い返して“”  というフレーズも歌詞に出てきます。

この歌はコロナ禍になる少し前にリリースされたので正常な日々というのはコロナ以前のことではないと思いますが、今の時代「正常な日々をお願い返して」をいう歌詞をみると若い人もそうでない人もちょっとドキッとするのではないでしょうか。

“”笑い飛ばして いいよ いいよ いいよ“”
というフレーズも一種の開き直りのように思えます。

開き直ることが大切なこともあると僕は思います。

村田英雄さんの「王将」という歌では“”吹けば飛ぶよな将棋の駒に
かけた命を 笑わば 笑え“” とあります。

村田英雄さんの歌では 将棋にかけた命を笑わば笑えと言っていますが
家入レオさんの歌では 何を笑いとばしていいのか 歌詞を見ただけでは判然としません。

将棋なら将棋と笑い飛ばされる具体的な対象がある方がまだ状況はましかもと思ってしまいます。

閉塞感のある歌詞かもしれませんが それを歌のリズムがもつ力ではねつけてしまうところがレオさんの魅力だと思います。

↓家入レオさんの「未完成」をカラオケDAMの音源で歌いました。


間に合わせてやるよ オホーツクの海

2022年04月24日 | 日記歌入り
今、知床半島の観光船で痛ましい事故のニュースが現在進行形で流れている。

母が たまたまテレビを見ていなかった父に
「北海道で観光船の事故があったよ」と言った。
「北海道ってどこや」と父が言った。
「なんしか 北海道」と母。
そのとき父は絶句したらしい。

何十年も国際航路で船に乗っていた父にとっては、北海道 だけでは何の情報にもならないらしい。それはそうだと思う。


先日 ちょっと路線検索をしてみて 僕が今、すんでいるところから、京都の河原町まで新幹線を使わずに行くと 大体三時間半くらいかかることが分かった。

それで、昔、北海道に旅行に行った時のことを思い出して 札幌と釧路はどのくらいかかるか調べてみたら、特急に乗っても、約5時間かかることがわかった。

そう考えれば、京都河原町まで新幹線を使わずに三時間半は遠くないかと妙に自分を納得させた。

朝 九時に家を出ても正午過ぎには河原町につくわけだから、、、。

それで1990年代前半の夏、北海道に 旅行に行った時のことを思い出した。
札幌で時刻表を見て釧路までは案外時間がかかるということで、途中の帯広で一泊か二泊して釧路に行ったのだと思う。

釧路でお寿司屋さんに入った。

カウンターで地元のおじさんと隣になった。

おじさんは 「これから どこに行く予定なの?」と僕に言った。

「特に決めてないんですよ。ガイドブックを見ながらの自由旅行ですから」と僕は言った。

すると「知床半島の観光船にのって かもめを間近にみるのもいいかもよ。かもめは本当に船と一緒についてくるから」とおじさんは言った。

それで、よし、知床半島に行って観光船に乗ろうと思った。

もし おじさんが 知床半島で船に乗ったら いるかに出会えるかも とか ヒグマが見られるかもと言ったら 僕はきっと知床の観光船に乗りにいかなかった気がする。

「かもめを間近に見るのもいいかも」 というおじさんの言葉にひかれた。

中島みゆきさんの「渚便り」という歌に
「波とたわむれながら かもめが一羽」というフレーズがある。

ここを見たとき、「かもめを間近に見るのもいいかも」という釧路のおじさんの言葉を思い出し、ああ、中島みゆきさんも北海道の出身なんだなとしみじみと思った。

実際にかもめとたわむれた経験がなければ、かもめが一羽 という詞は書けないと思うから、、、。

釧路から知床半島に行くには まず 釧網本線に乗って斜里(現 知床斜里)という知床半島のオホーツク海側の付け根の位置にある駅まで行く。

そこから、知床半島のウトロまでいってそこから知床観光船に乗ることになる。

斜里の駅に着いた時、そこからバスでウトロまでいくと ぎりぎり観光船の出発に間に合わないことが分かった。

それで 斜里の観光案内の女性に「タクシーで行ったら、ウトロで知床観光船にまにあいますかねえ?」と尋ねたら
女性は「さあ?法定速度で行ったら間に合わないと思いますが、、、」という何ともとらえどころのない返答をされた。

まあ、バスで行ったら間に合わないということは 法定速度で行ったら間に合わないのと意味は近似なので観光案内所の女性のおっしゃる通りなのだけれど。

また、観光案内所ではバスが間に合わないのにタクシーなら間に合うなどど無責任なことは言えないだろうし。

それで、ままよ、タクシーの運転手に聞けばわかることと思い、タクシー乗り場に行って、運転手にウトロで知床観光船に乗りたいけれどバスだとぎりぎり間に合わない事情を話した。

すると運転手は僕に「間に合わせてやるよ」と言った。

その一言が僕にはとても力強く温かい言葉に聞こえた。

タクシーでダメなら僕は知床で観光船に乗ることをあきらめるしかないわけだから。

「間に合わせてやるよ」 あの運転手の言葉の響き 今も耳に残っている。

実際ウトロでは観光船の出航の20分くらい前につき 切符を買って船に乗るのに十分時間があった。

観光船は こんかい遭難したらしい観光船と全く同じルート つまりウトロから知床半島の先端で折り返し また ウトロに戻るというものだった。

釧路のおじさんの言う通り ずっと かもめが船についてきた。

あと 船ではずっと松山千春さんの 「オホーツクの海」が繰り返し繰り返し流れていたので船を降りる頃にはメロディ全体を覚えてしまっていた。

あの歌は 観光船から見る 知床の海 そして半島の雰囲気にマッチしているなあと思った。

知床観光船の遭難に関する経過がすこしでも穏やかなものであることを祈ります。

↓松山千春さんの「オホーツクの海」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。


さあやるか 昼からやるか もう5時か

2022年04月23日 | 日記
地方紙のおもしろ川柳を読んでいると、これは地方紙だから載せられる、全国紙だと何かと問題があって載せられないだろうなというものが結構ある。

例えばこんな川柳

“”大変だ登山の天敵大便だ“”

本当に途中で大問題を起こしてウンが悪いとか言わないように気を付けなければと思うけれど これだけは途中で急にということもあるから、、、、。

こういう川柳を読んでいると、概して田舎の人は子供のころの気持ちそのままに大人になっている人が都会に比べると多いからこのような発想の句が生まれると思う。

まあ、全国紙にこんな句はちょっと載せられないような気がする。

またこんな川柳が

“”さあやるか 昼からやるか もう5時か“”

まあね、これも仲間内で言っている冗談をそのまま句にしたような感じが出ている。

でも よくある話だけれど。

こんなのもあった

“”セクハラと騒ぐわりには男好き“”

まあ、そうかもしれないけれど。本当にセクハラで深く悩んでいる人は、なかなか口には出せず、相談する人もなかなかいなくて じっと耐えている場合が多い。

そのことを思うととても全国紙に出せる句ではないような気がする。

“”夢の中 妻に言えない人と会い“”
これは全国紙にも出せるかもしれない。ありがちな話と思うけれど、僕は起きてもまだ記憶しているような夢をあまり見ない。

見る人は見るらしいけれど、、、。

そういえばドリカムの歌で“”ねえ せめて 夢で会いたいと 思う夜に限って 一度も 出てきてはくれないね“”というのがあった。

まあ、夢の中ででも会いたいと思ってもらえた人は幸せと思うけれど。

これとは逆のパターンで岐阜県民謡郡上節の歌詞の一節にこんなのがある

“”それでも 浮気の やまないときは 長十郎の芝居じゃないが 行燈の陰から
ヒュヒュラヒュッと 化けてでる“”

本当に、化けで出てこられたら怖いから勘弁してほしいと思う。

でも 浮気をされたときは 化けて出てやるわ くらいの根性で無茶苦茶やってやった方が案外解決につながることもあったりして、、、。

浮気現場までこっそりつけていって、急にバアーと言って出てやるとか、、、。

逆に、浮気なんか大したことないよ 気にするな という意味をこめていると思うけれど
同じ郡上節にこのような歌詞がある

“”浮気男と 茶釜の水は 沸くもはやいが 冷めやすい“”
まあ、ありがちな話だけれど、浮気されたらそんなのんきなことは言ってられないですよね。

川柳の話が結局は歌の歌詞で終わってしまった。