ケンのブログ

日々の雑感や日記

いろいろ懐かしな

2022年10月30日 | 日記歌入り
餃子の王将の社長の方を狙撃した人が逮捕されたと新聞に出ている。

逮捕=事件の解決ではないけれど 王将の思い出が胸にこみあげてくる。

大阪の南の方の店舗で いつも 焼きめしと餃子二人前を注文していた。

あるとき その店にはいると 店員のお兄さんが 僕のところに水のコップを置いて「焼きめしと餃子二人前」と言った。

僕は「はい それで お願いします」と言った。

それほど頻繁に行く店舗ではなかったけれど 僕のことお兄さん覚えていてくれたんだと思った。

梅田の お初天神の近くのアーケード街にある 店舗もよくいったな。

本当に懐かしい。

新聞には 四条大宮店で 自分が焼いた餃子を社員にふるまう 大東元社長の写真が出ている。

四条大宮の リラクゼーションサロンに 僕は 一時 通っていて 帰りに 時々 四条大宮店もいったな。

新聞の写真にカウンターが出ているけれど その カウンターの どのあたりに 自分が座っていたかも 思い出せる。

本当に いろんな 光景が 心に浮かんでくるなと思う。

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立冬も近くなり 本当に寒くなってきたと感じる。

昨年の冬も寒かったことを思い出して また 冬が来るのか という気持ちになってくる。

■人生劇場
村田英雄さんの「人生劇場」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

↓「人生劇場」をカラオケJYOYSOUNDの音源で歌いました。

瞳を閉じて

2022年10月28日 | 日記歌入り
■瞳を閉じて
松任谷由実さんの「瞳を閉じて」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

松任谷由実さんが文化功労者に選ばれたということで 10月16日付の読売新聞の一面のコラムは由実さんのことに触れています。

由実さんのデビュー50周年のベスト盤のライナーノーツに由実さんのこんな言葉が書いてあるそうです。

「モノラルな音は何か夢がある 見えない何かを見つけようとする自分がいるからかもしれない」と。

見えない何か って 何だろう。

人それぞれに違うと思うけれど。

見えない何か というのとは 違うけれど 僕は モノラルな音というのを認識したのは 小学校5年生くらいの頃だった。

僕は昭和37年生まれなので いわゆる物心がつくのは 昭和42年くらい。

その当時は 家にあるレコードと言えばステレオ録音のものばかりで いわば それが当たり前だと思っていた。

小学校5年のころに 僕が生まれ育った町のレコード店で ブルーノワルター指揮 ニューヨークフィルハーモニックの録音シリーズが1200円の廉価版として売られるようになった。

このシリーズはモノラル録音なので 左右のスピーカーの真ん中で 音を聴くと 本当に ド真ん中から音が出てくるように 感じられて 初めて聴くモノラル録音は むしろ すごいと僕は思った。

「音がド真ん中から聞こえてくるやん すごい」というのが 僕のモノラル録音に対する最初の印象。

今でも 時々 ブルーノワルター ニューヨークフィルのモノラル録音を聴くと 本当に真ん中から突き抜けてくるような迫力のある音だなあと思う。

もっとも印象に残っているのは モーツァルトの 交響曲39番 40番 41番かな と思う。

こうして 曲の 番号を 書くだけで 心の中に その響きがよみがえってくるような気がする。

そういう よみがえってくるような気持ち というのも ひょっとしたら 松任谷由実さんが書いておられる「見えない何か」なのかもしれないと思う。

新聞のコラムには 松任谷由実さんの 「瞳を閉じて」の歌詞が引用されていた。

♪風がやんだら 沖まで船を出そう 手紙を入れたガラスびんをもって
とおいところへ 行った友達に 潮騒の音が もう一度 届くように♪

夢のある 歌詞だな と思う。

♪風がやんだら 沖まで船を出そう♪

と いつ 何をするのかを 先に 書いて

そのあとで ♪手紙を入れたガラスびんを持って♪

という副詞の表現を入れている。

言葉の並べ方の順序も 的確で詩的だなと思う。

本当に 風景 情景の浮かぶ言葉

先に 「船を出す」 という言葉を持ってくるからこそ いっそう情景が目に浮かぶことになる。

すごいな と感じる。


↓松任谷由実さんの「瞳を閉じて」カラオケDAMの音源で歌いました。

変わる世の中 湯の町エレジー

2022年10月26日 | 日記歌入り
ずいぶん 寒くなってきたなと思います。

新聞に コロナで リモートワークが増え 新人の社員が 先輩から注意されることが少なくなった。

そんな 会社に 勤めている若手の人は 注意されないから スキルが身につかないと危機感を抱いて 転職する人も多い と書いてありました。

企業の中で自分の価値を高めるのではなく 労働市場で通用するような スキルを身に着けることが 大切と考えている人が増えている とも書いてありました。

労働市場で通用すると言っても 前職の秘密を次の職場で 漏らすような 回転ずしチェーンの社長のようなケースは ちょっと考え物だとは思います。

しかし 回転ずしの社長のようなケースも 労働市場を渡り歩く という今の風潮が生んだ事件かもしれないと 思いました。

しかし、 スキルと言っても 本当に 小手先のスキルから 本質的なものまで いろいろ あるだろうし 誰にとっても 先の読みにくい時代になったものだなあと思います。

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話しが ちょっと変わりますが 関西のような まあ 都会に住んでいて 東海地方に戻ってくると いろいろ 感じることがあります。

そのなかで  最近 よく 思うようになったのは 関西のような都会では いろんな システムが 多様な人に対応できるように あるいは 対応するためにできていることが多い。

これに対して 東海地方では 似たようなケースばかりを想定して システムが 出来上がっていることが多い と感じます。

要するに 東海地方の方が 関西より田舎だから それほど 多様に 対応できるシステムでなくても 似たようなケースに 対応できれば それで すんでしまうことが多いからだと思います。

こういう 似たようなケースに対応するシステムが中心の 世界にいると どちらかといえば 例外的な 状況に 相当することの多い 僕は なにかとカルチャーショックを受けることが多いですが なるべく 慣れていくようにしたいと思います。 


■湯の町エレジー
近江敏郎さんの「湯の町エレジー」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

子供のころ 美空ひばりさんが 古賀メロディーを歌ったレコードが家にあって よくきいていました。

大阪の ちょっと場末感のある所にある カラオケ喫茶で  この歌を 十八番にしていた女性がいたことも 妙に覚えています。

僕は ふだん 器楽曲を聴くことが多いです。

なので この 古賀メロディのように ギターとか マンドリンの 音の動きに 影響を受けたメロディは好きです。

古賀メロディのこぶしも ギターの音の動きによるものが多いような気がします。

自分で こぶしをいれようとすると つい 調子に乗って やりすぎてしまうような 気がします。

まあ いいか。

↓近江敏郎さんの「湯の町エレジー」をカラオケDAMの音源でうたいました。

ずいぶん寒くなった

2022年10月25日 | 日記
10月24日付の読売新聞に 中国の習政権が独裁色を強めているというよう内容のことが報じられている。

それを見て イタリアのファシスト党やドイツナチスなど独裁色の強い政党が台頭したのは 第一次世界大戦から 第二次世界大戦にかけてのことだったなと そんなことを ぼんやり考える。

考えてみれば 今の ロシアによる ウクライナ侵攻は 第三次世界大戦と言ってもいいのかも と思えてきてしまう。

もちろん 習政権の独裁化と 今の 世界情勢との関係は 新聞にはそれほど 書かれているわけではないけれど、、、。

昨晩 よる 外に出る時 この秋 初めて マフラーをする。

ずいぶん 寒くなったと感じる。

昨年の10月に新しい 住居に越して まもなく 寒い冬がやってきた記憶がよみがえってくる。

早いものだなと思う。




聴いたことのないモーツァルト 君といつまでも

2022年10月24日 | 日記歌入り
10月23日付の全国紙を実家で読んでいたら 若手ピアニストのMFさんのことが記事になっていた。

新聞を実家に置いてきてしまったので 記憶で書くと
その記事にはMFさんの言葉として およそ次のような主旨のことが書いてあった。

“”「録音された自分のモーツァルトの演奏を耳にしていたら なんていいモーツァルトだろうと思わず聴き入ってしまった。この録音 自分でも 買います」相当な自信と強いメンタルの持ち主だ。“”と。

MFさんの語った言葉が 最後に 「相当な自信と強いメンタルの持ち主だ」という新聞記者の言葉で結ばれていた。

なんだか その 新聞記者の結びの言葉を読んで 気持ちが がくっと 来てしまった。
※個人の感想です

僕は MFさんが 録音された 自分のモーツァルトを聴いて 「なんていい モーツァルト」 と思わず聴き入ってしまう というのは MFさん自身の 芸術家としての ごく 自然な感じ方を そのまま 言葉にしただけで 相当な自信 とか 強いメンタルとか そういうこととは 別次元の話だと感じた。

また、そのように 感じたことを そのまま 口にできるのが いわば MFさんの 芸術家としての魅力のひとつであるのに それを 相当な自信とか 強いメンタル とか そいうステレオタイプの言葉で まとめて結んでしまうのは とても興ざめと感じた。
※個人の感想です

これは あくまで 僕の想像なのだけれど 記者の方は ピアノの演奏を 例えば フィギュアスケートのような 採点競技に近いものに感じておられる可能性が なきにしもあらずだと思った。

言うまでもないことだけれど 音楽の演奏は 採点競技ではない。

相当な自信とか 強いメンタルとか そういう言葉はなじまないと思う。
 
まあ、 新聞の記事というのは ステレオタイプに書くことが求められるものではあるので 記者の方も やむを得ず そういう言葉で結ばれた 可能性も もちろん 高いと思う。

でも ピアノの演奏を 伝える記事を 採点競技の選手の記事と同じような言葉で結ぶのは 個人的には ちょっと勘弁してほしいと思う。

このような いわば マスコミからの 誤解というか ちょっと的外れの期待 あるいは評価が 若い 芸術家に いらぬ プレッシャーを与えて つぶしてしまうことのないようにと個人的には願いたい。

まあ MFさんは そんなたまでは ないとは 思うけれど、、、。

しかし この 記事のおかげで MFさんに興味をもって ネットに出ていた モーツァルトのピアノ協奏曲の動画を聴いてみた。

やはり ちょっと 聴いたことのないタイプのモーツァルトだ。

僕の つたない言葉で しいて 書けば
それは 抑えが利いていて それでいて パワーもあるし 明晰さもある という なんというか 三拍子そろっているような ちょっと不思議な世界だった。

普通 パワーがあって 明晰さがあれば 音が解放される方向に行ってしまって おさえが あまり利かなくなるようにおもうのだけれど しかるべき抑えが利いていて なおかつ 強いパワーと 明晰さがある いわば モーツァルトを超えたモーツァルトだなと思った。

そして 一緒に演奏している 指揮者と オーケストラのメンバーが 楽しそう。

ピアニストが 指揮者と オーケストラまで引っ張っている。

ちょっと あまり 頻繁に お目にかかれない 光景が 動画に記録されていた。

まあ すごい人だなあとは 思った。

それと同時に 自信とかメンタルとかいう言葉を用いて ステレオタイプに 物事をまとめてしまって ゆえに 本質をはずしてしまう という現代の思考の傾向の一端を見るような気もして 僕にとっては いろんな意味で 考えさせられる新聞の記事だった。
まあ それは ともかく MFさんの 今後の ご活躍を祈るとともに 自分自身は いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

■君といつまでも
加山雄三さんの「君といつまでも」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

カラオケボックスの広い部屋にあたったので エコーがよくきいて 広いお風呂で歌を歌っている気分でした。

加山雄三さん 今年で歌は引退されるとかニュースで出ていたと思います。

昭和23年生まれの 叔母が 加山雄三の大ファンだったので 子供のころから 聴いていた歌です。

夢の広がる歌詞を見ていると 作詞の岩谷時子さんが 宝塚歌劇団で編集者として働いておられたという経歴を思い浮かべます。

今、 こんな 夢のある 歌 ないな と思います。

時代もよかったのでしょうね。

↓加山雄三さんの「君といつまでも」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いました。