ケンのブログ

日々の雑感や日記

スエズ運河6日ぶりに通航

2021年03月31日 | 日記
今日の新聞にスエズ運河で座礁していた船が離礁に成功し、スエズ運河が6日ぶりに通航可能になったと出ている。

僕は父が船員だったのでこういう事故は、やはり、ちょっと父が船員以外の職業だった人とは違う観点と言うか興味で見てしまうところがある。

まず、日本の会社が所有する船なのに船長はインド人の方であったと報じられていること。

まだ、一年以内のニュースだと思うけれど、日本の船が、沿岸を航行していて座礁した事故があった。あのときは、船員が陸地と携帯電話で話ができる距離で航行していたのが座礁の一因というような、ちょっと考えられないようなミステイクがあったと報道されていたと思う。

母から聞いた話なのだけれど、父は、事故があったと報道された当初から、日本の船でも実際に船を運行しているのは、日本人以外の方だろうとピンときていたという。そして、案の定そうだった。

日本人以外の船員の方には失礼な言い方になるかもしれないけれど、こういうときは父のカンが当たることが案外多い。

日本人も最近は不祥事が多いけれど、発光ダイオードでノーベル賞を受賞した、中村修二さんがおっしゃっていたように、日本人は設計図通りに正確にものを作ることは得意。

そして、日本の鉄道は、5分遅れただけで、お詫びのアナウンスが入る。

もう、こういうことに関する真面目さは、日本人は世界に誇れることなのだと思う。

もちろん、日本人以外の方が乗組員だったから事故があったと僕は言っているわけではないのでその点はご理解いただけるとありがたいです。

あと、この事故で、当然スエズ運河が、航行不能になることで、世界中の船会社とかそれに関連する会社に損害が生まれる。

船を所有する日本の会社は、1億ドル以上の保険に加入していたと言うけれど、そういう保険はたとえば座礁によって油が海に流出したとか、そういうことを想定している場合が多いので、このように運河を止めてしまって、多岐にわたる多大な経済的損失を出してしまった場合に、はたして満足に保険金がでるのかどうかもわからないという。

こういうニュースを見ると、僕の父もこの海域には何度も行っているはずだけれど、無事に最後まで勤めることができたこと、そして、そういう一つ事故が起これば、どんな損害賠償の責任が生じるかわからないという状況で父が仕事をしていたであろうことは、何となく想像ができ、僕も、父が無事に勤めを終えてくれたことに対するお陰様というのはやはり受けているのだなあとしみじみと感じる。

僕の父は、船員の時代は8ヶ月から10ヶ月くらいはずっと外国航路の船に乗って、一度、船を降りると2、3ヶ月まとめて連続で休みをとる。そして休みがおわるころになると、どこそこの港で、○○という船に乗るようにといういわゆる乗船命令が来る。

そして、その命令どおりに、港に行かなければならない、そういう生活を送っていた。

子供の頃は父に乗船命令の手紙が来ると、本当に寂しい思いがしたことを今でも思い出す。

まだ、小学校低学年の頃だったと思うけれど、父に乗船命令が来て、明日、父が港に行ってしまうというときに、僕が泣いていたら父から「頼むから泣くのはやめてくれ。お前が泣いていたらお父さんは船に乗りにいけなくなってしまうやないか」と言われたことを思い出す。

父が、船から降りて休みをとっているときは、父とサイクリングに行ったこともある。

国道を渡るとき、父が道路を自転車で渡るのに続いて僕が渡ったら、父が自転車を止めて「いいか、お父さんは、自分が安全やと思ったタイミングで道路を渡っている。お父さんが渡ったから安全やと思ってお前がひと呼吸遅れて道路を横断すると、そのひと呼吸遅れたタイミングではすでに安全ではないということがある。だから、自分の安全は絶対に自分で確かめて、自分のタイミングでいま道路を渡ったら安全と思ったときに渡るように」と注意されたことがある。

あと父は、鼻の嗅覚を失っていたので、家に帰ってくると「ガスが漏れてないか、お父さんは匂いがわからんから、ちょっと匂いがするかしないか教えてくれ」とよく言われた。

そういう普段の生活の中でも、安全ということにはかなり気を使っていた。

まあ、一つの職業病のようなものなのかもしれない。

それを言うならば、誰にでも、職業特有のクセというのはあると思うけれど、、、。

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僕が読んでいる新聞の人生相談にこんな内容の女性からの相談が載っていた。

「私と娘で遊びにでかけた日に、夫に簡単な食事の用意をお願いしたら。『遊び歩いていてなんだ、オレは洗濯をやった』とキレられました。ビールを飲んでテレビを見ていたのに。食後に洗い物はしても、食器もコンロも拭きません。『掃除だって、洗濯だってやっている』と言いますが、それは私もやっていることです。どうしたら夫が協力的になるでしょうか」と。

これに対して女性の弁護士の先生が回答をしているのだけれど。結局、弁護士の先生も 全国至るとことにあるもめごと そんなに怒らないで 一般に家事に対するスキルは男性よりも女性のほうが高いのだから、夫を家事では部下と思って、褒めて育てる原則でいくように、とか答えておられる。

まあ、そんなふうに、うまくいかないから全国至るところで、みんな悩んでいるのだと思うけれど。

あまり、夫にダメ出しばかりしていると、ある日、突然、夫が帰ってこなくなるということが起こらないとは誰にも言い切れないし、、、。

僕も電車の車内で、私立の小学校に通う女の子や男の子をみかけることがある。

小学校から私立にやってもらえる子はきっと、ええとこの子である場合が多いと思うのだけれど、そんな子達でも、女の子は、ソックスが下がってしまっているような子はいないけれど、男の子は、ソックスが下がってしまったら、下がったまま平気という子も案外多い。
きっと家を出かけるときは、ちゃんとソックスをはかせてもらってるだろうに、、、。

小学校の頃から男と女ではそのくらい違うのに、家事をいっしょに分担と言っても、それは、女性から見れば男のやることなんてきっと気に入らないことだらけと思う。

ある方から聞いた話なのだけれど。

“”「ちょっとこのおかず、食べるの食べないの?」と妻が夫に言った。
「うん、ほかのおかずを食べてみて、まだ足りなかったら食べる」と夫が答える。

妻は夫がおかずを食べないなら食べないで子供の弁当にまわすとかいろいろ頭の中で計画を練りながら聞いているのに「他のおかずを食べてみなければ、わからない」と言われても困るとおもいつつもそれは言わずに我慢している。

結局、夫は、そのおかずを食べずに残した。

最初から、夫がおかずを残すとわかっていれば、おかずを違う方に回せたのに、と妻は頭にきつつも口には出さない。

しかし、妻は頭にきたので、夫が残したおかずを、次の日の夕食に、夫のお皿の上に腹いせに盛り付けてやったら、夫はそれとは気づかずにそのおかずを実においしそうにバクバク食べている。

もう妻はあきれてものを言う気力もなくなってしまう。“”

と、まあそんな内容の話だった。

男の僕の立場からすると、実によくわかる話で、まあ、妻のかたにはお気の毒様としか言えなくなってしまう。

そうすると今の時代は女性蔑視ということになってしまうのだろうか。

そこまではちょっとわからないけれど、、、。

忌野清志郎さんの 雨上がりの夜空に という歌の歌詞に

「どうしたんだ ヘイヘイ ベイビー 機嫌直してくれよ」という一節がある。

男は、女性の不機嫌というのが一番、身に応えるということがあるかもしれない。

へたに、文句を言っているよりも、機嫌をそこねて、2日でも3日でも口をきかずにプッと黙っていると、夫はいつか必ず機嫌をとってくるというのを密かな自慢にしている女性もいるらしいとか聞いたことがあるような、なかったような。

ちょっと忘れました。

何はともあれ、毎日、いろいろありつつも無事に過ごせることを第一に考えていきたいと思う。













3月も終わりに近づいて

2021年03月31日 | 日記
大相撲春場所は照ノ富士が優勝ということで終わった。

この優勝で照ノ富士は大関にも復帰するということだ。

序二段にまでさがって大関に復帰というのはちょっと考えられないほどすごいことと思う。

照ノ富士の土俵下優勝インタビューの動画がネットに出ていたので見た。

やはり、一度、下まで落ちて上がってきた力士らしく、気負いが抜けてしみじみとした内容のインタビューになっている。

序二段まで落ちたとき、引退も考えたけれど、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が首をたてに降らなかったと新聞に書いてあった。

伊勢ケ浜親方も、日馬富士の不本意な引退ということも経験しておられるので、照ノ富士とともに喜びもひとしおと思う。

「やればできる」と弟子(照ノ富士)を励まして支えることも、本当に、それだけの人格がなければできることではないと感じる。

照ノ富士の優勝インタビューでの発言は新聞にも抜き出して書いてあるけれど
「一日一日 必死で前向きに頑張ってきた。結果が現れる日が来ると信じてやってきた」という言葉が第一面に出ている。

勝負事のように優勝とか、結果が比較的わかりやすく現れることは結果が現れることを信じて頑張るということが大切と思う。

けれど、勝負事などではなく、結果が見えにくいことでも、同様に、前向きに、一日いちにち一生懸命生きるということが大切なのではないかと照ノ富士のインタビューの発言を読んで思った。

照ノ富士自身も、今、優勝したという結果を見れば結果が出てよかったということになると思うけれど、もっと長い目で見れば、膝の負傷をかかえたまま大関としてこれから相撲を取らなければならないわけだし、やはり、これからも前向きに頑張らなければならない日々が続くことには変わりないと思う。

やはり、何事によらず、一日いちにちを自分なりに一生懸命ということが大切なのだと照ノ富士の優勝インタビューやそれに関連するニュースを読んで感じた。

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桜が僕の自宅の付近でも概ね満開だけれど、関西全域でも桜が満開というところが多いようだ。

僕が利用している私鉄の駅に、沿線の桜だよりのポスターが貼ってあって、全部で13箇所の桜の花の咲き具合が書いてある中の9箇所で桜が満開と出ていた。


これからはだんだん葉桜になっていくんだなと思う。

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僕は父が船員をしていて、子供の頃、父の船が神戸に入港すると、岐阜から母と神戸まで出てきて、神戸の住吉と、摂津本山の中間点にある船員用の寮に宿泊することが多かった。

夜、その寮で、家族が川の字になって寝ていると、神戸の港からボーっという汽笛の音が聴こえてきて、何とも物寂しい感じだったことを覚えている。

そんな子供の頃の記憶があるせいか、港町、それも夜の港町は、ちょっと寂しい雰囲気というイメージが僕の心にはある。

先日、ちょとした機会に、神戸の三宮から少し西にはずれた駅前のロータリーで夕刻にジュースを飲みながらぼーっとしている時間があった。

そこは駅前のロータリーで港や海が見えるわけではないのに、何となく、そういう港町の夕暮れ時のもの寂しさのようなものを感じた。

20年くらい前に、北海道の釧路に行ったとき日暮れ時に、釧路の街を散歩していて、海が見えない場所でもなんとなく寂しく感じたことを記憶している。

神戸と釧路では、街の規模も、人口密度も、全然違うのに、そこに感じる、日暮れ時の港町特有の寂しさは、共通するものがどこかにあるなと何となく感じた。

そういう寂しい雰囲気ってどこから来るのだろう。まあ、その手のことは考えてわかるというものではないのだけれど、、、。

でも、港町って何ともいえない風情だなと思う。





桜が満開

2021年03月28日 | 日記
2週間続けて雨降りの日曜日。

僕の家の近所は、どこも桜がほぼ満開になっている。けれど、雨でちょっと残念な気もする。

北原白秋の作詞した雨降りという童謡が僕は好き。

“”雨 雨 ふれ ふれ かあさんが じゃのめでおむかい うれしいな
ピッチ ピッチ チャップ ランランラン“”

大人になると雨降りが楽しいという感覚はだんだんなくなってくると思うけれど、子供 特に男の子は、買ってもらった長靴の性能を試すかのように、水たまりをさけるどころか、むしろ、長靴で、水たまりの中に入っていこうとする子もいる。

お母さんは、靴下が濡れたらとか気が気でないだろうけれど、子供はああいうの結構嬉しい。

僕も子供の頃そうだった。

北原白秋の詞にはそういう嬉しい子供の気持ちがよく出ているなと思う。

新聞を見ると、大阪ではまた、コロナに感染する人が増えていると出ている。

本当に、緊急事態があけるとまた感染者が増えるという先の見えない状況が続くなと思う。

新聞を見ると全面広告で 「何もしたくなーい これって不安疲労」「元気スイッチ成分○○で不安疲労を溜め込まない毎日を」という文句が踊っている。

こういうの見ると、全面広告を出された方には本当に申し訳ない言い方になるけれど、なんかコロナの不安につけこんだ便乗商法の宣伝を見ているようでブルーな気分になってくる。

今は、経済が苦しいときで、どこかに商機を見つけなければならないときなので仕方がないこととは思うけれど。

しかし、新聞には、また、希望退職を募集する会社も増えているということも書いてあり、経済の先行きもわからないものになっている。

緊急事態を解除すると、感染者が増える、緊急事態が続くと、それによりストレスがたまり、また経済も駄目になる。

本当に、どうすればいいのかわからなくなってしまう。

マスク、手洗いなどできる努力はして、同時にこういうコロナという状況にいろんな意味で慣れていくことも大切なのかなと思う。

本当に、できる範囲の努力をしながら、同時に、なるようになると信じていくことが大切なのだと思う。

最近は、家でモーツァルトを聴くことが割と多くなった。

モーツァルトの音楽はとても多彩に表情が変化するので、家で聴くのは逆にしんどいような気がして、避けていた時期もあるけれど、今は、そういう深いところで多彩に変化する表情というのをきっと心が求めているのだと思う。

この世のものともあの世のものとも区別のつなかいようなモーツァルトの音楽のピュアな感覚が今は心にしみるなと思う。

本当に、聴きたくなる音楽も、その時の状況や気分に左右されるところが大きいなと思う。

どうか、一日いちにち無事にすごせますようにとそれを一番に考えている。


京都市交響楽団第654回定期演奏会

2021年03月27日 | 音楽
京都コンサートホールに京都市交響楽団第654回定期演奏家を聴きに行く。

指揮は広上淳一さん

最初に演奏されたのは

ドボルザーク 序曲自然の王国で 作品91

最初にコントラバスやチェロが低い音をゴーッと出す中で、フルートの美しい旋律が出てくる。

夜明けのイメージかなと思う。なんか そんな感じだった。

広上さんが指揮すると、見ていて指揮棒の発する気がオーケストラにダイレクトによく伝わっているという爽快感がある。

こういう意味での爽快感を感じさせてくれるという点では広上さんは本当に日本でも指折りの指揮者だなと思う。

ちょっと他に類を見ないような指揮ぶりだし、、、。

ドボルザーク特有の、民族色に彩られた幸福感に満ちた楽想がしばしば出てきた。

リズムが元気になるところは、ドボルザークの交響曲第8番の第一楽章の元気なところをイメージさせるようなところもあると感じた。

木管が、全体に小鳥のさえずりのようなイメージに聴こえるのはある点でシベリウスに似ているとも感じた。

要するに自然の王国というタイトルの通り、自然を感じさせる側面の大きい音楽と感じた。


次に演奏されたのが
ブルッフ バイオリン協奏曲第一番ト短調作品26

バイオリン独奏 小林美樹さん

ブルッフのバイオリン協奏曲は 録音 実演含めて初めて聴いたと思う。

僕はコンサートで協奏曲を聴くとき、しばしば、指揮者に照準を合わせて聴くべきか、ソリストに照準を合わせて聴くべきかわからなくなってしまうことがある。

今日の場合は、全体で三楽章ある曲の中で
最初の2つの楽章は、広上さんの主導で演奏が進んでいるように僕には思われた。

いつか、広上さんの指揮でショスタコーヴィチのバイオリン協奏曲第一番を聴いたとき、ソリストはどなたか忘れてしまったけれど、広上さんの指揮の気合にバイオリンがついていっていないと感じたことがあった。

今日も最初の二楽章はそれに似た印象をもった。

オーケストラのみで演奏が進むところは広上さんが思い切り伸びやかに、演奏されるのでそこに引き込まれるということもあったけれど、バイオリンは今ひとつ平板であるように思われた。

特に、悲愴な曲想、シリアスな曲想にバイオリンが充分に食い込めていないと感じることが演奏中何度かあった。

第三楽章は躍動的なダンスを思わせる音楽。

ここは、バイオリンが主導で音楽が進んでいると思ったし、聴いていて楽しかった。

うまく盛り上がって曲が終わった。

バイオリンがアンコールをやった。

何をやったのかわからないけれど 曲の感じから判断してバッハの無伴奏の、ソナタか パルティータ、そういうものの中から一曲選んでやったのだと思う。

率直な感想として、バッハのアンコールをしないで、ブルッフの第三楽章で盛り上がって、そのまま終わっておいたほうがが印象がよかったかもと思った。

20分の休憩を挟んで次に演奏されたのが

ドボルザーク 交響曲第7番 ニ短調 作品70

僕はドボルザークの交響曲は、第8番と9番はしばしば聴くけれど7番はCDも持っていなくて実演で聴くのも今日が初めてか二回目くらいかも知れない。

第一楽章 第二楽章では、幸福感に満ちた楽想がしばしば出てきて、そういうところは、いいなと思って聴いていた。

第三楽章は、スケルツォでダンスの要素が強い音楽。

広上さんも指揮台の上で指揮をしておられのかダンスをしておられるのかわからないような様相になってきた。チャールズチャップリンも、広上さんのダンスを見たら参考になる部分があるのではないかとさえ思った。

楽章の最後の方は、どんどん盛り上がっていって最後に、広上さんの頭を扇の要として、広上さんの両腕が逆ハの字を描く形で、天井に向かってパッと開いて楽章が終わったとき、これで全てが終わったと信じ切って拍手をした人がいた。

そのくらいすごい盛り上がり方だった。

第四楽章もシリアスな楽想や幸福感に満ちた楽想があったけれど、もう最後の方はどんどん盛り上がっていった。

ほとんど初めて聴く曲だから、もう、その盛り上がりに身をまかせていたけれど、もし、この曲をCDなどで何度も聴いていて、よく知っていたら、ちょっと盛り上げ過ぎかもと思っていたかもしれない。

でも、輝かしく音楽が終わってよかったと思った。

最後に広上さんが、皆さん、京響はみなさんとともにあります。どうぞ癒やされにきてください
というような感じの挨拶をしておられた。

広上さんらしい挨拶だなと思った。

定期演奏会にしては珍しく、挨拶に続いて、アンコールも演奏してくださったけれど、コロナのせいかどの曲をやったのかホワイトボードで確認してくるのをわすれてしまった。

たぶんスラブ系のダンスの音楽のように聴こえたけれど、ちょっと記憶に自信がもてない。

全体として充分に満足できるコンサートだった。

あと、今日のオーケストラの弦楽合奏はかなり素晴らしかったと思った。

コロナはまだ続いているけれど、コロナの中でのコンサートにはだんだん慣れてきたようなきがするのでそれはありがたいことだなと思う。


鶴竜引退

2021年03月26日 | 大相撲
昨日、横綱の鶴竜が引退したというニュースに接した。
休場が続いていて、そのままフェードアウトのような引退に、残念なことだなと思った。

鶴竜は僕にとっては地味な横綱だったけれど、そのまま、なんとなく地味に引退してしまったなという印象がぬぐいされない。

折しも今は桜のシーズン。

散るこそ花と 散る花を美化することは、ともすれば死を美化することにも繋がりかねないから、安易に散り際の美学ということは慎むべきとは思う。

しかし、横綱が引退するなら、場所中に連敗してそのまま引退とか、場所を皆勤したものの、思うような成績、あるいは思うような相撲内容ではなくそれで引退、という花道をできれば飾ってほしかったという気持ちは僕の心のどこかに宿っている。

せっかく横綱になったのだもの、もう少しファンに最後の印象を残して引退してもいいのにと思ってしまう。

新聞には、成績が振るわず、横綱審議委員会からも厳しいことを言われ、鶴竜本人も悩み抜き、もういいかなと気持ちが切れてしまったという内容のことが書いてある。

きっと、そのとおりなのだと思うし、それが鶴竜関らしいとも言えるのだろう。

それでも、やっぱり引退の花道くらいはあってもよかったのに、とそのことに気持ちが行ってしまう。

僕の記憶にある限り、もっとも印象的で美しい横綱の引退は北の湖の引退だった。

怪我が治っていないのに、国技館が蔵前から両国に移ったということでそのこけら落としの場所に怪我を押して強行出場して、初日から二連敗してそのまま北の湖は引退した。

もちろん、そのときは北の湖が怪我を押して強行出場したことなどニュースにならなかったけれど、後になって、当時の春日野理事長から、両国国技館のこけら落としの晴れの場所に横綱が休むことはできない、散る覚悟で出るようにと言われて、そのまま強行出場して二連敗そして引退という流れになったということが明るみになった。


北の湖の最後の対戦相手は平幕の多賀竜。僕もそれをテレビで見ていたけれど、あっというまにいいところなく後退して北の湖は負けてしまった。

翌日の新聞にも、北の湖は多賀竜と差し手争いをしているうちにみるみる後退して負けてしまった。という内容のことが書いてあった。

そして、その傍らには浴衣を見て記者の取材に応じる北の湖の写真が載っていて、その写真の横に「北の湖おつかれさま」というかなり大きな見出しが出ていたと記憶している。

僕にはあれは、印象深い引退の光景だったなと今でも記憶に残っている。

フェードアウトするように引退する鶴竜も、それらしいといえばそれらしいかもしれない。

何ヶ月か前に、プロ野球で4番を打った人の談話として、「4番を打つものの気持ちは、4番を打ったものにしかわからない」という内容のことが書いてあった。

まさに、そのとおりと思うし、横綱の気持ちも、横綱になった人にしかわからないものだと思う。

だから、安易に何か書くべきではないけも知れないけれど、横綱が休場の延長でフェードアウトするように引退っていかにも寂しい気がする。

相撲は、当たり前の話だけれど、相撲を取る人とお客さんがいて初めて成立する。

いくら相撲をとっても客がいなければ、そもそも興行が成立しない。

鶴竜がこんなふうに引退するのも鶴竜関の性格によるところも大きいと思うけれど、もう、ちょっと調子が落ちたりすると、ボロカスに叩いてしまう、今のファンとか世の中の風潮にも、横綱がこんな引退の仕方をしなければならない原因があるような気がしてならない。


もう少しファンも土俵を暖かい目で見るようにならないと、横綱も人の子、フェードアウトのような引退になってしまったりする可能性も高くなってしまうように思えてならない。

まあ、それは、さておき、鶴竜も引退して、時代は移っていくなと思う。

次の安定した横綱が誕生することを願っている。

やはり、横綱のいない土俵にはいちまつの寂しさがあるから、、、。