ケンのブログ

日々の雑感や日記

発言には気をつけて

2019年09月30日 | 日記
朝、ラジオを聴いていたらN国党の党首のかたから
動画で子供をばかばか生むような民族は虐殺というような
発言があったということが話題になった。
パーソナリティはこの党首が動画のなかでまあ実際に
虐殺することなどないですがという内容のことを
言ったことは認めつつも
やはり虐殺というようなことを政治家(国会議員)が
言うのはよくないと言っていた。
パーソナリティはその話をチャップリンを引き合いに出して
しておられた。
ヒトラーがユダヤ人を虐殺していたとき
チャップリンは独裁者という映画で虐殺というようなことは
いけないとはっきり主張した。
この映画をとったためチャップリンはヒトラーに
命を狙われてもおかしくない状況にあった。
なので独裁者の最後の演説は暗に
チャップリンが自分の亡くなった母親に
呼び掛ける形になっている。
この演説のなかでのチャップリンのハンナという呼び掛けは
確かに映画のなかにもハンナという登場人物はいるけれど
それはチャップリンの母親の名前でもある。
もう命を失ってもいいという状況のなかで
チャップリンは母親に呼び掛ける演説をした。
そういう歴史というものがあるのだから
やはり虐殺というようなことは政治家は
口にしてはいけない。というような
ラジオのパーソナリティの説明だった。
パーソナリティがその話をしているとき
アシスタントのかたはいたく同意しておられるような感じだった。
チャップリンがこの映画をとったとき
日本もドイツと同盟を結んでいる頃だったので
日本にもこの映画は入ってこなかった。
日本にこの映画が入ってきたのは映画ができて20年後
昭和36年のことでした。とパーソナリティは言っていた。
そうか、日本には映画ができてから20年もしてから
やっと入ってきたんか。それは知らなかったなと思った。


ふとしたきっかけで思うこと

2019年09月29日 | 日記
一昨日たまたま開けたクローゼットから
一枚の紙がほろっと下に落ちた。
見ると平成十四年にマンションの駐車場の料金を
二ヶ月分まとめて振り込んだときの振り込み用紙だった。
あれ、おかしいなマンションの駐車場の料金は
銀行口座から引き落としのはずだったのにと思った。
ちょっと考えて、そうか、駐車場の契約をしたとき
銀行の引き落としの手続に二ヶ月くらいかかるから
それまでの二ヶ月は振り込んでくださいと言われたんだと思い出した。
平成14年つまり2002年、
思うところあって中古の軽乗用車を買い
マンションの駐車場の契約をした。
僕、そのときまだ40才。
振り込み書の経緯まで思い出せるくらいだから
そんなに昔のこととも思えない。
あれからもう17年も経過したのかと改めて思う。
その車もとっくに手放してしまった。
そして今57才の僕もあと17年経過すればもう74才かと
思った。
男性の健康寿命がたしか70才くらいだったと思うから
74才と言えばもう健康寿命は終わっている可能性も
十分にある。
平均寿命が80才として、そこからさらに6年もすればぼちぼち、、、
と思うと
なんかそんなに早いんか
と思って寂しくなってくる。

僕の祖母は60才くらいの時、僕の祖父
つまり、自分の夫を亡くした。
夫がなくなって一、二年の間は
祖母は仏壇の前で祖父のことを思い出して
よく泣いていた。

祖父がなくなって3年くらいたつと祖母は
もう祖父のことを思い出して仏壇の前で
泣くということはなくなった。
そのかわりに「わっちもまあながあねえわ、ケンちゃん」
というのが口癖になった。
僕のかおを見ると祖母はなぜか「ああ、わっちもまあながあねえ」と
繰り返し言った。
僕が孫だから祖母は気を許していたのかも知れない。
※「わっちもまあながあねえ」というのは岐阜の方言で
「私ももう長くない」という意味です。

そういえば寅さんも自分の叔父、叔母のことを
老い先短いおいちゃんおばちゃんと言っていたっけ。

祖母がしきりに「わっちもまあ長あねえ」とこぼすことを母に話すと
「その通りやがね。おばあちゃんが今まで生きてきた年月と
これから生きる年月とどっちが長いね」と母は決まって言った。
その答えは人間の平均的な寿命ということを考えると
明らかだった。
「まあ、そう言えばそうやわな」と僕は言った。
するとたまに母はこう付け加えることがあった。
「人間、ほっといたらいつまででも生きておりたいよ」と。
これもまたその通りと思った。
僕の母はだれもが当たり前と思っていながら
なかなか口にしないことをあまりにもあっさりと
口にしてしまうことがよくある。
そういうのが気持ちよくて
僕の母を訪ねてくださるかたもいらっしゃるかもしれないと
僕は思う。

その祖母のことだけれど、90才以上まで生きて
結局最後までボケることもなく
案外楽になくなったような気が僕にはしている。

僕も普段は人間いつか死ぬということを忘れているけれど
こうして17年前の振り込み用紙を発見したりしたときに
ふっと思い出して寂しくなってしまったりする。
金光さんは死ぬのは寝入るのと同じである。
死ぬことをいとうな。ということをおっしゃっている。
普通の言葉でも死ぬことを永眠という。
僕も死ぬのは永遠に眠って目が覚めないこと
と今は思っている。
寝ると思うと怖くないけれど
目が覚めないと思うと、もう長年
慣れ親しんだ自分という意識のなかには
戻ってこれないのかと感じて、いやそれは寂しいことだなと思う。
なんともやるせないような気持ちになってくる。

こういうことに関して仏陀とかイエスとかそういう
聖人というような人ではなく
ごく普通の人はどう思っているのだろうと興味をもって
知恵袋などのサイトでいろいろみんなの意見を見てみた。
なぜ人間は偉くなったり後世に名を残したり
自分のことを覚えてほしいと思ったり
生きた証を残そうと思ったりするのだろうという問いは
こういうサイトのしかるべきカテゴリーを見ると
少なからず存在する。

そういった問いに対するあるベストアンサーは
人間が偉くなったり名を残したりしたいと思うのは
結局死への恐怖の裏返しではないでしょうか。
死ぬことをいとう気持ちが
どうせ死ぬならせめて名を残して
自分が生きていたことを覚えておいてほしいという
気持ちにつながるのではないでしょうかという趣旨のものだった。

これを読んだとき、ああ、これは僕が感じていることに
近いなと思った。
僕自身も特に若いときは
どうせ限りある人生なら一生懸命
頑張って願わくば名が残るようなということを思った。
こういう思いは、年を取って
会社でも出世するということもなく
それ以外の道で頭角を表すこともなく
この年まできてしまうともうすっかり諦めモードになってくる。
どの会社でもそうだと思うけれど
入社してある程度年数がたったときには
だいたいあの人はこの会社でなんとなく上までいきそうだとか
どうもそうではなさそうだというのがかなり見えてくる。
僕は入社して5年もたった頃にはすっかり諦めモードになってしまった。
今さら何かで有名になって毎日大勢の人に注目される
生活に耐えられるだろうかと思うと
もう若いときからそういうのになれていないとそれはきついと思ってしまう。
では、そういう思いがすっかり吹っ切れているかというと
案外そうでもなくて
たまに、何かのきっかけでやっぱり
権力のある人、有名な人はいいよな
そういう人はきっと人生にも満足して死んでいくのではないだろうか。
やっぱりいいな。と思ってしまう。
もちろん有名で実績もあげたから死ぬとき満足かどうかは
その本人にしかわからないことなのだれど。
もうひとつこうしたサイトの書き込みの中に
名を残すと言ってもそれは結局後世の人が決めること。
自分の努力だけではどうにもならないということも書いてあった。
本当にその通りだなと思う。
八王源先生がある会社の社長さんに
「おまえさん自分で自分の銅像作ったってあかんぞ。
死んでから人に祭られて銅像ができるくらいでないと」と
おっしゃったことを思い出す。
そういえば死んで銅像ができるような社長もそんなにいないな
としみじみと思う。
「社長と言ってもね。その地位を降りたらただの人
誰も見向きもせんようになるの」と八王源先生がおっしゃっていたことも
またその通りだなと今さらのように思う。

そういえばもし僕の記憶が正しければ
作家の宮本輝さんも自分は死ぬの怖い病にかかったことが
あってしんどかったというようなことを何かのエッセイに書いておられたような
気がする。
輝さんはそういうのを割りと素直に認めてしまうところが
すごいのだと思うけれど、、、。


征さんというかたの本にはこのようなことが書いてある。

「人はどのようにして軽く素直になったらよいのかということなのです。
本当は少しも難しくも大変でもないことなのです。
人々がすべてのことを素直に、あるがままに受け止め
何事にも執着心を残さないという姿勢になればよいだけのことなのです。
そうです、最終的には、生きるということに対しての執着心で
あると言えるでしょう。
あなたがたが、今生きていること、そして死を迎えますこと
そのどちらも同じであると知りますならば
おそらくは死に対する恐怖、あるいは生に対する、つまりは
生命に対する執着心を取り除くことができるのではないでしょうか。
まずは物に対して、さまざまなできごとに対してのこだわり
あるいは権力や知名度などに対しての執着なども
同じであると言えましょう。
そのようなことを少しずつ取り払っていくとよいのです」

ある程度の執着は努力をするための
原動力になりうると思いつつも
やはり征さんが書いておられるような目標に
少しでも近づきたいなと思う。








九月二十八日

2019年09月28日 | 日記
昨日か一昨日朝のラジオで関西電力の幹部や社員が高浜町の
元助役のかたから多額相当の金品を受け取っていたという
話題が出たとき、アシスタントの人は
「こういうことはちゃんと説明責任を果たしてもらわんとね」と言った。
すると「説明責任といってもこんなこと
説明のしようがないでっせ」とパーソナリティは言った。
なるほどパーソナリティのおっしゃる通りだなと思った。

かれこれ一年ほど前インターネットの接続でわからないことがあった。
当時、僕は加入しているケーブルテレビ会社のインターネットを使っていた。
それでケーブルテレビの顧客サポートのようなところに
電話してネットがつながる方法を教えてもらった。
電話に出てくれたオペレータのかたのサポートに
従ってタブレットを操作するとネットはちゃんと繋がった。
「あ、つながりました。ありがとうございました」と僕は言った。
するとオペレーターのかたは「今、時間ちょっといいですか?」と
おっしゃった。
僕はネットがつながって気分がよくなっていた瞬間だったので
「はい、ちょっとなら」と言った。
するとオペレーターのかたは要するに電気も
そのケーブルテレビの会社から買いませんかということをおっしゃった。
「ああ、僕は電気は長い間、関西電力にお世話になっていますので
これからも関西電力で続けるつもりです」と言った。
するとオペレーターのかたは
「関西電力はそのまま変わりません。支払いが変わるだけです」と言った。
なんか僕はその言い方に猛烈に頭に来てしまった。
もし電気を関西電力からケーブルテレビに変えれば
僕が電気を買う契約をするのはどう考えても
関西電力からケーブルテレビに変わるはずなのに
その事にはひとつもふれずに関西電力からケーブルテレビに
支払いがかわるだけというのは
限りなくウソにちかい勧誘のしかた
あるいは言葉巧みな勧誘のしかただと
とっさに思った。
それはきっとケーブルテレビから電気を買うようになっても
電気は従来の関西電力の送電線から送られてくだろうし
きっと発電のインフラも関西電力のものに大半は頼るのかもしれない。
そういう意味で関西電力はそのまま変わらないとおっしゃったのかもしれない。
でも、ぎゃくにそれだからこそますます紛らわしい言い方だと思った。
僕はそのとき本当に頭に来たので
「支払いがかわるだけって、僕がケーブルテレビに支払った
電気代をケーブルテレビの方からそのまま
関西電力に納めてくれるんですか」といやみを言って
電話を切ってしまった。
ついでに、もうテレビもほとんど見ないしと思っていた
矢先だったので、その数日後にケーブルテレビも解約してしまった。

関西電力の幹部の方などが金品を受け取ったという
記事もわからないことだらけの記事になっている。
金品と書いてあるけれど金品ってなんだろうと思ってしまう。
辞書でひくと金銭と品物とそのまんまの意味が書いてあるけれど、、、。
辞書を引いてますますわからくなってしまった。
金品は受け取ったけれど便宜は供与していないというのも
何がなんだかと思ってしまう。
金品を受けとること自体が便宜の供与だとも
思えてきてしまう。
なんか、電気って今の生活になくてはならないもので
そういうところに携わっている人が
わけのわからない発言に終始するというのは
生活するものにとって本当に不安なことだと思う。
最近本当にいやなニュースが多いように思う。
なんかこういうことが続くと
何を信用したらいいかわからない世の中になってしまうようで
不安を覚える。
本当に電気は安全に安定して適正な価格で
供給される世の中であってほしいなと思う。
しかし、関西電力幹部などと高浜町助役の金品のやりとりに関する
今回の新聞記事を読んでいると
関西電力の社長のかたの発言は
金品のやりとりに関して居直りとも思われるような
内容もあるようでなんだかちょっとこれは
恐ろしいことだなという思いが込み上げてくる。
だってこれはひとつ間違えば私たちの生命
安全を脅かしてしまう原発に関連する話だもの。
本当に一人ひとりがしかるべき倫理観をもっていきられる
世の中であることを望みたい。

安全を担う仕事では毅然とした対応を

2019年09月27日 | 日記
もう今日を含めて九月もあと四日。
本当に早いなと思う。
新聞を見ると伊丹空港の保安検査員が
誤って手荷物にナイフをもっていた乗客の
男性を通過させてしまって大混乱になったと出ている。
ちょっと詳しいことを知ろうと思って
ネットのニュース記事を見たら
女性の検査員が男性の手荷物の中から
刃物を見つけたとき男性から
「これはええねん」と言われて
そのまま男性を通過させてしまったという。
女性は自分の対応の誤りに気づいて
会社に報告、検査のやり直しと
出発便の全便運行見合わせとなり
大混乱を来したという内容のことが書いてある。
報道の記事だけ読んで想像でものを
言ってしまうけれど
記事に書いてある字面だけおっていると
この検査員のかたの対応って
なんか訓練不足の女性に特有の対応のように
思えてしまう。
女性って一般に危機的状況では
男性以上に強みを発揮することが多々あるけれど
訓練不足や知識不足で自信がないと
つい魔が差したりしてこういう後手に回った
対応のお手本のような状況を呈してしまうことがあるような気がする。
新聞の記事のしたの方には
航空会社が保安検査を保安会社に委託し
今回の検査員も委託先のスタッフだったと書いてある。
僕、航空会社の実情に詳しくないけれど
昭和の時代だったらこういう保安面のことって
自社のしかるべき訓練を受けたスタッフが
誇りをもってやっていた仕事のような気がする。
業務の委託などで訓練不足のスタッフに
あたってなんかぎこちない対応を
受けたなということは航空に限らず
生活のいろんな側面で感じる。
本当に労働の流動化で
私たちの生活、ひいてはこの世の中は
どうなってしまうんだろうと思うことが最近多くなった。

※スタッフのかたが訓練不足と書いたのは
記事を読んで僕が想像したことです。
まだ調査の段階なのでミスの全容はあきらかになっていません。

秋に思うこと

2019年09月26日 | 日記
日が照るとまだ暑いけれど
それでももうお彼岸過ぎ、暑いといってもたかがしれているなと思う。
スーパーの花売り場を見るとお彼岸用の花が
特売価格になっている。
季節を感じるなと思う。
本屋にいくともう来年の手帳が出ている。
今のうちに買っておこうかと手に取ってみたけれど
まあ、そんなに慌てることもないかと思いとどまる。
ラジオではハロウィン商戦がもう始まっていると言っていた。
例えば回転寿司でハロゥインのための特別の
メニューがあったりとか。
パーソナリティがクリスマスも明治になってから
日本に紹介されるようになり
今では日本に昔からあったお祭りのようですと言っていた。
アシスタントもそれに共感していた。
ハロウィンももとはケルト民族が秋の収穫を祝う
祭りであったものがイギリスでキリスト教の聖人を
讃える祭りと結合したようです。
そして日本ではもうなんやわからんけど
みんなで騒ぐようなお祭りになっています。と
パーソナリティは言った。
まあ、言われてみればそういうことなのだと感じる。
クリスマスが日本のものというけれど
あれもなんかクリスマス商戦の流れで
毎年騒いでいるように思えてならない。
僕はキリスト教の幼稚園に通い
そして小学校の頃はその幼稚園の
教会の日曜学校に通っていた。
日曜学校の先生にはクリスマスになると
きまって、クリスマスはケーキを食べる日ではありません
イエスキリストの誕生をお祝いする日ですと教えられた。
なので、子供の頃からクリスマスというのを
そういうプレゼントをもらったりケーキを食べる日と
とらえることは間違った捉え方であるのだと
なんとなく思ってきた。
子供の頃から西洋のクラシック音楽を聴き続けていると
教会音楽の旋律や和声、そして、作曲家が
おそらく慣れ親しんだであろう民謡というものは
それらの作曲家の作品中の重要なモチーフの
根幹にあるのだろうということがそれとなく
感じれらるようになる。
なんか普段そういう捉え方をしていると
ハロウィンやクリスマスなどを
商業戦線のイベントとしてしか知らない
心の構造というのは危ないものであるかのように思えることがある。
そういう祭りが本来もっていた
収穫への感謝、あるいはイエスが生誕したことへの
感謝ということをこころのどこかにとどめておくべきであると思う。
そうでないと、よっしゃハロウィンやクリスマスや
派手に宣伝売って儲けたれ
とか、この機会にパーっと遊ぼか、という言わば欲目の系統のことにしか
考えが及ばなくなってしまう可能性もあるような気がする。

ジャイアンツの阿部慎之助選手の引退会見の模様が
新聞に出ている。
少なくとも新聞の阿部選手の出し方を見る限りでは
将来の球団の幹部候補生なのかなという印象は受ける。
ジャイアンツって昔からこういことは用意周到な
球団だなと思う。
それにしても、ジャイアンツに入ってくる選手のなかで
こういう扱いを受けて引退できる人って
本当に一握りなんだなと思う。
阿部選手も前世でなにか修行をしておられたのだろうか。
そんなことをふと想像してしまう。

予備校で金ぴか先生と言われていた人が
なくなったと新聞に出ていた。
その先生が全盛期のころテレビに出たり
予備校の宣伝などに出ておられるのを見て
予備校から金ぴかという売り方をされて
そのまま金ぴかの服装をしておられるように僕には見えた。
そして、なんかそういうのってとてもわざとらしくて
どこか無理があってしんどいだろうなと思っていた。
僕がそう思っていたというだけの話なので
本人はどう感じておられたかわからないけれど。
最後は生活保護を受けておられたと新聞に出ていた。
予備校の超人気講師で
かなりの収入があったろうにいろいろ
金ぴかの装いのために使ってしまって
手元には残らなかったというようなことが
週刊紙ネタ的なネットの記事に書いてあった。
本当に稼ぐ量が多くても使う量が多ければなくなってしまう。
たまるのは稼いだ分から使った分を引いた差額だという
当たり前の事実にこういう機会にしみじみと気づかされる。
僕の母がいつかお金をためるのは稼ぐ人ではなく使わない人
と言っていたことがあるけれどそう言われればそうだな
とこういう機会に思う。
それでも生活保護を受けておられたのは
やはり教育と知識があるからいざとなったときには
それに頼る知恵があったということなのだと思う。
長生きできれば幸せとは思わないけれど
もし、できることなればなるべく節度ある生活をして
願わくば一日も長く健康でいたいものだなあとは思う。