ケンのブログ

日々の雑感や日記

頭は確かかも

2023年07月26日 | 日記
私事ですが 父は今 介護付きの住宅に住んでいます。

腰と膝が悪いので 杖などを使わないとなかなか歩行も大変という状態です。

眼や耳もかなり衰えてきています。

92歳という年齢を考えると致し方ないことではあるのですが。

そんな父のことを母はよく「お父さんはあちこち悪いけど おかげさんで内臓は丈夫だし頭も確かだ」と言います。

確かに そのとうりかもしれないと思ったことがありました。

数日前 父の介護付き住宅を僕が訪問した時 ちょっと父と話をしました。

話しはロシアとウクライナの戦争のことに及びました。

「戦争で主にロシアが侵攻しているところは地図で見ると黒海へのルートになってるね。やっぱり黒海は凍らない海やから ほとんどの海が北極方面に面しているロシアにとっては黒海の制圧は死活問題なのかな」と僕は言いました。

すると父は
「そうはいっても オリンピックかなんかの時のどさくさで ロシアはクリミア半島を制圧したやろ。クリミア半島と言えば黒海の北のど真ん中やないか。あそこ(クリミア半島)を抑えれば黒海の制海権は握れるよ。それをさらに欲張ってロシアが攻めてくからおかしなことになるんやないか」と父は言いました。

父は国際航路の船員をずっと30年以上していました。

そんな父に僕は「さすがは父さんやなあ。言われてみればクリミア半島は黒海の北のど真ん中や。あそこを握れば 確かに 黒海の制海権もにぎれるかもね」と言いました。

すると父は「いや 黒海は実際には行ったことないけど 近くの地中海やペルシャ湾は結構 行ってたからな そういう時に 地図は見るから そのくらいは頭に入っとるわ」と言いました。

確かに 行ったことがないところを行ったと ほらを吹くわけでもないし 黒海は地中海のそのまた奥だから 日本の船がそんなに 行く必要もないかもしれない。

父の頭の中身は それなりに しっかり 整理されている と僕は思いました。

「でも まあ、 ウクライナやスカンジナビア半島にまで 北大西洋条約機構の勢力が及べば ロシアも のど元にまで 西側の勢力が近づいてくるわけやから 気が気ではないやろうね」と僕は少し話の矛先を変えました。

「まあ それは そうやな。昔 キューバ危機ってあったやろう。ソ連がキューバに核ミサイルを配備しようとした事件。あの時は アメリカは それこそ全力でそれを食い止めたからな。それはキューバまで核ミサイルが来たら のど元にまで敵がきとることになるからな」父は言いました。

このときも やっぱり 母が言うように父の頭は確かだ と僕は思いました。

もちろん 目や耳の機能が落ちているので 新しい情報は あまり入ってこないけれど 過去に自分が身に着けたことは割としっかりと覚えている。

80歳を過ぎて老化が進んでしまえば 結局 みんな 同じだ ともいうけれど 人間はたくわえた知識や 思考の枠組みの中で 物事を考える癖が 一般的にはあると思うから やっぱり ある程度の 知識や 思考の枠組みがあると 人間 一生 違うなということも父を見ていて思う。

それはともかく 一日 いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。



暑くなってきた

2023年07月14日 | 日記
7月になってさすがに暑くなったなあと思う。
僕は冷房の風が直接当たるのが苦手で 今は コロナで換気も強烈だから冷房が効きすぎることが多いのでそれも気になるけれど 暑さもかなり気になる季節になってきた。

本当にむしむしと暑いなと思う。

しかし 雨が降った夜に 草むらの近くの自動販売機で飲み物を買ったら 秋の虫の声も聞こえてきている あと立秋まで一か月足らずなのだから まあ わからないでもないけれど季節は確実に移っているなと思う。

北大西洋条約機構の首脳会議でウクライナを支援していく方針が決まったと新聞に出ている。

戦火を交えているのはロシアとウクライナだけれど 実質第三次世界大戦なのではないかと思うことがある。

そして 戦争を終結させる決定打というのはなかなか見いだせず、例えば パレスチナとイスラエルのように断続的にずっと戦争が続く そんな風になってしまうのではなかろうか という思いがふっと胸をかすめる。

そんなふうに ならないことを祈っているけれど、、、。

大阪場所が始まることには よく相撲取りを街中で見かけたな と思う。

こちらに来て 今 名古屋場所だけれど なかなか相撲取りを見ないなと思っていた。

そうしたら 信号待ちをしているときに 僕の前の横断歩道を相撲取りが自転車で横断していった。

いいものだなと思う。

いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。

名古屋フィルハーモニーの定期演奏会を聴きに行く。

2023年07月10日 | 音楽
7月8日 名古屋フィルハーモニーの514回定期演奏会を聴きに行く。

指揮はジェフリーパターソンさん。

最初に演奏されたのがラヴェルのスペイン狂詩曲。

今年は なぜかラヴェルを聴く機会が多いなと思う。

中学生や高校生のころベートーヴェンやブラームスなどドイツの音楽を中心に聴いていて 大学生になってラヴェルの音楽を聴き始めたころは なんだか ドイツの音楽に比べるともわーっとした音楽だなあと思っていた。

最近では もうそういう印象はなく ラヴェルの音楽は明晰というか 十分に親しみを持てるものだと思える自分がいる。

慣れというものだなと思う。

名古屋フィルハーモニーの演奏もなんだか安心して聴いていられるものだった。

プロのオーケストラってやっぱりうまいなあと思う。

次に演奏されたのがカニサレスの地中海協奏曲

ギター独奏もカニサレスさん。

地中海ではこんな感じで風が吹くのだろうか と思ったり 地中海の夕暮れはこんな感じなのだろうかと思ったり 地中海沿岸の街角では こんな感じの音楽がごく自然に流れたり演奏されたりしているのだろうかと思ったり いろんなことを思いながら演奏を聴いていた。

また 僕が 時々行くサロンで ボサノバとかをよく流しているサロンがあって そこのサロンのことを思い出したりもしていた。

カニサレスさんが力強く活き活きと演奏されているのに 軽々とひいておられるように見えるのも印象的だった。

カニサレスさんは アンコールもしてくださった。

最初 アルペジオがなったので おお こんな風にアンコール曲は始まるのかと思って息を飲んだら それは 単なる 音合わせに アルペジオを弾かれただけで 本当の演奏はそのあとだった。

それを聴いていて 協奏曲を聴いているときから どうも 音の出どころが ちょっと不思議だなと思っていたことの謎が解けた。

それは どういうことかというと 僕は 上の方の席で聴いていたのだけれど ホールの天井近くのスピーカーから音が聴こえてきた。

そうか マイクロフォンで音をとって スピーカーからも流しているのかと思った。

スピーカーから音を出すなんてずるい というのは 浅はかな 考えで あれだけ広いホールで 自分の楽器から出る音と 遠くのスピーカーから出る音 それに オーケストラの音と 三つの音を意識しながら 軽々と演奏できるのは 並大抵の音感ではないと思った。

ただ、 どこか サロン音楽のようだ と感じた理由も スピーカーからの音と楽器から出る音がミックスされていることもその一因なのだろうとその時思った。

20分の休憩を経て つぎに演奏されたのがラフマニノフの交響曲第3番

僕がこの曲をCDで初めて聴いたのは意外と最近のことでつい5年ほど前のことだと思う。

当時 僕が通っていた歌声教室のピアノの先生が あるホールでラフマニノフの 交響的舞曲をピアノの連弾で演奏されたのを聴いて 素晴らしいと思い ヤンソンス指揮のオーケストラバージョンのCDを買ったら そのCDには 交響的舞曲と交響曲第3番が入っていた。

そしてこの交響曲第3番を生演奏で聴くのは7月8日の名古屋が初めてだった。

前半で ラヴェル そして地中海協奏曲とラテン系の音楽を聴いていると 素晴らしいと思う気持ちと どこか 僕のような日本人にとっては 異国的なものだなと思う気持ちが相半ばする。

そしてラテン系の音楽を聴いた後でラフマニノフのようないわばスラブ系の音楽を聴くと なんだか 気持ち的にとても共感できるものが多いなと思う。

美しいなと思う気持ちが心の中で強くなってくる。

心が慰められるよう気持ちになったりもする。

あと 聴きなれたピアノ協奏曲2番や 3番のオーケストラ部分と 共通するような 音楽語法もしばしば出てくる。

ラフマニノフって 確固とした個性を持っていた人なんだなとそんな時に思う。

この時代の音楽にはよく見られることだけれど どこか 映画音楽のようと思う場面もあった。

指揮のジェフェリーパターソンさんは 指揮姿を見ていると 何となく 堅実そうで誠実そうな雰囲気が出ていて よかった。

いい演奏会だったな。

行くことができて よかった。

それはともかく 一日いちにち無事でありますようにそれを第一に願っていきたい。



高齢化の進行 熱量消費

2023年07月07日 | 日記
ネットのニュースをみていたら次のような記事が出ていた。

「去年の高齢者の世帯数は、およそ1693万世帯と全体の3割を初めて超え、統計を始めた1986年以来、過去最多となったことが分かりました。

一方、18歳未満の未婚の子どもがいる世帯数は、およそ991万世帯と初めて1000万世帯を下回りました」

高齢者 つまり65歳以上の家族がいる世帯数が1693万世帯に対して 18世未満の子供がいる世帯数は991万。

本当に 高齢者が多い 頭でっかちの人口構成になっているなと思う。

数カ月前にある 就職に関するサイトの書き込みを見ていたら 「今はどこに就職しても老人介護なんだから、、」という書き込みがあった。

どこに就職しても老人介護とはちょっと投げやりな気持ちの書き込みだとは思う。

しかし、本当に 若い人たちはどこに行っても 高齢者の相手をしなければならないということを感じているのだと思う。

自分自身は あと4年で 高齢者ということで やはり だんだん 先が短くなってきたな と時々 ふっと思うことがある。

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6月最後の金曜日に 名古屋フィルハーモニーでフルートを演奏しておられる方のコンサートに行った。

予定されていたプログラムがすべて終わった後 フルートの奏者の方は「熱量のある曲を続けてまいりましたのでアンコールはフォーレの小品を演奏します」という主旨のことをおっしゃってアンコール曲を演奏された。

それを聞いた時 熱量=カロリー という風に僕の頭は反応してしまった。

たぶん 奏者の方も無意識のうちにもそういう考えがあったのかもしれない。

でも 考えてみれば どこのオーケストラでもそうだけれど 一般的な 組織に比べると 太った人の比率は 低いだろうなと思う。

楽器を演奏することは確かに 熱量を消費する行為だな としみじみ思った。

あと太った人の比率が少ない ということで 僕が思い浮かべるのは 数学の先生。

これも 統計を取ったわけではないので 正確なことはわからないけれど 自分の中学高校時代 そして 予備校で働いていた時代をトータルで考えても 数学の先生で太った人って ほとんどいなかった。

脳は体重に占める比率よりもかなり多くカロリーを消費するということを何かの記事で読んだことがある。

頭を使えばそれだけでカロリーの消費量が増えると言うほどことは単純なのかどうかはわからないけれど 数学の先生は 授業中の計算間違いなども 許されないから 他の教科に比べて 教えるときの全体的な緊張感が高いと思う。

そういう意味では 数学の先生が授業をするときの感覚は 楽器を演奏する人の感覚に近いように思う。

そんなことと 数学の先生に太った人が少ないことが関係しているのではないか などどふと思ったりする。