ケンのブログ

日々の雑感や日記

教育の無償化

2022年06月30日 | 日記
新聞に教育無償化のことが話題になっている。

それによると 公立小学校でかかる費用は教材や給食費で焼く193万円、公立中3年間では役146万円。

それに対して 高校 大学でかかる費用は平均すると942万円余りになるという。

新聞に直接そのような言及があるわけではないけれど、これだけお金がかかると 少子化にも拍車がかかってしまうようにも思う。

かといってあまり無償かとすると 財政負担はどうなるのかということも心配だし。無償化の波で 大学に行く必要のない人まで 大学に行かなければという同調圧力がかかりかねないような気もしてくる。

自分が 親に大学を出してもらっておいてこういう書き方はしないほうがいいかもしれないけれど、最近の大学の広告などを見ていると 学部の名前を見ただけで 実質は専門学校かと思うようなところも少なくない。

下手なところにいって遊びとバイトに明け暮れているくらいなら 高校から直接 就職して 仕事を通じて学んだ方がいいような気がすることもある。

その方が国の財政負担が軽くなる可能性もあるだろうし、、、。

本当に これは いろいろと頭の痛い問題だなと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高校野球の夏の大会 愛知県地区予選のトーナメント表が新聞に出ている。

大阪で 出場校の多いトーナメント表に見慣れてきたので さほど驚かないけれど 愛知県も出場校は多いなと思う。

地区予選が始まると 夏だなという気分になってくる。

それはともかく 一日いちにち 無事で過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。

祈りを込めた音楽ということになると バッハのロ短調ミサ曲はいいなと思う。



Bye Bye My Love 梅雨明け

2022年06月29日 | 日記歌入り
新聞に東海地方梅雨明けと書いてある。

そうなのかと思って紙面の天気図を見ると太平洋高気圧が張り出し、梅雨前線は朝鮮半島の北側に移動している。

そうか、梅雨明けか。

太平洋高気圧といって思い出したけれど、山下達郎さんの歌で「高気圧ガール」というのが本当に昔にあったな。

80年代の歌だったと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

電力需給逼迫の話題も新聞に出ている。

原因として さらっとした書き方だけれど、太陽光発電は天候に発電量が左右される。そして、発電量が安定している原発の再稼働が遅れ、採算の取れなくなった火力発電が休廃止されていることがあげられている。

火力発電の休廃止については 電力自由化で競争が激しくなり採算の合わない火力発電への投資が控えられているということが原因として書いてある。

本当に過当競争のしわよせはこんなところにも来ているなと思う。

最近は スマホのショップで 電気を買いませんかという、のぼりの上がっているような店舗はもう電気の営業をかけられるのがいやで思わず避けたくなってしまう自分がいる。

なるべく 電気のポスターが目立たないように貼ってある店の方がいいかなと思ったりして、、、。

東北大震災の時 原発があれだけとまっても、それほど大規模な停電にならなかったのは 火力発電のバックアップがあったおかげ と言っていた方の主張しておられた通りの結果になっているなと思う。

太陽光 風力発電はお天気次第で発電量が変わる上に環境も破壊する 原子力発電はひとたび事故が起きると 放射能が出る上に 復旧に限りなく時間がかかる、なので、現状で最も安定した発電方法は火力。

そのためにも 石油製品 つまり 使い捨て商品の製造を極力抑えて 発電などエネルギー関係に回すべき というのがその方の主張の一つだったと記憶している。

本当に ことが起きるたびに その方の主張の通りだなと思ってしまう。

といいいつつ マスクを含めて使い捨て商品をかなり使っている僕だけれど、、、。

本当にいろいろなところで 科学技術がある意味発達しすぎて逆に行き詰っているなと感じる。

リニア新幹線の工事も環境アセスメントの関係で遅れているようだ。

高度成長期だったら 遅れているなんて残念 と思うところだけれど、今となっては そんなに速い乗り物が必要なのか と思い 遅れても特に気にならなくなってしまっている自分がいる。

今の新幹線でも十分速いじゃないかと。

本当に時代の流れとともに意識はかわるものだなと思う。

そんな時代の中で 少しでも自分を見失わないようにしていきたいものだと思う。

ささやかな願いだけれど、大切な願いだと思う。


■Bye Bye My Love
サザンオールスターズの「Bye Bye My Love」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1985年のリリースです。

状況的に失恋の歌のように思います。

しかし、歌詞は印象というかイメージで構成されている感じです。

歌詞に特に具体的な意味はなくてもメロディラインはとてもきれい というサザンオールスターズの歌にしばしば見られるパターンです。

歌詞も 印象としてとらえれば美しいと思います。

夏になると思い出す歌です。

↓サザンオールスターズの「Bye Bye My Love」をカラオケDAMの音源で歌いました。

リスクのとらえ方

2022年06月27日 | 日記
購読している全国紙の人生案内のコラムにこんな相談が出ている。

「40代の男性。大学一年の娘が教師への道を視野に入れ塾のアルバイトを始めました。

週一回は帰宅が午後11時ころになり義母は心配で眠れないそうです。妻も同調して娘を非難。

義母に預かってもらっているのだから、義母の考えを尊重すべきだと言います。

過保護ではありませんか。妻に18歳は成人だと反論しても襲われてもいいのかなどど返してきます。

娘と話し合えば 気の優しい子だけにバイトを辞めると言い出しそうです。

これからも娘が義母や親の管理下に置かれるのかと思うとぞっとします。父親の私が感じているのだから娘はもっと感じているかもしれません」と。

この相談を読んで僕が感じることは 娘さんの気持ちを案じる優しいお父さんだなということ。

娘さんはお父さんには恵まれた。それだけは言えると思う。

僕は予備校に勤めていたので 勤務時間そのものが本部ではあっても午前10時から午後7時だった。

ただ、午後7時に帰る人はあまりいなくて、みんなの平均的な退社時間は午後8時くらいだったと思う。

もちろん夏期講習の準備期間など忙しいときは午後9時や10時に退社することもざらで、そうなると帰宅時間は 午後10時から11時くらいになる。

一年を平均にならせば 週一回くらいは帰宅が午後11時になるという感じだったと思う。


女性の社員も状況は同じだった。

僕は本部の勤務が長かったからそうだったけれど、現場にいると勤務時間そのものが正午から午後8時 くらいになる。

しかし、現場にいたら午後8時に校舎を閉められるはずもなく 施錠は早くて午後9時過ぎになると思う。

当然帰宅時間は午後10時 11時になる。

そして、女性の現場責任者も結構 僕が勤めていたところでは多かった。

それは もちろん まいにち午後5時に家に帰れる仕事があったら それは理想だけれど、今どき そんな仕事がはたしてあるかどうか。

あと 妻の方は午後11時に帰宅するような時間帯に行動して襲われたらどうするの と夫に返してくると出ている。

犯罪白書を見ると 性犯罪は僕が検索しても見つからなかったけれど 殺人に関しては 確かに午後6時から午前0時までの発生率は高い。

しかし、午後6時から9時の時間帯と 午後9時から午前0時の時間帯を比較すると 午後9時から0時の方が 高いとはいうものの 圧倒的に高いというわけではなく 午後6時から9時も意外と高い。

 比率であらわすと6対7の割合で午後9時以降の方が 午後6時以降より高いという程度の差になっている。

午後11時の帰宅が特に危ないという 統計的根拠は ある程度はあるけれど、決定的な根拠にはならないように思う。

もうひとつ リスクの比較ということ考えると それは確かに午後11時に帰宅すると 午後6時前に帰宅するよりは襲われる統計的確率は高くなる。

しかし、娘さんに危ないからと言って塾のバイトをあきらめさせてしまうと 逆にそれで人生の目標や 自己決定権を奪われてしまった という心理的に負の感情を娘さんに与えてしまうリスクもある。

そして、そういう 若いときに自由意志を奪われたという感情は 結構 人生の長きにわたって尾を引くこともあるということが僕くらいの年齢になると経験的にわかってくる。

犯罪被害というリスクと 自由意志を奪うというリスクとどちらのリスクが大きいか。

これは 個人の価値観としかいえないけれど、さてどうなのだろう。

人間が他の動物と異なる点は 自由意志があるということ そして 創造力があるということ と言った人がいた。

自由意志と造像力はたぶん密接に関連しているのだと思う。

僕自身は 犯罪率が少なくとも相対的には高い時間帯に帰宅することで生まれるリスクよりも自由意志を奪うリスクの方が気になる。

犯罪と言っても たとえば痴漢は 夜よりもむしろ朝の通勤電車で発生することが多いことも統計的にはっきりしている。

そして、いわゆる重大犯罪は 互いに顔見知りという関係の下で起きることが多いことも統計的に示されているサイトがあった。

創造力ということで言えば 調べてみると いわゆる性犯罪にあいにくい方法というものがいくつかネットにも紹介されている。

たとえば 内またでうつむいて立っているよりも 足を開いて正面を見据えるように立った方が 狙われる確率は低い。

露出の高い服は避ける。ハイヒールは動きが鈍くなるからよくない。歩きスマホは論外。
防犯ブザー いつでも110番できる心構え。などが紹介されている。

こういうことを意識して生活するだけでも いわゆる たくましさが育つようにも思う。

また、身の安全ということに関しては究極的にはイエスのこんな言葉がある。

「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 
そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。

野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」と。(ルカによる福音書12章25節から27節より引用)

もちろん 犯罪にあう確率を下げるために 警察のホームページなどに出ている対策を講じることは必要と思う。

それはともかく 一日一日 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。






お盆も近く

2022年06月27日 | 日記
新聞に外食値上げラッシュと出ている。

僕がよく行くカレーショップも主要メニューで33円上がったと出ている。

そうだったのか、ハーフサイズのトッピングが出たり、ご飯のサイズも100グラム刻みから50グラム刻みになったりしたので メニューのコンセプトの刷新かと思っていたけれど値上げだったのか。

なんとなく ちょっと値段が変わったとは思っていたけれど はっきり値上げとは気づかなかった。

メニューの刷新は 値上げをカモフラージュするためというよりは 価格の選択肢を多くして 値上げした代わりに 消費者の選択の幅も広げようという方針のように思える。

とはいっても みんな慣れれば きっと上がったなりの値段で 自分が食べたい量を注文するようになる気もするけれど。

いろいろと、ウクライナでの紛争などの影響も出てきているのだなと感じる。

外食と言えば 吉野家にとろろ芋を使った新しいメニューが出ている。

そのメニューにお店の店員さんが作ったポップが出ていてこんな風に書いてある。

「暑さに ねばぁ~ ぎぶあっぷ」と。

とろろ芋のねばりと never と ねばぁ~ をかけていることはわかるけれど、何ともギャクのセンスが生ぬるい。

これも名古屋のノリかと思ったりする。

僕はもともとこの地域で育ったけれど、長く関西にいたので 何かとこちらで新鮮に感じられることが多い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
食料品の売り場に行くと お盆の飾りつけを販売するコーナーが設けてある。

7月にお盆のところと8月にお盆のところがあるので今からお盆の飾りつけの販売になっているようだ。

知らなかった。

キュウリとナスで動物をかたどった供え物が展示してあり、ポップを読むと ナスは牛を キュウリは馬を表しているという。

馬に乗ってご先祖様の霊がはやくうちに帰ってきて 帰りは お供え物をもってゆっくりと牛で極楽に帰ってもらうためにそうなっているという。

知らなかった。

関西にもお盆の飾りつけはでていたけれど、どちらかというと東海地方の方がたくさん出ているような印象を受ける。

こういうのも地域差というのがあるのだなと思う。

それはともかく 一日一日無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。



夏まつり お散歩

2022年06月26日 | 日記歌入り
25日は土曜日で、朝、ジョギングする人や散歩する人 サイクリングする人を散見した。

そういう人に遭遇する確率は大阪にいたころよりも多いように思う。

やはり、関西圏は東海地方よりも都会なので週末は電車に乗ってどこかにいくとか、そういうパターンになることが多いのではないかと思った。

晴れたり曇ったりどんよりした天気だったけれど、蒸し暑かった。

水分の摂取量が増えているように思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新聞に ツイッターに過去の逮捕歴が表示されるのはプライバシーの侵害だとして男性がツイッター社に削除を求めた裁判で 最高裁で削除を命ずる判決を出したと新聞に出ている。

一度ネットに出したことは なかなか消えないので わすれられる権利 が叫ばれてからもうずいぶんになると思う。

これに 関連して 僕が感じることは 例えば 検索エンジンに口コミを書く欄があって そこに 自分のことを不快な目にあわせた店員の名前を 書いている人がいる。

あれも 一度書くと なかなか消えないというのが実情のようだ。

僕はその手の書き込みに疎いので ひょっとすると消えないというよりも書いた人が消さない あるいは わすれてしまっているのかもしれないけれど。

しかし、過程はもとあれ、腹いせに 店員さんのことを名指しで書いたつもりが いつまでもネットには残っている。

書いた時は 店員さんのことを名指して書いて腹いせをはたしたぜ と思っていても 長い間 それが消えないと 逆に 書き手は、店員さんのことを名指しで書いた人 ということになって 書かれた人以上に不利益を被ることになるように思う。

八王源先生がよく「人のことを呪うときは 自分が入る穴も 掘っておいてからやれよ」とおっしゃっていた。

先生は職業が八百屋だったからそういう独特の言い回しをされていたけれど、ようするに「人を呪わば穴二つ」ということわざを念頭に語っておられたと思う。

でも 言いまわしが独特だから 心に残る。

先生のおっしゃるとおりだなあと折に触れしみじみと感じる。

■夏祭り
井上陽水さんの「夏まつり」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

聴いていただければ幸いです。

歌詞を見ればわかりますが この歌は 夏祭りの心象風景が描かれています。

夏祭りの夜店で買い物をしたり 綿菓子を食べたり 友達がみんな来ていたり。

そんな楽しいはずの夏祭り。

しかし、この歌はとても物悲しいのです。

それで、ネットでこの歌のギターコードを調べてみたら

最初の「10年は一昔」というくだりはEマイナーになっています。

つまり、ホ短調です。

短調で曲が書かれているのでもの悲しいのだと思います。

ホ短調の曲というと僕はブラームスの交響曲第4番を思い浮かべます。

そして、ブラームスの交響曲第4番の冒頭のメロディと 陽水さんの「夏まつり」のメロディを心の中で重ねてみると 少なくとも 哀愁が漂っているという点では共通点があるような気もします。

もちろん ドイツの哀愁と日本の哀愁では哀愁の質は異なると思いますが。

僕自身の夏祭りの心象風景を思い出してみても 例えば郡上踊りを友達と踊った時 楽しくもあり また過ぎゆく夏を惜しむようでもある そこにもの悲しさはあったように感じます。

もう夏もおわりの地蔵祭り(関西では地蔵盆ということが多かった)の時などは まだ 残っている宿題のことを思い出したり 残り少ない夏休みの日数を思ったりして やはり物悲しい気持ちになったような気がします。

夏だ 海だ ビーチパラソルだ というイメージもいいですが、こういう物悲しさのある歌もまたいいものだと思います。

中学生のころはこの歌の歌詞の中で 「自転車の後ろには 妹が 浴衣着てすましてる かわいいよ もらったおこづかい なくすなよ」というくだりが一番好きでした。

この歌の歌詞は井上陽水さんの故郷、福岡県の公園で石碑になっています。

陽水さんが自分の歌が石碑になったことをコンサートで紹介した時に 「みなさん なにしろ 石に刻まれてますから 雨が降っても 風が吹いても大丈夫です」という主旨のことを語っておられたと思います。

いかにも陽水さんらしい語り口だなと思いました。

↓福岡県にある「夏まつり」の歌碑です。



↓井上陽水さんの「夏まつり」をカラオケDAMの音源で歌いました。
ところどころ歌のバックに女性の声が聞こえますが近くで盛り上がっていた女子中高生の声だと思います。