ケンのブログ

日々の雑感や日記

密を避けるならコレ

2021年08月31日 | 日記
郊外の大型商業施設のウインドウにハロウィンのポスターが貼ってあった。

そういえば、今日は8月の末日だなと思う。

商業施設は季節を先取りだから、ハロウィンのポスターが出るのもうなずける。

あと2ヶ月すれば10月末、そしてそこから一週間もすれば次の年の年賀状の発売。

そう考えると早いなと思う。

気づけば夏の甲子園も智弁和歌山の優勝ということで幕を閉じていた。

最近は、私立高校の野球の強豪校のメンバーの出身中学をみると都会から越境入学している子も多く、以前のように各都道府県の代表が地域代表という意識は昔に比べると薄れてきていると思う。

それでもそういうこと関係なく考えると和歌山県って戦前 戦後を通じて一貫して高校野球は強い県だなと思う。

大阪に近いという地の利もあるのかもしれない。

なんと言っても大阪を中心とした関西は野球のレベルが高いので、、、。

それでも、戦前は海草中学と和歌山中学 戦後になって箕島高校、箕島が目立たなくなったと思ったら智弁和歌山と本当にずっと優勝校を出し続けているなと思う。

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井上陽水さんの少年時代という歌があって、これは僕にとっては8月には必ず聴きたい歌とういうことになっている。

歌詞に“”8月は夢花火 私の心は夏模様“”という一節があるから、、、。

予備校に勤めていた頃は、けっこう仕事が忙しくて、ずっと時がすぎるのを忘れていて8月31日になって慌ててCDを出してきて少年時代を聴いたという年が何年かあった。

今年はもう何度か聴いたけれどブログを書き終わったらもう一度8月の最後に聴こうかなと思ったりする。

愛知県の音楽フェスティバルでの密や飲酒が話題になっている。

密といえば、何日か前に中古車の販売店を脇見運転にならない程度にちらっと見た。

そうしたら、ちょっと大型の中古車に「密を避けるならコレ」という張り紙がしてあった。

そんな、アホな、大型の乗用車でも二人以上でのったらたちまち密やん と心のなかで突っ込む人はいても、実際に口に出して突っ込む人は岐阜では少ない。

大阪のように、ボケたら突っ込まな、という感覚で会話していたら、「密を避けるならコレ」というボケたまんまのキャッチコピーってなかなか出てこないような気がする。やはり、ちょっとした売り文句にも地域性というものは出るものだなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事ですごせますように、それを第一に願っていきたい。




スクールカースト

2021年08月31日 | 日記
8月30日付けの読売新聞の人生相談(人生案内)のコラムに17歳の女の子のこんな相談が載っている。

“”17歳の女子。声が小さく 口下手なのが悩みです。
中略
特に先生やスクールカーストの上位にいるような人と話すのが苦手です。
中略
私は国際社会で働きたいと思っているのです。コミュニケーション能力がなければやっていけないと思います。どうしたらコミュニケーションが得意になるでしょう。“”と。

『特に先生やスクールカーストの上位にいるような人と話すのが苦手』

スクルーカーストの上位。

すっかり忘れていた言葉だし、僕が高校生の頃はまだ、スクールカーストという言葉はなかった。

しかし、スクールカーストってどういう意味かなんとなくわかるなと思う。

そして、特にスクールカーストの上位にいるような人と話すのが苦手って、本当に高校生の頃特有の悩みだなと思う。

どちらかというと男より女の子のほうがこの悩みは多いかもしれない。下手なこと書くと森前首相のように、袋叩きにあってしまうかも知れないけれど、やはり、女性は男より口数が多いのが通例なので、、、。

でも、男のスクールカーストに関する悩みも女性のように顕在化しないだけで、潜在的にはあるものだと思う。

スクールカースト、、、曖昧な概念だ。

江戸時代の士農工商のようにはっきりと名称がついて別れているわけでもないし、、、。

ただ、僕が高校生の頃を振り返って言えば、スクールカーストの上位にいる子は成績がいい、容姿もそこそこ美男美女、成績がいいだけでなく部活も頑張っていて、学校行事などでもリーダー的にふるまえる、まあ、そんな要件を全てとは言えなくてもそこそこ満たしている子ということになるのではないだろうか。

そして、そのスクールカーストの上位にいる子にうまく取り入って、上位グループに入っている子もそこそこの人数いる、とまあ、僕が高校の頃、観察していた印象ではそんな感じだ。

不良グループの子もそこそこ成績が良かったりスポーツができたりすると、あの子、不良やけどなかなかやるやん という感じで妙にスクールカーストの上位にいたりした。

あと、成績もそれほどよくない、部活も、生物部などにとりあえず籍だけ置いているという子も、人間観察力が鋭かったりすると、みんなの相談役や悪口の聞き役になったりして、スクールカーストの上位に食い込むということもあった。

まあ、そんなメンバーでスクールカーストの上位は形成されていたように思う。

ただ、還暦近い僕の年齢になってしまうと、スクールカーストの上位に高校の頃いたということと、その後の人生で、いわゆるスクールカーストの上位的立場を保ち続けられるかどうかにはそれほど大きな相関関係はないとわかってくる。

むしろ場合によっては負の相関関係さえあるようにも思う。

これは僕がごく主観的に思う原因として、スクールカーストの上位にいる子は概して、人と張り合う傾向が強い、そして、人と張り合う傾向が強い人の人気はそれほど長続きしないということなのではないだろか。もちろん、ごく主観的な印象であるにすぎないけれど、、、。

何日か前に、僕がコンビニで〇〇坂46という集団の女の子たちの顔が写っているポスターと言うか登りをみてそれほど好印象を受けなかった理由も、あるいは〇〇坂46という子たちもスクールカースト的な位置づけをかなり意識している子たちだからかもしれない、、、。

それは、さておき、僕は高校の頃どちらかというと、スクールカーストということとは離れた立場にいる子のほうがむしろ好きだった。

具体的な例として、Hくんという子がいた。Hくんは黙々と勉強をするタイプで、成績はかなりよかったけれど、他に成績もいいけど楽器もうまいとか、そういう、とくに高校の同級生にアピールするような魅力がなく、スクールカーストというのとは全然関係ないポジションにいた。

でも、僕は高校の頃、黙々と、淡々と取り組むHくんにかなり好感をもっていた。

Hくんは東海地方では最も規模の大きい国立大学に進学した。

そして、気づくと、東大の数学の准教授になっていた。

それを知った時、いやあHくん東大の准教授になったんかと僕は思った。

東大卒でないのに、東大の准教授になるなんて、やはり自分が進学した大学でも黙々と取り組んだのだろうなと思った。なにしろHくんのことだから、、、。

そのHくん 東大で数学を教えているということで、僕が卒業した高校に、卒業生の一人として、講演をしにきたことがある。

僕と母は同じ高校の出身だから、母のところにも僕の高校の同窓会だよりが届く。

帰省した時、その同窓会だよりに載った、Hくんの講演の模様を写した写真を母に見せて「この子、高校の頃黙々と勉強する子やった」と僕が母に話すと母はその写真をじっくりと見た。

そして、言った「ホンマや、ズボンの前のところはちょっとズルっと下がってしまってるけど、ええ子やねえ」と。

その後、時々、Hくんのことをネットで検索しいたけれど、長らく東大の准教授のままだった。

一時は僕も、やはり、Hくんは黙々とやるけれど、ハッタリがきかないから、准教授止まりかと思っていた。

そして、今日、思い出してHくんを検索してみると、学習院大学理学部教授になっている。

なんだか、そういうこぢんまりしていて、そこそこ雰囲気のいい大学の先生って、Hくんにピッタリのポジションであるように僕には思える。

地味だけれどやっぱりすごいなと思う。

それはともかく、いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。









外食チェーン

2021年08月29日 | 日記
久しぶりに牛丼やカレーのチェーン店に入る。

タッチパネルでの注文が標準パターンになっている。

つまりカウンターのひとつのブースにつきひとつのタッチパネルがあるということだ。

(普段はこの外食チェーンにブースはないけれど、今は、コロナでアクリル板の仕切りがあるのでブースのような感じになっている

いやあ、この外食チェーンは確かに他の外食チェーンに比べると自動会計の導入率も高いけれど、注文はタッチパネルを前提にしているのは珍しいと思った。

操作できるか自信がなかったので店員のお姉さんに「紙のメニューありますか」と言ったら紙のメニューを持ってきてくださった。

ただ、ここのお店がタッチパネルの注文をメインにしている以上はできれば操作を覚えたいと思い、紙のメニューとタッチパネルを見比べながら操作したらタッチパネルで注文できた。

大阪の中核都市でもタッチパネルを導入している外食チェーンはそんなにないのに、岐阜の田舎町の店舗がなぜタッチパネルでの注文を導入しているか。

僕なりに思ったことは。

都会(大阪)の下町や衛星都市の外食チェーンのカウンターには結構、年配のお客が来る。

やはりタッチパネルは年配者には厳しい。

特に都市部の店舗はお客が多いから年寄がタッチパネルの操作に手間取るとたちまちお店が混乱してしまう。

それに対して、岐阜の郊外店では年配の客はほとんどいない、若者が多い、これがタッチパネルの導入が進んでいる理由だと思う。

しかし、今日は僕の先に来ていた、若い男の子が店を出ていくと、カウンターは僕一人になってしまった。

カウンターもアクリル板の仕切りで店員の子から僕の位置は死角になっている。

コロナによる緊急事態で、客も来そうにないし。

すると、店員の二人の女の子、しゃべる しゃべる しゃべる
何しゃべってるのかわからないけれど、仕事に関係ないこと話しているのはわかる。

店内の予め録音された音声では「食事以外ではマスクを着用し、会話は控えめに」と言っているのに、、、。

マニュアルどおりと言われるチェーン店でも、相対的に田舎はマニュアル違反ということは都会に比べると多いということが最近、経験則としてわかってきた。

先日、全国チェーンのレンタカーの店に自動車を返却する時、ガソリンを満タンにするのを忘れてしまった。

大阪なら、こういう時、店員の方の即断で、「それなら、ちょっと割高になりますがガソリン代はキロ計算でこれだけいただきます」と言われる。

客に考える暇を与えず、即断で料金を請求するのがコツだ。

レンタカーで働いたことはないけれど、いろいろ経験するとそれがコツだと客の立場でもわかる。

ところが岐阜のレンタカーの店員の方は
「すぐそばに、ガソリンスタンドがあるから、満タンにしてきてもらえんかね。そのほうが安くつくもんで、、」とおっしゃった。

まあね、同じ全国チェーンでも、客に、近くのスタンドで満タンにしてきてくださいと頼むところが田舎だなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。






もっちりした食感

2021年08月28日 | 日記
今日の天気図を見ると太平洋高気圧が張り出していて8月の長雨の原因になった前線は朝鮮半島のあたりまで北上している。

そのせいか暑さが戻ったと言うか残暑が厳しかった。

しかし、もう秋、夜になると秋の虫が盛んに鳴いている。

僕の実家は木造なので、鳴くだけでなくコオロギなどけっこう家に上がり込んでいることもある。

さすがにコオロギにキンチョールをかける気にもならずそのままにしている。

コオロギが家に上がり込んでいるのを見て思い出したことがある。

僕が子供の頃、今、板張りになっているキッチンはまだ土間で、かまどがあった。

その土間にカマドウマといういわゆるバッタの類で背中が馬のように茶色で、羽のはえていない虫がいる。

本当に後ろ足の筋肉が無茶苦茶、発達していてコオロギのように鳴くことはできないけれど、ジャンプ力はコオロギよりも一枚も 二枚もうわてだった。

そのカマドウマのことをウィキペディアで調べてみると、日本家屋では竈(かまど)のばにいることが多いのでカマドウマという という主旨のことが書かれていた。

なるほどそれでカマドウマか。

僕の家でも確かにかまどのある土間のあたりにたくさんいたなと思い出す。

そうすると土間のかまどのことまで思い出してしまう。記憶の連鎖だ。

土間に、かまどがあって、そのかまどでもち米を蒸して(蒸したのか、炊いたのかどちらか忘れてしまったけれど、かまどを使っていたことは覚えている)、おもちをついた。

当時、祖父が経営していたあんこの製造工場のおじさんがもちをついて、おばあちゃんがひっくり返して、つく、ひっくり返して つく ひっくり返して つく、そのタイミングが一歩間違うと、おばあちゃんはあたまを杵(きね)でどつかれて死んでしまう、と子供の頃思っていた。

タイミングがずれませんようにと子供心に祈っていた。

そのおばあちゃんがもちつきでおもちをひっくりかえすときの手つきはこねるような独特の手つきだった。

ある時、京都のリラクゼーションサロンで、僕はもみほぐしコースというコースをしてもらったことがある。

女性のセラピストの方に、「どちらかというと、上半身よりも、ベルトよりしたのラインを中心にもみほぐしてください」とお願いした。

それで、ベルトから下のラインを中心にもみほぐしてもらったのだけれど、僕のお尻をセラピストの方がもみほぐすときの手つきが、おばあちゃんがおもちをこねるときの手つきとそっくりだった。

ちょっと、そのことを、セラピストの方に言おうかどうか迷ったのだけれど、以前にその方は、京都生まれの 京都育ちのかたと聞いていたので、まあ、いってもいいやろうと思って、(なんで、京都の子にやったら言ってもええと思ったんかようわからんけど、、)その方に僕は言った。

「○○さんが、お尻をもみほぐすときの手つき、僕のおばあちゃんがおもちをこねるときにそっくりでした。まあ、僕は施術の最中は目を閉じているので、あくまで感覚的にそうやったということですけど」と。

まあ、ちょっと気を使って、あくまで感覚的なものという言い方をしたけれど、その話はけっこうセラピストの方に受けたようで、そこそこ笑ってくださった。

でも次にそのセラピストの方に施術してもらったときには、おしりは遠慮がちにもみほぐしておられたので、やっぱり おもちをこねる話はしなければよかったと後悔した。

そういえば、二週間くらいまえに入ったフランスパンの店にあったコッペパンのようなパンに手書きのポップが出ていて、そこには「もっちりした食感」とかいてあった。

「もっちり」ってどんなかんじやろう。まあ、そんなに真面目に考えることではないような気がするけれど、つい真面目に考えてしまう。

ということで、コオロギのはなしが、もっちりした感覚のはなしになってしまった。

それはともかく、いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。





いろいろと思うこと

2021年08月26日 | 日記
岐阜県が緊急事態宣言の対象地域になる。

具体的にどういうことになるのだろう。

そんなことを知りたかったら、岐阜の地方紙を買った。

普段は全国紙を読むし、地方紙もたまに読むけれど、長続きしない。

でも、こんなときは、地方紙は具体的な情報があっていいなとは思う。

具体的といっても本当に具体的なことは、緊急事態がふたをあけてみなければわからないけれど。

例えば(岐阜)県内感染連日382人 30代以下が7割占める と見出しに書いてある。

岐阜県内だけの統計だけれど、逆に範囲が絞られているから統計の信憑性は高い。

そうか30代以下が7割かと広い範囲の統計を漠然とみているよりも妙に納得できたりする。

統計数値ってそういう意味では不思議だなと思う。

統計数値とは少し違うけれど、ウイスキーのダブルを倍に薄めてシングルと同じ濃度にして飲んでも全部飲めば飲んだアルコールの総量はあくまでダブルの量だということは簡単にわかる。

やはり狭い範囲でものを考えればいいからわかりやすいのだと思う。

しかし、原発の汚染水を海水で薄めて、沖合に流すと風評被害は防げると言われると、ちょっと首をかしげつつも、まあ、そんなもんか と思ってしまうからそれも不思議だなと思う。

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〇〇市 託児付き接種会場設置 子育て世代のワクチン支援

という見出しも出ている。

まあ、こういう取り組みがあるから、岐阜県はワクチンの接種率が全国でも上位になるんだろうなと思う。

そういえば、何日か前に市役所にいったときに、駐車場がえらい混んでいたから、何事かと思ったら、役所の敷地内の建物でワクチンの接種をしていたのだと思う。

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はなしは変わって、、、

環境問題を考えておられる方の本を以前に読んでいたら、太陽光発電設備は、野山を切り崩して設置されるし、太陽光パネルからは熱で上昇気流が発生するし、決して環境にやさしいものではないということが書かれていた。

都会にいた頃はそんなものかと思っていた。

岐阜に来て、あちこちで太陽光パネルをみるとたしかに野山を削って設置されていることが多い。

太陽光パネルのマイナス要因として、景観をそこなう という表現がよくなされるけれど、景観を損なうことはほとんど環境をそこなうそいうことと同じ意味のように思えてくる。

道を自動車で走っていて気づくことは、僕がいま居る街と県庁所在地をつなぐ廃線になった超赤字路線の跡地に、知らぬ間に、太陽光パネルが並んでいる。

パネルの並びの蛇行のしかたが、かつてそこにあった線路の蛇行の仕方にそっくりだなとおもって見たら、線路の跡地にズラッと太陽光パネルが設置してあった。

それで太陽光パネルって、微妙に大人の腰よりちょっと高いくらいの位置まで台があってその台の上に設置されるから、線路(パネル)の脇の家の丁度、窓の下に太陽光パネルがくることになる。

あれではきっと太陽光パネルが窓の真下まできている家は夏は照り返しで相当暑いだろうなと思う。

そんなことも実際に田舎に来てみるとわかることだなと思う。

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線路の蛇行といって思い出したけれど、先日、国道とJR高山本線が並んで走っているところで蛇行する線路をゆっくりと特急列車が走っていた。

その、列車はゆっくりと走っているけれど、時速60キロで走っている自動車を微妙に追い抜いていく。

そうか、あの列車ゆっくり走っているように見えるけれど、それでも時速70キロくらいは出ているのかと思う。

都会で時速100キロ以上で走る電車を見慣れていると、トロトロ走っているように見える列車がそれでも時速70キロって、けっこう驚きだなと思う。

スピード感覚というのも、そういう意味では相対的なものだなと思う。

それはともかく、 いちにち いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。