ケンのブログ

日々の雑感や日記

コロナは続いて

2020年05月31日 | 日記
アメリカがWHO世界保健機関を脱退する意向であるというニュースが出ている。香港に対する関税などの優遇措置も撤廃する動きであると新聞には出ている。
もう一つトランプ大統領とsns(ツイッター)の会社との確執も話題になっている。

WHOからの脱退のニュースを見て、第二次世界大戦前に日本が国際連盟から脱退したことを思い出した。僕は歴史に詳しくないのだけれど、今回のアメリカとWHOとの確執も要するに特定の有力な国と世界機関の間でコンセンサスをとって物事を動かしていくことが限界に来ていることの現れであると思う。

背後には中国の影響力が指摘されている。

香港に対する関税の優遇措置の撤廃もようするに中国の香港にたいする介入の度合いがましてきてもはや香港に関税を優遇する理由が見出せなくなってきたということなのだと思う。

こういうコロナの禍が、世界の既存の秩序の崩壊と時を同じくしていることはとても象徴的なことであるように思える。

すでに始まっていた秩序の崩壊がコロナによってよりいっそう加速する。そんな姿を見る思いだ。

トランプ大統領とSNSの会社の確執のニュースを見たときには、田中角栄元首相がロッキード事件で放送記者から厳しい追求にあったときに「私も、郵政大臣のころには ずいぶん放送に関することも認可してきたつもりだけれど、今こうしてその放送に厳しい追求にあわねばならんのだからねえ」というような主旨の皮肉を言っていた事を思い出した。

ちょっとトランプさんのツイートが正確性を欠く、だか不適切性があるだかで、ツイッターの会社がフラッグを立てたのが両者の確執の発端だったと思う。「もう、そんなに俺のツイートにいちゃもんつけるなら、ツイッターの受けている法的保護も剥奪しようか」という話の流れであったと思う。

本当に政治と対立する、あるいは政治を牛耳るほど力をつけてきたIT企業の存在も産業構造の大きな変化の要因であってこういうコロナの時期と重なるというのもなんだか象徴的なことだなと思う。

これで映像授業の会社は一気に攻勢をかけそうな気配だけれど、それがはたしていいことなのか、僕ははなはだ疑問に思っている。

映像の授業を主流にしていては集中力にかける子が増えるというか、集中できない子が増えてくるような思いがして仕方がない。

どうぞなるようになりますにと祈るしかないのだけれど、、、。

竹内まりや 恋の嵐

2020年05月30日 | 音楽
竹内まりやさんの恋の嵐という歌の歌詞にこんな一節がある。

‘’友達でいたいけど
動き出したハートは
もうこのままとめられない
罪のはじまり‘’

この一節、みるたびに好きだなと思う。

まず、男がこういう歌詞を書くことってちょっと考えられない。女性ならではの歌詞ということ。

罪のはじまりと言っていながら歌全体を聴くと、なんだかためらいながらもその罪の方に行ってしまっているように思える。

こういう自己矛盾的な世界ってなんかいいなと思う。

当時のまりやさんのいたずらっぽい顔にこの詞がなんとなくマッチしているところがなお良いと思う。 

コード進行や和声の響きがどことなくビーチボーイズを思い起こさせたりするのもまりやさんの豊富な音楽体験を物語っているようで好きだなと思う。

あるていど賢くて、考え方に幅のある人でないと書けない歌詞であるように思う。

まりやさんの歌もユーミンや、中島みゆきほどではないけど 若い頃よく聴いたなと思う。

複雑な時代だからこそ大切にしたいこと

2020年05月29日 | 日記
新聞の国際欄を読んでいるとアメリカでコロナで亡くなったひとの数が10万人を超えこれはベトナム戦争そして朝鮮戦争で亡くなった人の数の合計よりまだ多いということが書いてあった。

そういうふうに数を比較対象して出されるとずいぶん大勢亡くなられたんだなあと思う。コロナって大変なことなんだなと。

ネットのニュースというかゴシップサイトのようなものをちょっと見ていたらコロナで在宅勤務になったのはいいけれど上司からラインで頻繁に連絡が来て返信が遅れるとサボっていると思われて気が気でない。おかげで仕事の能率は下がるし気持ちは落ち着かないしという状態になってしまったというようなことが書いてあった。

僕、何年か前にラインはやめたので最近そういうこと忘れていたけれどありがちな話だなと思う。

これだけいろんな連絡のツールがあるとひとによって得意のツール不得意のツールがあったりしてどのツールを選ぶかも考えたりしてしまうことがある。

いつかメールである方にメッセージを送ったらその方はどうもそれに気づくのが遅れたらしい。
あわてて電話をかけてこられて「メールのメッセージ読みました。それに関してはこういうことです」というようなことを話してこられた。

話を聞いているととても僕が送ったメールを落ち着いて読んでおられるとは思えず、さっと読んであわてて電話してきておられることがちょんばれという感じだった。

その場でそんなこというと角が立つのでその方の話をハイハイと聞いていた。

しかし、電話を切ったあとでその方の話をじっくり自分で吟味していみるとやはり電話で言っておられた内容があまりにも稚拙でちょっとその方に対する僕の信頼ががくっとおちてしまったことがある。

僕は、どんなコミュニケーションのツールが多様な時代になっても、最後は、愚直で正直、そして素直というのが結局一番強いし自分の身を助けるのではないかと思う。

例えば上司からの頻繁なラインに苦しめられるのなら、あえて愚直なタイミングで愚直な返信を繰り返すとか、困っていることを人事課に愚直に相談するとか、そういうことも考えられる。

そういうことに気づく人が少しでも多くなってくると、少しでも世の中が穏やかになるように思う。

オンラインでの学習

2020年05月28日 | 日記
コロナの流行でオンラインでの学習も流行している。これに関してネットの記事をさくっと見てみるとネットで学習する子の疲労度が高いという主旨の記事が出ていた。

保護者へのアンケート形式で疲労度を聞いている記事だったのでどの程度の信憑性のものなのかわからないけれど。そういうことは大いにあり得ると思う。

僕自身も根をつめてものを読みたいときはネットはだめということが自分の経験上わかっているのでそういう場合は紙の媒体でものを読むようにしている。

本当にネットの学習の健康への影響ということもしっかりとデータをとってガイドラインのようなものを作らないと健康を崩す子が増えてくるように思えてならない。

コロナの対策としてネット学習を推進したつもりがコロナで体調を崩す子よりもネットの学習で体調を崩した子のほうが多かったというような本末転倒の話にならないように注意したほうがいいような気がする。

機械を間にはさむと

2020年05月27日 | 日記
コンビニで買い物をしてレジで「214円です」と言われた。214円どのように出そうか考えているときにレジの人が「カード」と言った。カードって何かなあと身構えたらカードと言っただけだった。

そのことに気をとられたのか僕が出しだ金額は200円だった。「214円です」とレジの人は言った。あ、間違えたと思いながら不足分の14円を探しているとまたレジの人は「カード」と言った。一瞬、ムカっときてしまって「カードはいらん」と僕は言った。

普段は「カードはすべてなしでお願いします」というのだけれど、お金の計算をしているとき、そして不足分の計算をしているその瞬間を見計らったように二度までも「カード」と言われるとついムカっと来てしまう。

僕はたとえば748円と言われたときでも1250円出しておつりを502円もらうタイプなので、もしレジの人が何も考えずにお金を出すタイプの人だったら僕がなぜ怒ったかほとんど理解できないと思う。ただ、気の短いおっさんと思われている可能性が高い。それを考えると情けないことだなと思う。

しかし、せっかちにものを言ってくる人って、相手がおとなしいとみるとどんどんつけあがる傾向にあったりするのでちょっとムッと来たこともまあそれなりにおかげさまなのかもしれないけれど、やっぱり後味はよくない。


レジにカードを通したりポイントを見たりレジの人もレジという機械と人間の両方を相手にしなくてはいけないので、お客の様子を見て声をかけるという余裕がなくなってしまっている。
お客の方も、レジで袋は有料ですがとうしましょう、カードは ポイントは くじは といくらでも聞かれることがあるので、また余裕がなくなってしまっている。本当に機械の進歩で人間が楽になったのかしんどくなったのかわからなくなってくる。

衣料品店でTシャツを買って自動会計の機械を操作しているうちに店員の方はTシャツを紙袋に入れてしまっていた。僕はカバンが大きいので紙袋は資源の無駄になるのでいらないのに。

もう紙袋にテープまで丁寧にはってしまってあるので今さら紙袋はいらないと言えない。「ああ、言うのが遅かったか」とそれだけ僕がつぶやいたら店員の方は「よろしかったですか」と言った。店員の方も下手に詳しく聞いてヤブから蛇を出したくないのだ。「はい、大丈夫です」と僕は言った。僕も今さらヤブから蛇を出したくないし、、、。

まあ、お互いにヤブから蛇を出したくないという気持ちだけでも共有できればそれでよいのかもしれない。

本当に機械を間にはさむことで人間同士、客と店員の間のコミュニケーションができているのだろうかと心配になってくる。

まあ、すべてはなるようになっていくだろうけれど、、、。

どうぞ、よい方向になっていきますように。