ケンのブログ

日々の雑感や日記

若々しい中曽根元首相

2019年11月30日 | 日記
中曽根元首相がなくられたというニュースが昨日ネットに出ていた。それで今日の新聞を見ると元首相のいろんな思い出の写真が掲載されている。

写真には撮影した年が記載されているからそこから中曽根さんの生年の値を引くとその写真撮影当時の中曽根さんのおよその年齢がわかる。60代のとき、70代のとき、80代のとき、90代のときそれぞれの写真が新聞にはのっている。

どの写真も例えば世間並みの70代という感覚で比較すると若々しい。僕は最近60代後半から70代の人と接することが多くなったのでよりいっそうリアルにそれを感じる。

写真を見た印象として体も頭も両方使っている人の若々しさという印象を受ける。背筋がしっかり伸びていて体幹がしっかりしているように見える。90代のときの写真を見ても目が年取ってボケた人の目ではない。しっかりと意識を持っている人の顔という印象を受ける。

総理大臣までやって健康で長生きした人はやっぱり違うなと思う。やはり体と頭、両方使うことが必要なのではないかと思う。

中曽根さんは頭がはげるのは早くバーコードと言われていたけれど、それ以外は本当に若々しい方だったなと思う。背が高くてかっこいいし。何をかっこいいと思うかは好みの問題もあるけれど。

中曽根さんが総理大臣になったのも生年と総理就任の年号で引き算すると60さいをとうに超えてからだ。僕も毎日しっかりと生きていれば総理大臣は無理でも、なにか希望が持てるような気がしてきた。気力は失わないように毎日生活していきたいものだと思う。

11月29日

2019年11月29日 | 日記
ネットの記事に中曽根康弘元首相が亡くなられたと出ていた。もう一線から遠ざかられて久しいようにも思うけれど、亡くなられたと聞くとやはりがっくりとくるというか寂しいなと思う。ちょうど中曽根首相の在籍期間が僕の学生時代と重なっていたのでよりいっそうそう思うのだろう。本当にときが過ぎていくなと思う。

今日は朝かなり寒かった。なんだか本格的に冬になったなあと思った。冬は冬でまたいいものだなと思う。あまり寒いのはイヤだけど、、、。

昼過ぎになって日がてってきて結構熱くなってきたなと思った。それでスーパーの薬品売り場の人に暑いですねと挨拶したら、「そうですか」と素っ気ないご返事だった。それで夕方、今日の最高気温を気象情報でチェックしてみると12度だった。それは暑いですねと言ってもあまりピンときてもらえないはずだと思った。動くとすぐ暑くなる自分の体質のこと考えて物言わないと思った。

話は変わって、中村元さんが訳されたブッダの真理の言葉という本にはブッダの3つの言葉が並べて書いてある。その3つは諸行無常 一切皆苦 諸法非我である。
諸行無常 一切の形成されたものは無常である。
一切皆苦 一切の形成されたのもは苦しみである。
諸法非我 一切の事物は我ならざるものである。

そしてこの3つを明らかな智慧をもって観るときに人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道であると書いてある。

ブッダの言葉の中ではこの3つの言葉がとても大切であるように思う。それを明らかな智慧を持ってみるというのはできることでないかもしれないけれど、そういう一つの雛形としての教えがあることはありがたいことだなと思う。しんどいのがあたりまえというところに意識を置くことは大切な考え方であるように僕は思う。

なんとかわいい

2019年11月28日 | 日記
大阪の北のターミナルに行った。街を歩くとショーウインドウにはいろいろとカラフルなコートが飾ってある。クリスマスソングが流れる街。ツリーなどのイルミネーションも出ている。

服装に興味のある人だったら冬は本当にいろんなコーデを楽しめる時期かもしれないと思う。まあ、僕はショーウインドウを見ているだけで十分だけれど、、、。ショーウインドウを見て楽しむだけのことをだからウインドウショッピングと言うのかもしれない。

先日イオンに入っている帽子屋さんに行ってニットの帽子を見ていた。

僕は店員の方に声をかけられるのがあまり好きではない。自分一人で見ながら選ぶほうが好き。でもその時、声をかけてこられた店員さんはちょっとぽっちゃりした感じで僕にとっは、適当に生返事してあしらえそうなタイプの子だった。あまり、テンションの高そうな子だと僕はしんどくなるけれど、、。

そうしたら、その子は僕がちょっと帽子をかぶってみているうちに店内からいろいろ帽子をとことこ歩いて持ってきてくれた。まあ適当にかぶってみて生返事していたらいいやと思って、そのようにしていたら、どの帽子を僕がかぶっても似合うと言って褒めてくださる。「黒だから何にでも合わせやすいです」とか「その色もいいです」とか、いろいろ迷っていると「どんな服に合わせたいですか」などと言って。

「お姉さんなんでも似合う言ってくれはるから迷ってしまいます」と僕が言ったら「それならば2つ買うと10%割引になります」とおっしゃった。「いや、それはやめておきます」と僕はきっぱりと言った。その手は食うかと思いながら、、、。

それでまあこれかなと思うのをもう一度かぶって「でもこれちょっと暗くないですか」と僕が言ったら、その子はちょっと語尾をあげて「全然」と言った。それでなんか気分がよくなってその帽子を買ってしまった。

決して衝動買いではなく一つは買うと決めてはいたのだけれど。100円ショップで100円で買ったのがあまりにも頭に張り付いて顔が長く見えすぎてちょっとこれはと思ったので、、、。

それで会計をするときその子の顔を一瞬だけ正面から見たらなんとかわいい。自分が帽子に気を取られているときは単なるぽっちゃりの子だと思っていたのに。怖いなと思う。

昔の名前で出ています

2019年11月27日 | 日記
今日ラジオを聞いていたら小林旭の「昔の名前で出ています」がかかった。
京都にいるときゃ忍と呼ばれたの♪
神戸じゃ渚と名乗ったの♪

この歌、僕が中学のときヒットした。体育のK先生が「忍とよばれたの♪」と言うところを「忍とよばれてた〜♪」と歌詞を間違えたと言うか、多分故意に変えて歌って結構生徒に受けていた。K先生の持ちネタはその他に「もう緊張して胸がドキドキを超えてドキがムネムネするわ」と言うのもあった。これも特に女子によく受けていた。

さて、この曲が流れた直後にラジオにお便りが来た。(お便りと言っても今は電子メールだからラジオを聴きながらスマホでメールすればリアルタイムでラジオ局に届くのだと思う)。

そのお便りをパーソナリティが読み上げた。「おや、これはなんと岐阜のリスナーの方からのお便りです。『昔の名前で出ています。中学のときヒットしました。当時つきあっていた子が忍という名前でぺったんこにした学生カバンに忍命というステッカーを貼り付けていました。今、名古屋港の埠頭にいてこれからお弁当食べるとこです。』という土木作業員のかたからのお便りです」と。

これを聞いたときに僕はいや、これは懐かしい岐阜のノリだなあと思った。関西人はすぐに人に突っ込むからそんな彼女の名前のステッカーなんてカバンに貼っていたらいじり倒されてしまう可能性が高い。それを貼るというのが岐阜のノリだなあとしみじみと思った。

先日ある関西の方と話をしていたらその方はある話の流れで「ホテルに泊まります。いやビジネスホテルに泊まります。いえ違います、安い宿に泊まります」と泊まる場所を2回言い直した。

これって多分、ホテルに泊まると言うと「そんなお金使ってリッチやなあ」と突っ込まれる恐れがあるから泊まる場所をとっさに言い換えてどんどん格下げしたんだなと言うことは関西に長く住んでいるとそれとなくわかるようになってくる。本当に同じ日本でも地域が違えば言葉に対する考え方もずいぶん違うものだなあと思う。

※最近はビジネスホテルもピンキリで高いとこはそこそこするから会話にも気を使うなあ、、、。





理由なんか言うな 議論には参加するな

2019年11月26日 | 日記
となりのそのまたとなりの街の駅の改札を出たところにドラッグストアがある。僕はオロナミンCから始まって一般薬にいたるまで割とドラッグストアをよく利用する。

このストアを初めて利用したとき年配の薬剤師の方が僕にこのドラッグストアのカードを勧めてきた。僕はクレジットカードあるいはキャッシュレスの支払い機能のついたカードだと勘違いしたのかもしれない。現金が動かないお金の使い方は僕は嫌いなのでというようなことを言ってカードを作るのを断ったのだと思う。
(カードはいつも適当に理屈を言って断っているのでどんなふうにいって断ったか正確には忘れてしまったけれど、、、)

そうしたらこの一年間くらいその薬剤師のおばちゃんはちょっと僕の顔が機嫌良さそうだと何回でも「また、カード作ってください。うちのカードにはクレジット機能はありませんので」と言ってこられる。

もう三回目くらいにその言葉を聞いたときにはそのドラッグストアのお客様相談センターに電話しようかと思った。「御社の〇〇さん、何回断ってもカード勧めてこられます。違うドラッグストアに行こうにも御社のお店は駅の改札の正面ですから他店に行くと時間の無駄になってしまいます。はっきり言ってあんまり断る者に何度も勧めるのはハラスメントだと思います」という感じで、、、。

ドラッグストアのレシートには誰が何時に何を買って誰が会計をしたかも記録されているから、お客様センターに電話すれば今の時代その薬剤師に注意が行くことはかなり蓋然性(可能性)の高いことと思う。

しかし、、僕が電話したばっかりにあのおばちゃんが注意を受けると思うとそれもいやだなと考えた。おばちゃんには顔覚えられているしおばちゃんの恨みは案外怖いかもしれない。それに駅前の利用客の多い店で顔覚えてて何度も勧めてくるのはひょっとしたらおばちゃん僕のこと嫌いではないかもしれないし。などど考えてそういう電話は思いとどまってきた。

そうしたら先日また「ご近所の方でしたらぜひ、うちのカードを作ってください、クレジット機能ありませんから」とおっしゃってこられた。僕はもう忍びなくなって目を合わせずに「カードはいりません」と言った。本当に張り倒してやろうかという気持ちにもなってくる。おばちゃんしつこいんやと。

そこで僕はあることをしみじみと思い出した。2ちゃんねるの創設者でインターネットのカリスマ的な存在ともいえるひろゆきさんという人のことだ。ひろゆきさんはその著書のある文脈の中で断るときは理由なんか言うな、理由を言うと相手はその理由をクリアした条件でまた誘ってくるから余計に相手の思うツボになる。理由なんか言うからいけない。ただ無理ですと言って断るべきと。

僕、今のようにシステム化されてしまった時代にはこれ、とても大切な考え方だなと思う。僕もクレジット機能などどいう理由で断ったからそれを盾に「クレジット機能ありません」と言って何度もカードを勧めてこられる。本当にひろゆきさんの言うとおり理由なんて言わなけりゃよかったと思った。

ひろゆきさんのこの明快な論理を読んでいると今どき角を立てずにやんわりと断る方法などという処世術がアホらしく思えてくる。無理です、で角が立つなら無理ですごめんなさい。無理です申し訳ありません。と理由の代わりにお詫びの言葉を添えることで角はいくらか丸くなる。あるいはとってつけたような理屈よりもその方が角が少なかもと思いさえする。

それにカードなんてない時代ならそんなに執拗にお店の人が客に何かを押し付けるということはかったと思う。もうお店の売上よりもカード何人入会させたかという営業成績の方が気になってつい何度も勧めてしまう可能性は十分にある。

個人商店だったら客にしつこくして嫌われて売り上げが落ちるとイヤだからそんなに何度も誘わないと思う。経済が下向きで個人商店はなかなか成り立たない。お店はどんどん経営統合して大資本の傘下で働く人の割合が多くなったからこういう問題が起きてくるとも言えるし。

さて白鵬が優勝したらまたカチ上げは横綱としてふさわしくないとかそんな議論がネットに出ている。昔の横綱はそんなんではなかったと。言っている人って昔の相撲と今の相撲を本当に詳細に見比べた上で言っているんだろうかと思ってしまう。

ここでもひとつひろゆきさんの書いていることを思い出した。ネット上の世間話は参加するだけ時間の無駄。と。まあ、ひろゆきさんに言われてみるとそのとおりだなと思う。でも、お互いに議論して叩き合っている時代というのもちょっと悲しいような気はするけれど、、、。

本当に白鵬の取り口がどうとか、昔は相撲の好きなもの同士が酒場とかそういうところで世間話として議論するものだったと思う。

それがネットの時代になってもっと広い範囲に議論が拡散されてしまって。でもそういう時代だから相撲協会もそれを黙認して議論させて相撲人気を維持しようとする側面もきっとあるんだろうなと思ったりもする。もちろんあまちえげつないカチ上げはしないほうがいいとは思うのだけれど、、、。