ケンのブログ

日々の雑感や日記

あのー が多い人は実は話し上手

2021年12月21日 | 中ノ島観音
新聞に出ていた本の見出しに
「えっと」とか「あのー」が多い人は実は話し上手とかいてありました。

きっと、「えっと」や「あのー」が多い人はしっかり考えて慎重に話すタイプの人が多いからではないかと思います。

単に口数が多いよりも、ぽつぽつと話す、少ない言葉が、信頼を得るもとになることが多いと思います。

明日は冬至ですね。

今日は暖かかったようにも思いますが、日が落ちたら急に冷え込んできたと感じます。

いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたいです。


季節に色どりを

2021年12月20日 | 中ノ島観音
この詩は、クリスマスの季節によく歌われる「ザクリスマスソング」という歌の歌詞を日本語に直したものです。

“”栗の実を暖炉の上で焼いている。
霜の妖精は君の鼻をくすぐる。
聖歌隊はクリスマスキャロルを歌う。
人々はエスキモーのように着飾る。

みんな知ってる。七面鳥とヤドリギはクリスマスの季節を
明るくしてくれるとね。
小さな子供たちは、目を輝かせ
今夜は眠れそうもない。

みんな知ってる、サンタがやってくるところだと。
サンタがたくさんのおもちゃと美味しいものをそりに乗せているとね。
そして、お母さんと子供はスパイに行くのさ。
トナカイは本当に飛び方を知っているのかとね。

そして、僕は一歳の子供から九十二歳のお年寄りにまで
このシンプルな言葉を贈ろう。
それが、何度も、そしていろんな方法で語られた言葉であってもね。
「あなたにメリークリスマス」“”

この詩にあるように、クリスマスなど季節に応じて、いろいろ飾りつけを楽しんだり、音楽を楽しんだり、食事を楽しんだりすることは大切なことではないでしょうか。

そういうことが、暮らしにちょっとした色どりや、楽しみをもたらしてくれると思います。

今の季節ならゆずの香りを楽しんでみるとか。

僕はクリスマスソングの歌詞の中で、お母さんと子供が、トナカイは本当に空を飛べるのかスパイに行くというところがとても好きです。

スパイに行く つまり こっそりと見に行く というところに夢とユーモアと冒険する心があるようで好きです。

お母さんも時には子供のような気持ちになる、子供と同じ目線に立ってみる。それは とても大切なことだと思います。


正しい心で

2021年12月19日 | 中ノ島観音
“”憎む人が憎む人に対し、うらむ人がうらむ人に対してどのようなことをしようとも
よこしまなことを目指している心はそれよりもひどいことをする。

母も父も、そのほかの親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられた
心がしてくれる。“”
※岩波文庫 ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 より引用

自分のことをうらんでいる人が自分に対してしてくる仕打ちよりも、よこしまな自分の心は
自分にもっとひどいことをする。

自分に対して正しい心を向けていれば、その正しい心は親よりも親戚の人よりもさらに優れたことを自分に対してしてくれる。

とブッダは言っています。

よこしまな心をもって、腹いせに火でもつけてやろうと思って、その通りにしてしまうと、本当にこの世でも、あの世でも
取り返しのつかないことになってしまいそうです。

確かに、よこしまな自分の心はどんな敵よりも自分に対してひどいことをするなと思います。

つらいけれど、ここは辛抱しよう、忍耐で乗り切ろう、と考えて進んでいくと、確かに父は母のどんな言葉や励ましよりも
それが自分のためになる。

そう考えると実にブッダの言葉の通りだと言えるのではないでしょうか。

他人を評価したり、外に向かって正論を言う人はいくらでもいますが、自分に対して正しい心を向ける、
そういう人のなんと少ないことかと思います。

そのことを毎日、自分に顧みながら過ごしたいものだと思います。



信じて行なう

2021年12月18日 | 中ノ島観音
律法によっては罪の自覚が生じるのみである。
新約聖書ローマ人への手紙3章20節
人が義とされるのは律法の行いによるのではなく信仰によるのである。
新約聖書ローマ人への手紙3章28節

※ローマ人への手紙にはパウロの言葉が書かれています。

日本語ではキリスト教の律法は律法と訳しますが英語ではlawつまり法律です。

法律、つまり決まりごとのことです。

キリスト教文化圏はたとえばモーセの十戒などキリスト教やユダヤ教の決まりがそのまま今でも法律として生きていることが多いので、律法も法律も等しくlawと言いますが、日本はそのような歴史文化的背景がないので法律と律法というように言葉を使い分けていると思われます。

さて、今日の全国紙に50代の女性からこんな主旨の相談があります。

“”30代の娘は大学を出で数年は一人暮らしをしていたけれど、仕事にやりがいがみつからなくて実家に戻ってきた。

いろいろ努力しているが、今は娘に収入はない。

娘も30代であせりを感じているようだが社会に出ることを怖がっているようにも
感じられる。

私もこのまま私たち夫婦の年金で娘を養うことになるかもしれないと思う。

娘がこうなったのは私たちの育て方のせいだと言われることもありつらい。“”と。

本当に、今の時代、身につまされる相談だなと思う。

このようになったのは私たちの育て方のせいだと言われるとつらい、と相談の最後に書いてあるので一番相談者がつらいのはあるいはこの点なのだと思う。

娘は、何としてでも養うくらいの覚悟はある、でも、こうなったのは育て方のせいだと言われることもありそれがつらいと。

この つらさって今を生きる人ならある程度、だれでも想像がつくのではないだろうか。

しかし、こういう場合に育て方のことを人から言われたり、それがつらいと感じるのも、一般に、子育てとは子供の自立を確立するものという一般認識 つまり律法があるからだと思う。

パウロは言っている「律法によっては罪の意識が生じるだけだ」と。(このブログ記事の冒頭の引用を参照してください)

本当に、こういう問題に即して考えてみても実にパウロの言うとおりだな思う。

子育ては子供の自立が終わって成功 そういう律法のためにつらい思いをすることになってしまう。

そしてパウロは「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく信仰による」と言っている。(このブログ記事の冒頭参照)

律法、つまり、決まり通りに行うことで義とされるのではなく信仰によって義とされる。

本当にそうだなと思う。

決まり通りに、子供の自立を促すことだけが教育と思い込んでいたら、子供が自立できなかった時に、自分の育て方が悪いと自分を責めることになってしまう。

では、どうすればいいのか。

それは、具体的にその場合に即して考えるしかないけれど、大きな目に見えない力を信じて、それぞれの状況に応じて精一杯進むしかない。

決まりからはずれたから、失敗と決めつけてはいけないと思う。

八王源先生は
「昔の信仰は 信じて仰ぐ(あおぐ)。そんな、仰いでおっても何にもなりません。これからの信仰は 進行、つまり信じて行なう。みなさん信じて行なうようにしましょう」と常々おっしゃっていた。

そうでありたいなと思う。

また、逆に私たちの周りを見回すと、決まりを振りかざして「それって、決まりでしょ?
決まりを守らなきゃダメじゃない」とやたら決まりを振りかざしてくる人って案外、うっとおしがられていることも多いのではないだろうか。

「律法によっては罪の自覚が生じるのみ」
パウロの言葉は奥が深くて普遍性も高いなと思う。

うらまないことで うらみに打ち勝つ

2021年12月18日 | 中ノ島観音
“”「彼は私を罵った、彼は私を害した。彼は私に打ち勝った。彼は私から強奪した」という思いを抱く人には
うらみはついにやむことがない。

「彼は私を罵った、彼は私を害した。彼は私に打ち勝った。彼は私から強奪した」という思いを抱かない人には
ついにうらみがやむ。

実にこの世においては、うらみに報いるにうらみをもってしたならば、ついにうらみはやむことがない。

うらみをすててこそやむ。これは永遠の真理である。“”
ブッダ真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫より

うらまないことによってうらみがやむとブッダは言っています。

あまりにもあたりまえで、あまりにもシンプルなことをブッダは言っています。

あまりにもあたりまえであまりにもシンプル。これはブッダの考え方のおおきな特色の一つです。

うらみだけではないと思います。

怒らないことによって怒りがやむ

これもうらみと全く同じことです。

アンガーマネッジメントという言葉が最近ははやりです。

しかし、どんなメソッドが生まれても、怒らないことで怒りがやむというのは変わることのない真理です。

ならば、怒らないことで怒りがやむ というこの言葉こそをアンガーマネッジメントに使えばいいと思います。

怒りたくなった時、また、怒ってしまったとき

「怒らないことによって怒りがやむ」、こう考えればいいのではないでしょうか。

手を繰り返し執拗に洗ってしまったり、何度も確認してしまったり、
そういう 強迫性の行動をしないようにするには やはりそのような行動をしないことにつきる
という理論もあります。

強迫行動をしないと最初は、不安になりますが、その不安を我慢していると、時間の経過とともに必ず不安は下がる
ということが証明されているそうです。

だから、強迫行動をしないことによって強迫行動にうちかつ。

うらみや 怒りについても うらまないこと 怒らないことでそれにうちかつ。

そういう 当たり前すぎて、実は忘れてしまっていることを私たちは折に触れて思い返してみるべきだと思います。