3月29日 名古屋フィルハーモニー交響楽団第95回名曲シリーズを聴きに行った。
指揮は川瀬賢太郎さん
最初に
外山雄三 交響曲「名古屋」が演奏された。
最初、音が鳴り始めたとき雅楽のイメージと思った。
それも単独の楽器で雅楽のイメージを形成しているわけではなく弦楽器 打楽器 管楽器 つまりオーケストラ全体を駆使して雅楽のイメージを作り出している趣だった。
なんで交響曲名古屋が雅楽なの 名古屋のどこが雅楽なのだろうとしばらく思った。
そして熱田神宮を連想するのにそれほど時間はかからなかった。そうや、熱田神宮やと思った。
確かに日本を代表するお宮のひとつ熱田神宮はふだん意識していなくても名古屋の自慢の一つだ。
あるいは、きしめんやみそかつよりも自慢の材料になるかもしれない。
そうか 名古屋か 熱田神宮か と思った。
演奏もスーッと行く感じで 「名古屋フィルが交響曲名古屋をうまく演奏できなくてどうするんや」 という気概が伝わってくるような感じだった。
そうか外山雄三さんも結構名古屋にゆかりの人なんだなと思った。
そして、20代の頃知り合いのおじさんに名古屋の中心部にあるホテルの和食どころに連れて行ってもらったら、そこに作曲者の外山雄三さんが数人で食事をしておられたけれど 静かで気取った感じがぜんぜんなくて普通のおじさんという感じだったことを思い出した。
連れてきてくれたおじさんは音楽と言ってもせいぜい「想い出のサンフランシスコ」をカラオケでやっと歌えるという感じのそれほど音楽には興味のない方だった。
そのおじさんに「あそこにいるひと外山雄三さんと言って日本を代表する指揮者で作曲家ですよ」と小声で言ったらそのおじさんは「そう?ごく普通の人と言う感じだねえ。とてもそんな有名な人には見えない。加山雄三ではないよね」と言ったので「はい 外山雄三さんです」と答えたことをしみじみと思い出した。
さて音楽は雅楽のような感じがかなり長く続いたけれどそれから昭和の怪獣映画のような場面 そのほかいろいろな場面があった。
家に帰ってきてコンサートのプログラムの楽曲解説を読むと第一楽章のところに熱田神宮という文字が出ていたのでやはりそうだったかと自分の連想が間違っていなかったことに大いなる自己満足を得ることができた。
第二楽章で弦楽器が刻むリズムがビゼーのカルメン第二組曲のハバネラにそっくりと思う場面があった。
家に帰ってきて復習のために交響曲名古屋のニコニコ動画を見ていたらその場面に「レスピーギのローマ三部作に雰囲気がそっくり」という字幕が出てきた。
やはりニコニコ動画まで見るほど好きな人が思うことは似たり寄ったりだなと思った。
カルメン組曲もローマ三部作も要するにラテンの民族性に大きく依拠した音楽と思うので、、、。
どの楽章かもう忘れたけれど フルートがかなり長い時間ソロ的に活躍する場面があった、そこを聴いていると日本の横笛のような音だなと思う場面あり、尺八のようだと思う場面あり、西洋音楽のフルートのようだと思う場面あり、本当にフルートひとつでいろいろと音色があるし、それを楽譜に書いてしまう外山雄三さんはやはり普通のおじさんのような雰囲気でも中身はすごいと思った。演奏していた方もすごいと思ったけれど、、、。
これもどの楽章か記憶に自信がないけれどたぶん第四楽章だと思う。
弦楽器がリズムの核になる音形を執拗にそして正確に そしてかなり気迫に満ちて刻んでいる場面があった。
どの楽器だろうと思って目を凝らしたけれどそれがビオラだと気づくのにしばらく時間がかかった。
ビオラは僕の席からだと楽器の背がもろに向いているので音を聴き分けるのが苦手な僕にとっては発見するのに時間がかかってしまう。
でもあのときはビオラ気合が入っているな そしていい感じ すごいと思った。
本当に名古屋フィルが交響曲名古屋を素敵に演奏してくれてよかった。
外山雄三さんもどこかで喜んでおられるような気がする。
次に山本直純 児童合唱と管弦楽のための組曲「えんそく」
が演奏された。
僕は例えばベートーヴェンの第九などを聞いても合唱団よりもオーケストラの方を見ていることが多い。
けれど演奏が始まって子供の声を聴いた時 やっぱり子供は吸収力が違う ととっさに思ってその声に引き込まれてしまったのでほとんど合唱団のほうを見ていた。
本当に子供は違うなと思った。
芹沢光治良さんの「人間の運命」という小説に主人公の次郎が大学時代に子供のころから音楽を聴いている友人と一緒にベートーヴェンを聴き、その友人から「音楽には子供のころから聴いてないと聴こえない音がある」という主旨のことを言われる場面がある。主人公の次郎は貧乏で子供のころは音楽どころではなかった、けれど次郎はあっさりとそれを認め「ならば音楽の心は誰よりもわかる人間になってやろう」という主旨のことを思う場面がある。
子供の抜けるような声を聴いていてそのことを思い出した。
そして昭和40年代に小学生時代を過ごした僕は演奏を聴きながら当時は児童合唱の声で林光さんの「僕らの街はかわっぷち」南安雄さんの「歌はともだち」などがテレビで日常的に流れていたことを思い出した。
演奏されている音楽の雰囲気はそれらの音楽と僕にとっては同じものだった。
いい時代だったなと思う。
名古屋ローカルでも「どえりゃーうみゃーでいかんわ お湯で3分ぬくとめるだけ ハヤシもあるでよお」とラジオでオリエンタルスナックカレーのコマーシャルが繰り返しながれていたり、本当にいい時代だったなと演奏を聴きながらそんな思いにふけっていた。
当時の大須ういろのコマーシャルソングなんて今でも何も見ないで歌えるし、、、。
本当にいい時代だった。
もちろん直純さんの森永エールチョコレートも今でも暗記してます
「大きいことはいいことだ 大きいことはいいことだ 森永エールチョコレート おいしく食べて おいしく食べて 50円とはいいことだ 50円! 森永エールチョコレート」※おいしく食べては 大きく食べてだったかもしれない。
さて、20分の休憩をはさんで次にシベリウスの交響曲第一番が演奏された。
数年前に秋山和慶さん指揮の日本センチュリー交響楽団でこの曲の演奏を聴きそれが秋山さんを聴いた最後だったのでそのことにも思いを馳せた。
本当にオーソドックスと言うかいつでも安心して聴ける指揮者だったなと思う。
さてこの日の演奏は第一楽章導入のところでクラリネットの旋律がとても存在感のあるものに聴こえた。
僕は家でCDラジカセで音楽を聴いている。こういうクラリネットのソロ的な響きはCDラジカセではなかなか味わうことができず交響曲第一番の冒頭と言えばクラリネットの旋律の後に出てくる弦楽器と管楽器の雄大な楽想が始まりだと思っていた。
生演奏を聴くことで音楽の印象がコロッとかわることがあるけれどこの日のコンサートも僕にとってはそのいい例だった。
そうか交響曲第一番はこういうふうに始まるんか と初めてわかった気がした。
そういえば3月の定期演奏会 確かガーシュインの曲だったと思うけれど音楽の冒頭で実質クラリネットの方が演奏のイニシアチブをとっておられるような場面があったなとそのことも思い出した。
さてそれから木管と金管のコンビネーションもうまくいっているように思えた。
イメージとしては木管が鳥のさえずりなど自然の具体的な営み そして 金管はその営みの背景の光とかそういうものかなと演奏を聴きながら勝手に心の中で勝手に思っていた。
演奏は3月の定期演奏会のマーラーと同様演奏の場面場面でいろいろテンポを動かしたり切り替えの豊富なものだったように思う。
演奏会から日数もたって何楽章とか言うのはもう忘れたけれど 全体を通してテンポをぐっと落とす場面が何度かあったのが妙に記憶に残っている。
ただ 僕の記憶の中ではそれらのテンポのおそい場面はそこからだんだん加速してクライマックスを作っていく起点のようなイメージがある。
テンポのおそい場面でたとえば交響詩フィンランディアの中で讃美歌「やすかれわが心よ」に引用されているメロディーに典型的にみられるようなシベリウス特有のしみじみとした情感、安堵感が味わえたかと言うと 必ずしも僕の記憶の中ではそうなっていない。
記憶力がなくて忘れてしまった可能性も大きいけれど テンポのおそい場面でのしみじみとした情感がずっと記憶に残るような演奏であれば少なくとも僕にとっては一層よかったなと思う。
スケルツォなど弦楽器が細かい音を刻んでいく場面では、弦楽器がぐっと前にせり出してくる感じで聴いていて、そして見ていてスリリングだった。
それはそれでよかったのだけれど 木管などが僕の席からだと割と正面に見えるのでどうしてもそこに注意が行ってしまう。
そういう観点から見ると弦が細かい音を刻みながらその音に乗って管楽器がやはり細かい音を奏でていくような場面では、もう少し弦の音が抑え気味そしてかつスリリングであればもっと木管の音も浮き上がってきて全体としてよりスリリングなのにと思う場面も少しだけれどあった。
ただ、こういうことはホールの僕の席における音響そして眺めと言うこともあるので一概に言えることではないけれど、、、。
あとこれも演奏会から日数が経過してどの楽章とかは忘れてしまったけれど演奏の随所にピリオド奏法の時などによくみられるようにスッと力を抜くように弦楽器の音が小さくなる場面があった。
そこは聴いていてはっと思ったことは印象に残っている。
プログラムの楽曲解説に「やがて曲は終盤に向けて大きなうねりを形成し焦燥感と悲壮感を漂わせながら劇的に高揚していく」と書いてある場面での盛り上がりもよかった。
こういうところは名古屋フィルはすごいなとしばしば思う。
秋山さんの演奏の記憶と比較して安定感と言う意味では秋山さんと思うけれど秋山さんにないスリリングさがあってとてもよかった。
演奏が終わった後ビオラの前で弾いている二人が抱き合っておられた。
そんなビオラが困難な場面って演奏にあっただろうか ちょっとビオラは楽器が背中を向く位置だったので見逃したかなと思った。
家に帰ってきてプログラムを見るとビオラの前で弾いておられた方がこの演奏会を最後に退団される主旨のことが書いてあったので、ああ たぶんそれだなと思った。
さびしいことだなと思う。できれば今いるメンバーの方にはやめてほしくないのだけれど、これだけは人それぞれの人生行路だからやむを得ないなと思う。
本当に今の時期は年度替わりなんだなと思う。
それはともかくいちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。