ケンのブログ

日々の雑感や日記

思い出すこと

2017年12月31日 | 日記
僕が定期講読している新聞にことしなくなった方のお名前の一人に
元阪急ブレーブスの監督上田利治さんのことが出ていた。
生前のエピソードとして1978年の日本シリーズで一時間以上抗議したことが
あげられていた。
あの試合僕はテレビにかじりついて見ていた。
ヤクルトと阪急の対決。
ヤクルト大杉選手の打った打球はポールぎりぎりでレフトスタンドに飛び込んだ。
審判はホームランと判定。
それに、阪急の上田監督がファウルではないかと抗議した。
抗議は長引いていつまでたっても試合が始まらない。
レフトスタンドのポール際で上田監督と審判が延々と話続けている。
テレビのアナウンサも解説者も抗議の内容まではさすがに
聞こえないから、憶測でいろいろ話したり付帯して進んでいる
事柄を視聴者に伝えていたけれど僕は正直
早く試合を再開してくれよと思っていた。
テレビの前で抗議の様子を延々と見ていても
ちっとも面白くない。
ようやく上田監督もいろいろとえらいひとに説得されて
抗議をあきらめ試合が再開した。
しびれたのは大杉選手の次の打席。
大杉選手の放った打球は今度はどこからどうみても
文句のつけようのないレフトスタンドのど真ん中に飛び込んだ。
当時、僕はヤクルトを応援していたのか阪急を応援していたのか覚えていないけれど
大杉選手が今度はどこからどうみても文句の出ようのないホームランを
打ったときにはなんだか胸がすっとしたしとても感動した。
大杉選手は男だと思った。
テレビで見て一番感動したのはあの大杉選手のホムランだったと思う。
それに近い時代では長島選手が引退試合で中日の投手から
ホームランを打ったけれどあのときはもう中日の優勝も決まっていたし
長島選手の引退試合だからという思いがどこかにあった。
王選手の七百五十六ごうホームランはリアルタイムの放送は
見逃してしまった。
その大杉選手も若くしてなくなったし上田監督ももうなくなられた。
懐かしい人がこの世を去っていくなあと思う。

あれこれと思うこと

2017年12月30日 | 日記
今日も隣町のN神社に行った。
昨日すでに新しいしめ縄の飾りつけは終わっていたのだけれど
今日はさらに細かい部分の飾りつけが施されていた。
地元からお宮に寄付をした方のお札、地元のお肉屋さんが神社に寄付した
提灯、十日恵比寿の服娘のポスター、その他各種掲示板などが
用意されていた。
九日と十日にお宮にいけば服娘のお授けが受けれれるとポスタに書いてあった。
昨日は僕の他に参拝者はいなかったけれど今日は
僕以外にも3、4人の参拝者がいた。
あるお父さんが恵比寿さんのお堂の前で
「商売が繁盛しますようにとお祈りするんだよ」と小さい息子さんに教えておられた。
僕はあまりお宮の神職の方と親しくお話しすることはないけれど
社勤所あたりを何度も見ているとだいたいここの神職さんの家族は
こんな感じだなというイメージが心のなかに形成されてくる。
中山みきさんの言葉に
おやこでも、ふうふのなかもきょうだいも
みなめいめいにこころちがうで
という言葉があってそれはその通りで
おやこでも兄弟でも人格は別ということだし
新聞の人生相談などでも親子の揉め事を相談しているかたは多い。
しかし、他方で家族という単位でもそれぞれの個性があるのも事実。
僕の町のM神宮宮司さんのご家族よりもなんとなくN神社の神職さんの
ご家族の方がやや庶民的という感じがする。
ただそう感じたというだけのはなしだけれど、、、。
僕の町に帰ってくるとある地方銀行にミカンとしめ縄がセットで飾られていた。
ごくあたりまえの飾りつけなのだけれど、神社で
しめ縄とうらしろだけのシンプルな飾りつけを見たあとで
ミカンつきの飾りつけをみるとなんだかこってりてんこもりという
感じがするから、ヒトの感覚はあてにならない面もあるなと思う。
自分が過去に見たもので現在みるものの印象が変わってきてしまう。
逆にいえば過去に何を見たかで現在の印象が変わってくるわけだから
なるべくいいのもをそのときそのときで見ていくことが大切なのかもしれない。
また、同じものを見ても気持ちの持ち方できっと見えかたも違ってくるのだろうと思う。
話は変わって。
ネットのニュースは過去に僕が検索したものによって
カスタマイズされるようなのだか
やはり僕の場合相撲、それに音楽関係のニュースが表示されることが多い。
白鵬に関してかかれた記事をみるとほんとうに気の毒になるほど
ぼろかすに書かれている。
大鵬の32回の優勝を8回も上回って40回目の優勝を果たした白鵬。
高度成長期のようないい時代だったら40回優勝記念の
雑誌の増刊号などが発売されてもおかしくない記録だと思う。
一年六場所全部優勝しても7年近くかかる記録。
並大抵のことでは達成できない前人未踏の記録だと思う。
でも、雑誌も記念の増刊号を出すよりも白鵬をぼろかす書いて
ネットでさわりの部分だけを見せておいた方が今時は発行部数が伸びるのかも知れない。
白鵬もこうしていろいろかかれてよくやっていると思う。
きっと第三者にはわからない部分で本人が辛抱していることも多いのだろうと思う。
僕が白鵬ファンだからそういう気持ちになるのかもしれないけれど。





あれこれと思うこと

2017年12月30日 | 日記
今日も隣町のN神社に行った。
昨日すでに新しいしめ縄の飾りつけは終わっていたのだけれど
今日はさらに細かい部分の飾りつけが施されていた。
地元からお宮に寄付をした方のお札、地元のお肉屋さんが神社に寄付した
提灯、十日恵比寿の服娘のポスター、その他各種掲示板などが
用意されていた。
九日と十日にお宮にいけば服娘のお授けが受けれれるとポスタに書いてあった。
昨日は僕の他に参拝者はいなかったけれど今日は
僕以外にも3、4人の参拝者がいた。
あるお父さんが恵比寿さんのお堂の前で
「商売が繁盛しますようにとお祈りするんだよ」と小さい息子さんに教えておられた。
僕はあまりお宮の神職の方と親しくお話しすることはないけれど
社勤所あたりを何度も見ているとだいたいここの神職さんの家族は
こんな感じだなというイメージが心のなかに形成されてくる。
中山みきさんの言葉に
おやこでも、ふうふのなかもきょうだいも
みなめいめいにこころちがうで
という言葉があってそれはその通りで
おやこでも兄弟でも人格は別ということだし
新聞の人生相談などでも親子の揉め事を相談しているかたは多い。
しかし、他方で家族という単位でもそれぞれの個性があるのも事実。
僕の町のM神宮宮司さんのご家族よりもなんとなくN神社の神職さんの
ご家族の方がやや庶民的という感じがする。
ただそう感じたというだけのはなしだけれど、、、。
僕の町に帰ってくるとある地方銀行にミカンとしめ縄がセットで飾られていた。
ごくあたりまえの飾りつけなのだけれど、神社で
しめ縄とうらしろだけのシンプルな飾りつけを見たあとで
ミカンつきの飾りつけをみるとなんだかこってりてんこもりという
感じがするから、ヒトの感覚はあてにならない面もあるなと思う。
自分が過去に見たもので現在みるものの印象が変わってきてしまう。
逆にいえば過去に何を見たかで現在の印象が変わってくるわけだから
なるべくいいのもをそのときそのときで見ていくことが大切なのかもしれない。
また、同じものを見ても気持ちの持ち方できっと見えかたも違ってくるのだろうと思う。
話は変わって。
ネットのニュースは過去に僕が検索したものによって
カスタマイズされるようなのだか
やはり僕の場合相撲、それに音楽関係のニュースが表示されることが多い。
白鵬に関してかかれた記事をみるとほんとうに気の毒になるほど
ぼろかすに書かれている。
大鵬の32回の優勝を8回も上回って40回目の優勝を果たした白鵬。
高度成長期のようないい時代だったら40回優勝記念の
雑誌の増刊号などが発売されてもおかしくない記録だと思う。
一年六場所全部優勝しても7年近くかかる記録。
並大抵のことでは達成できない前人未踏の記録だと思う。
でも、雑誌も記念の増刊号を出すよりも白鵬をぼろかす書いて
ネットでさわりの部分だけを見せておいた方が今時は発行部数が伸びるのかも知れない。
白鵬もこうしていろいろかかれてよくやっていると思う。
きっと第三者にはわからない部分で本人が辛抱していることも多いのだろうと思う。
僕が白鵬ファンだからそういう気持ちになるのかもしれないけれど。





お宮はもう新年の飾りができていた

2017年12月29日 | 日記
今日、隣町のN神社へ行った。
境内を見て回るととのお堂も鳥居ももう新しい
しめ縄に取り替えられていた。
このお宮は初詣の日にお堂の前で焚き火をするのだけれど
焚き火の準備もできたいた。
薪が組んであるのでもうあとは火をつけるだけという
状態だ。
薪と言って思い出したけれど僕が子供の頃、僕の家は
薪で釜を炊いて釜が熱くなるので浮き蓋を沈めて入る五右衛門風呂だった。
幼い頃は自分でこの浮き蓋を沈めることができずに
一緒にお風呂に入る大人に沈めてもらっていた。
小学生になって、自分で浮き蓋を沈められるようになると
僕も成長したもんだなあと小学生ながらに思った。
十返舎一九の東海道五十三次の物語に
たしか五右衛門風呂騒動というのがあったと思うけれど
あの話は自分が五右衛門風呂を経験しているので
とても印象に残った。
といってもストーリーの終止はもう覚えていなくて
五右衛門風呂に浮き蓋を沈めて入るべきところを
下駄をはいて入ってしまったことが騒動の発端だったということだけ
記憶している。
今の時代となっては五右衛門風呂と言ってもなにそれ
となるかたが多いと思う。
というか僕が子供の頃も家が五右衛門風呂という人は
そなんにいなかったと思う。
それはともかくとして、お宮のしめ縄のところには
うらしろもあつらえてありきれいな感じだなとおもった。
隣町市内のお花やさんにはうらしろがたくさん売りにでていたけれど
そういうことなのかと思った。
境内では子供が3人くらい遊んでいた。
お宮の備品を女の子が悪びれることなく手にしていたので
きっとお宮の神職さんの子供さんなのだろうと思った。
僕はお宮の境内ではないけれど祖父が経営していた
あんこの製造工場の敷地でよく遊んだので
そこであそびたい気持ちはなんとなく想像がつく。
新年の飾りつけはもう終わっている。
初詣の日のように参拝客で境内がごった返しているわけではない。
もう子供にとってはあそびたいという気持ちをこんなに
駆り立てられる時はそんなにないだろうなと思う。
ドストエフスキーがある小説に
コロンブスがもっとも興奮したのはアメリカ大陸到達のときではなく
アメリカ大陸到達の直前であるという主旨のことを書いていたと思う。
まさに、お宮の飾り付けも終わってまだ参拝客はなだれこんでいない
この時期が一番遊んでいて楽しいときなのだと思う。
そらは曇り空だったしお宮はピカピカになっているわりには
ほんとうにひっそりとしていた。
お宮の隣の市民劇場も今日は門がしまっていた。
きっと官庁がお休みの期間、市民劇場もお休みなのかなと思う。
ちなみに僕も昨日、100円ショップで買ってきたしめ縄を
マンションの玄関ドアに飾った。

官庁御用納

2017年12月28日 | 日記
今日は官庁御用納の日だと思う。
今年も残りわずかだなと思う。
花屋さんの前を通ったら松と南天のかざりものがあった。
でも南天はほんとうに南天なのかそれともたの植物なのか
ちょっと自信がなかった。
花屋のお姉さんに「この赤い玉の植物は南天ですか」と僕はおたずねした。
花屋のお姉さんは「いろんな種類のものがあります」と言った。
「松の鉢植えは乾燥には強いですか」と僕は言った。
「松も水やりが必要で土が乾燥したら水をやります」とお姉さんは言った。
結局僕は二つ質問してひとつも答えが反ってこなかったような気がする。
質問と答えが微妙にすれ違っている。
最近こういうことが多いなと思う。
いつか百貨店のお線香売り場であまりにも煙の少ないお線香ばかりが
おいてあったので「でも、煙の少ないお線香でも
3本まとめて焚いたら煙も三倍になりますよね」と僕は言った。
お線香売り場のお姉さんはもじもじしていて言葉が出てこなかった。
それで「やってみないとわかりませんよね」と僕は言った。
「そうですね」とお姉さんは答えた。
でもこれを小学校の算数の問題に置き換えて
1本で1煙の出るお線香があります。3本ではいくつの煙がでるでしょうか。
という問題だったらほとんどの人は答えは3と言うのではないだろうか。
一杯200ccのコップに3杯だったら600ccになるのと同じことだ。
なんか最近間違いを恐れてなにも言えなくなっている店員さんが多いような気がする。
もちろん花屋のお姉さんもいつかのお線香売り場のお姉さんも
まだ駆け出しのアルバイトとう感じの方だったから
商品知識がないのかもしれない。
また、へたに間違って答えたらあとで上司にしかられたり
場合によってはお客さんからのクレームになるのかもしれない
と想像したりする。
あるとき、洋服のブランドの意味を知りたくて
ブランドを扱っておられるお店に2件電話をして聞いてみたことがある。
2件ともわからないとのお答えだった。
それで思いきって関西ではなく東京のお店に電話したら
そこのお姉さんが
「あ、それってわたしもよくわかんないんですけど
なんか、何とか語で超かわいいという意味らしいですよ」とおっしゃった。
それを聞いてその通りだとうと僕はおもった。
あとで詳しく調べてみたらお姉さんの答えは当たらずとも遠からずというものだった。
というよりも模範解答的な答えよりも超かわいいという覚え方の方が
とても記憶に残っていいと思った。
僕の聞き方がまずいのかもしれないけれど
東京の言葉の方があいまいな表現に対する許容量が大きくて
関西の言葉はその点は話がしにくいのではないかと思ったりする。
「ようわからんけど、何とか語でめちゃかわいいという意味らしいわ」とは仕事では
ちょっと言いにくい。
隣町の商店街の狭い通りに商品を納品するワゴン車が入り込んできた。
この通りは狭くて歩行者も多いので車が来ると必然的に
歩行者は車に道を譲るためしばし立ち止まらなければならない。
ワゴン車は寒いのになぜか窓を開けていて、若い男の運転手が
道を譲ったおばちゃん二人に窓越しに「ありがとうございます」と言った。
「黙ってすっととおっていかれると感じ悪いけど
ありがとうといってくれるとやっぱかわいいな」とおばちゃんの一人が言った。