8月も残りわずかとなって、相変わらず暑いけど、朝晩はそれでもましになったかなと思う。
日が短くなったので気温よりもそのことで季節の推移を感じる。
夏の高校野球が終わったら急に赤蜻蛉を特に夕刻に見ることが多くなった。
この季節になると松尾芭蕉の
夏草や つわものどもが 夢のあと
という句を思い出す。
本来は夏草をながめながら 昔のつわものに思いを馳せた句なのだと思う。
しかし、僕はなぜか 夏草や、と言う言葉に 過行く夏に思いを馳せてしまう。
そのように心が動く原因はきっと僕が小学生の頃 巨人の星という漫画の中でこの句を初めて知ったからだと思う。
夏の甲子園で優勝を逃した星飛雄馬と伴宙太は東京に帰ってくる。
そして母校のグランドで二人過ぎし夏の日を回想する場面がある。
そこで 伴宙太がグラウンドに生えた草を眺めながら
「甲子園に行っていてしばらく練習しない間に夏草が伸びたな」 と言いながら。
夏草やつわものどもが夢のあと
と ふと口にする。
その句は 星飛雄馬と伴宙太が過ぎし夏を回想する場面にとても効果的な彩りを添えていた。
思い起こせば 巨人の星が流行った昭和40年代 世の中を中心的に動かしていたのは僕の親世代。
日常の言葉の中にもまだ古典と言うものが生きていた時代だなと思う。
古典は今の教育に必要ないという声もあるけれど、やはり情操を養い、人間がどのようにものを感じてきたかと言うことを知ることは、現在の事柄に対する判断力を培う上でも大切だと思う。