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ケンのブログ

日々の雑感

夏草やつわものどもが夢のあと

2025年08月28日 | 日記
8月も残りわずかとなって、相変わらず暑いけど、朝晩はそれでもましになったかなと思う。

日が短くなったので気温よりもそのことで季節の推移を感じる。

夏の高校野球が終わったら急に赤蜻蛉を特に夕刻に見ることが多くなった。

この季節になると松尾芭蕉の

夏草や つわものどもが 夢のあと

という句を思い出す。

本来は夏草をながめながら 昔のつわものに思いを馳せた句なのだと思う。

しかし、僕はなぜか 夏草や、と言う言葉に 過行く夏に思いを馳せてしまう。

そのように心が動く原因はきっと僕が小学生の頃 巨人の星という漫画の中でこの句を初めて知ったからだと思う。

夏の甲子園で優勝を逃した星飛雄馬と伴宙太は東京に帰ってくる。

そして母校のグランドで二人過ぎし夏の日を回想する場面がある。

そこで 伴宙太がグラウンドに生えた草を眺めながら
「甲子園に行っていてしばらく練習しない間に夏草が伸びたな」 と言いながら。

夏草やつわものどもが夢のあと
と ふと口にする。

その句は 星飛雄馬と伴宙太が過ぎし夏を回想する場面にとても効果的な彩りを添えていた。

思い起こせば 巨人の星が流行った昭和40年代 世の中を中心的に動かしていたのは僕の親世代。

日常の言葉の中にもまだ古典と言うものが生きていた時代だなと思う。

古典は今の教育に必要ないという声もあるけれど、やはり情操を養い、人間がどのようにものを感じてきたかと言うことを知ることは、現在の事柄に対する判断力を培う上でも大切だと思う。





謎の巨大サメ、シャークヤくん

2025年08月21日 | 日記
こ半年くらい尾張地方の代表的な私鉄の電車の乗降ドア付近に、「謎の巨大サメ現る」というようなスポーツ新聞の見出しをイメージした文字の広告が出ているのが少し気になっていた。

気になっていたと言っても「なぞの巨大サメって何?」と思った程度でとくにそれ以上詮索しようという気にはならなかった。

たまたま一週間くらい前にちょっと駅で心のゆとりがあったので「謎の巨大サメ現る」の左に書いてあるポイントの小さい文字を読んでみた。

すると そこにはこう書いてある
「その名はシャークヤくん」と。

僕は一瞬、唖然としてしまった。

つなげて読むと「謎の巨大サメ現る、その名はシャークヤくん」。

そして広告の下には不動産会社のロゴが出ている。

サメ 英語でシャーク シャークヤ 賃貸住宅 不動産?

一連の事柄を認識するのに異様に時間がかかってしまった。

例えば大阪の街を歩いている。
「日本一分厚いカツサンドの店」という看板があるとする。

「日本一分厚いカツサンドってどうしてわかるんや。記録でもあるんか」とすぐにツッコミの言葉が心に浮かんでくる。

そしてお店の人は突っ込まれたら例えばこんな風に答えるかもしれない
「うちより分厚いカツサンド見つけたら証拠写真持ってきてください。そしたらうちはもっと分厚くします」などと。

でも「謎の巨大サメ現る その名はシャークヤくん」って言われてもツッコミ様子がない。

「何やねんシャークヤくんって」と突っ込んでも「だからサメと借家とかけてシャークヤくんだかね」と返されたら突っ込んだ方があえなく撃沈してしまう。

もうご道理ごもっともで返す言葉がないからだ。

「あほか?」と言っても
「いや これはもともとダジャレで作ったもんだで、あほ言われても困るがね」と言われたらやはり撃沈してしまう。

もう ツッコミと言うものを想定した気配がどこにも感じられない 壮大なボケと言うかダジャレ。

そのダジャレはあまりにも壮大でどんなツッコミにもびくともしない。

というかそもそもツッコミと言うものをまったく想定していない。

まさに 尾張だと思った。

この土地でへたに突っ込んだりしたらもう終わりというのを何度か経験したけれど その象徴のような広告を見つけてしまった。

でも この広告 きっと成功だと思う。

なぜなら とても心には残るから。

僕も覚えてしまった その名はシャークヤくんと。


↑シャークヤくんです






黒髪なびかせてたか?

2025年08月13日 | 日記
父や母は高齢になっているので直感だけでものを言うことも多くなった。
そしてこの直観にはっとさせられることもしばしばある。

先日父のところへ行って 確か広島でのインターハイ男子100メートルで優勝した清水君の話をした。

「最近はスポーツ選手も競技によっては綺麗にメイクして男でも女の子のように見えることもあるね。
ウインタースポーツや陸上に多いけど。
先日インターハイで優勝した陸上の清水君も新聞写真で見たとき一瞬女の子かと思った」と僕は父に言った。

すると父は「そうか、その清水君と言う子は黒髪なびかせてたか」と僕に言った。

「いや、そういう意味で女の子みたいと言うのではなく、脱毛処理とか女の子並みにしっかりしてるから、写真の光の加減では一瞬女の子に見えることもあると言うことや」と僕は父に言った。

父は脱毛処理で女の子のように見えると言うことがどうもイメージできなかったみたいだ。

しかし1931年まれの父にとっては女の子みたいとうイメージが「黒髪なびかせる」という言葉につながるというのはいい話だなあと思った。

男は男 女は女というしかるべき秩序 区別があるところがいいなと思う。


↑ちゃんと脱毛していて時には女の子のように見える陸上の清水君
↑ネットで「黒髪なびかせる」と検索して出てきた写真

やはり父が言うように「黒髪なびかせる」というのは女性のイメージだなあと思う。

15分から30分お待ちいただきます

2025年08月07日 | 日記

父や母は、かなり高齢になっているから、もうほとんど直感だけでものを言うことがある。

そして、その直観によって発せられた言葉にドキッとすることがある。

最近あるお弁当のチェーン店に言った。

幕の内弁当をお願いしたら本日は売り切れましたと店員さんはおっしゃった。

それで しばらく考えてデラックスのり弁当に変更した。

「では、デラックスのり弁当お願いします」と僕は言った。

「15分から30分お待ちいただきますがよろしいですか」と店員さんは言った。

「じゃあ その間ちかくのコンビニで買い物してきます」と僕は言った。

すると店員さんは「お金は先に頂きます」と言った。

それで僕は先払いしてコンビニには自動車を止めたまま歩いて行った。

ジャスト15分後くらいに弁当屋に戻ったらもう弁当は出来上がっていた。

僕にとっては予想通りの展開。

15分から30分と言われたら 大概は15分後くらいにはできている。

時間をあえて15分から30分と多い目かつ広めにとるのは「どれだけ待たせるんや」というカスハラに備えたマニュアルなのだろうと僕は解釈している。

その話を母にしたら 母はあっさりと
「そんな対応しとったらお客が逃げてしまうやないの」と言った。

母の言い分はこうだ
「幕の内弁当は売り切れと断ったあげくに、のり弁当でも最初から15分から30分も待てと言うなんて 横着な態度だ、しかも料金は先払い」と。

確かに 母なら 「15分から30分待ち 料金先払い」と言われた時点で瞬時に 「もうほかの店、行くわ」とほぼ確実にいいそうな気がする。

「そうだね、バイトとして働いているから 15分から30分待ちと平気で言えるけど 自分で個人商店経営してると思ったら とてもそれは言えないよね。15分以上待てと言うのなら 今 混みあっておりまして とか理由を言うはずだよね」と僕が言うと
「そらそうだわ」と母は言った。

たぶん母にとっては 希望の品が売り切れてて申し訳ない、お待たせして申し訳ないという気持ちが店員さんの言葉から微塵も伝わってこないのが信じられないのだと思う。

チェーン店の店員さんはマニュアル通り話してるだけだからそんなの気にしてたら今どき生きていけない と思っている僕だけれど、母のその話を聞いてからは 弁当屋に行くよりも スーパーマーケットやコンビニになぜか行くようになってしまった。

思い込みのもつ力って大きいなとしみじみ思う。





おっちゃん、詐欺ちゃうか

2025年07月31日 | 日記

二週間ほど前に、大阪のカラオケ店に行って、受付の機械に電話番号を入力しても反応しないので、「電話番号いれろと機械に出てるのに入れても反応しません」と僕が言うと、若い女性の店員さんは「その機械、電話番号には対応しておりません、詐欺みたいなことになっておりましてすみません」と言った。

いやあ、まさに大阪と言う感じの店員さんだな、今、すんでいる尾張地方ではまず考えられないリアクションと思った。

そんな記憶がまだ強いうちに新聞の整理をしていたら今年6月11日付の読売新聞の編集手帳にこんな記事が出ている。

「大阪府東大阪市の田中あやさんは今年4月銀行で通話しながらATMを操作する高齢の男性を見かけた。あわてている様子がうかがえた。『おっちゃん、詐欺ちゃうか』そう声をかけたところ、だまされていることがわかった。警察に通報し、男性は事なきを得た。大げさに言えば、見知らぬ人にも気さくに声をかけられる言葉を持つ地域の強みだろう」と。

そうか、若い女性の「おっちゃん、詐欺ちゃうか」の一言ですくわれた人がいるのかと思った。

読売新聞中部支社発行の新聞に出ているくらいだから きっと大阪ではかなり大きなニュースになったのではないかと想像する。(もう大阪には住んでいないので、あくまで想像です)

それで、カラオケの店員さんも、彼女から見ればじゅうぶん、おっちゃんの年齢に当たる僕に「詐欺みたいなことになっておりまして、すみません」と言ったのかもしれないと思った。

時勢に敏感に反応するというのも大阪らしいと言えば大阪らしいけど。

でも、僕は思うのだけれど、詐欺にあいそうになったおじさんが若い女性に助けてもらえたのもきっと、真面目に慌てふためいている様子が、わかったからだと思う。あんな真面目なおっちゃんは助けたらなあかん、と女性に思われるようなあわてかただったのだろうと想像する。

結局、助ける方も、助けられる方も、その時、その時の 直観的な心の動きに支配されてるような気がする。

もちろん そこには 見知らぬ人にも声をかけやすい関西の言葉、そして「警察呼ぼか?」と言うのも日常語になっているという社会慣習も大きく働いていると思うけど。


実際に、大阪に住んでいたころは、大阪はずけずけ言ってくる人が多いからいやだなあ、故郷がなつかしいな と思っていたけど、いざ大阪をはなれてみると、それがなつかしくなってくる。

まあ、だいたいは過去の記憶というのはそういうものだなと思う。